亡くなったつかこうへいさん(注1)が在日韓国人だったのはよく知られていた。本名はキムさんという。平仮名のペンネームを使っていることに、同じ在日の人からよく「祖国の名誉にかけて本名を名乗る(50)と手紙をもらったそうだ。
 平仮名は、漢字の読めない母親のためだった。つかさんが小学生のころ、母親が「小学校に通って字を習いたい」と言いだした。「恥ずかしいから来ないでくれ」と反対した。その償いを一生かけて(51)と、20年前の『娘に語る祖国』(光文社)で打ち明けている。
 「いつか公平」の(52-a)を込めたというその(52-b)は、わが学生時代、まばゆい(注2)光を放っていた。出世作の『熱海殺人事件』から『蒲田行進曲』へと(52-c)を連発した「つかブーム」のころだ。劇作家として演出家として、才気走って脂がのりきっていた。
 ときに過激な発言を放ったのは、通り一遍(注3)の礼儀の「噓」を暴くためでもあったろう。善意にも毒は潜み、悪意の中にも優しい花は咲く。どちらが信じられるのかを、作品を介して人に(53)。
 「芝居をやっていて、幕を下ろすほど難しいことはない」と言っていた。この複雑な時代、観客を納得させるエンディング(注4)など、そうあるわけではないからだ。芝居に人生を重ねてのことか、病の床で死後公開の遺言をつづっていた。
 遺言は、日韓のはざまの対馬海峡で、娘に散骨してもらおうと思っていると結ばれていた。美しい終幕だが、62歳での他界をファンは納得したくあるまい。やはり、少し(54)。

(「朗日新聞』沃声人語〉2010年7月14日付)


(注1)つかこうへい:劇作家、演出家、作家(1948-2010)。
(注2)まばゆい:まぶしい。
(注3)通り一遍:形式はととのっているが心がこもっていないこと。
(注4)エンディング:結末

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