インドネシアとフィリピンから来日した
介護福祉士の研修生36人がこの春、国家試験に初めて合格し、各地で新たなスタートを切った。人手不足の介護施設で、どんな役割を果たせるのか。外国人の受け入れを( 41 )ための課題は――(後略)。
岐阜市の特別養護老人ホーム「サンライフ彦坂」。この春介護福祉士になったアスリ。フジアンティ・サエランさん(26)は、体が不自由な杉本はつえさん(82)を手際よくベッドから車いすに移し、食堂へ連れて行った。「手の力、ついてきたやろ」。アスリさんの手をぎゅっと握る杉本さん。アスリさんもなめらかな日本語で応じた。「ほんまやね」。
私の指、痛いくらい。がんばってリハビリしましょうね」アスリさんがインドネシアからやって来たのは2009年。母国の看護大学を卒業してすぐ、日本との経済連携協定(EPA)に基づく介護福祉士の研修生になった。「福祉先進国の日本で介護を学び、将来、母国で技術や制度を教えたい」。そんな夢を抱いて海を渡った。
合格までに一番苦労したのは日本語だ。「あいうえお」の読みから始め、漢字は小学校の参考書で勉強。施設の日本人スタッフと暮らし、言葉や生活習慣を教わった。
現場では「外国人」に戸惑う利用者への接し方に悩む( 42 )。体を触ろうとすると顔を( 43‐a )、方言を何度も聞き直して( 43‐b )。粘り強く相手の趣味などを調べて話題にし、方言をノートに書いて覚え、今では冗談を言い合う仲だ。アスリさんが担当した
認知症女性の夫、井上永一さん(80)は「初めは岐阜弁が通じるか不安やつたが、食事やトイレの介助は日本人と大差なく、安心して( 44 )。高齢者が増えて日本人だけではやっていけないご
時世ですから」と話す。
一人前になるにはこれからが
正念場だ。合格後は見習いではなくなり、責任も重くなる。6月に始めた夜勤では、呼吸や顔色などにきめ細かく日配りし、緊急事態にも対応できる幅広い専門的な判断が求められる。「申し送り用の介護記録( 45‐a )、口頭で報告( 45‐b )ことが必要」(介護副主任)という。
コミュニケーションもいっそう求められる。例えば誕生会など行事の計画づくり。認知症の場合、家族と話し合って生活歴をひもとき本人の気持ちを理解する力が必要だ。アスリさんは「機能訓練」について職員同士で話し合う委員会のメンバーにもなった。
介護主任の山内ゆみさんは「彼女の明るさで表情を取り戻した認知症の人もいます。看護知識があるのも強み。本来持つ温かさと相手を専門的な目で見るプロの視点を合わせることが課題ですね」。
(「朝日新聞」2012年7月12日付)