短文
(1)
これは留学生が大学院の先生に送ったメールである。
あて先:tanaka@daigaku.ac.jp
件 名:先日のお礼とお願い
送信日時:2019年11月1日16:30

田中次郎先生

先日はお忙しいところお時間をとっていただき、ありがとうごぎざいました。
先生にお日にかかり、ますます先生にご指導いただきたいという気持ちが強くなりました。
研究計画書についてご注意くださったところは、今直しております。

来月、ぜミ(注1)の見学をさせていただけるということでしたが、私はいつでもかまいませんので、
先生のご都合をお知らせいただければ幸いです(注2)
どうぞよろしくお願いいたします。
ダンワンリン
(注1)ゼミ:ゼミナール。大学で教員の指導の下に少数の学生が集まって研究、発表、討論などをするもの。
(注2)~いただければ幸いです:~てもらえればうれしい/幸せだ、という意味。手紙でよく使う。

(24)このメールで一番伝えたいことは何か。

短文
(2)
 これは友人に聞いた話です。彼女はある国でコートを買い、自分のカードで支払いをしました。品物を受け取ろうとすると、その店の店員は、「大きい荷物は男性が持つのが当然です」と言って、店の入り口近くで待っていた彼女の夫に品物を渡したそうです。これは女性は弱いのだから男性が守らなければならないという、昔からの習慣があるからなのでしょう。女性の社会進出が日本よりずっと進み男女平等であるはずの国での出来事に、友人は何となく不思議な気持ちになったそうです。

(25)何に対して不思議な気持ちになったのか。

短文
(3)
これは留学生のアンディさんが小野さん夫婦に出した手紙である。
 小野一郎さま、敬子さま
 先日は大変お世話になり、ありがとうございました。2週間もホームステイをさせていただき、小野さんの牧場で実習ができたことは、私にとってとてもいい経験になりました。学校で牧畜について学んでいても、実際の仕事とはずいぶん違うということもわかりました。手作りのチーズやバターのおいしさも忘れられません。卒業して国に帰ったら、この経験を生かして頑張ろうと思います。ありがとうございました。

9月1日
アンディ・ビカス


(注1) 牧場 : 牛や馬などを有てる所
(注2) 牧畜 : 牛・馬・羊などの家畜を育てる産業

(26) この手紙からわかることは何か。

短文
(4)
 何年か前からだが、子どもたちの名前に簡単には読めないものが増えてきたように思う。たとえば、「宇宙」と書いて「そら」と読んだり、「愛利」と書いて「ラブリー」と読んだりするのだ。これではまるでクイズのようだ。読み方だけの問題ではない。親が子どもにどんな名前を付けても自由だが、私のような昭和(注)生まれの世代だとあまりにも変なものが多いと感じる。しかし、今の子どもたちはきっとどんな名前であっても変などとは思わないでそのまま受け入れるのだろう。そういう名前と赤ちゃんの時から接しているのだから。
(注) 昭和 : 1926年から1989年までの間。昭和天皇が天皇だった期間を言う。

「27」子どもの名前について「私]はどのように考えているか。

中文
(1)
 日本には浮世絵(注1)という美術があります。これは江戸時代(1603~1868)に江戸(今の東京)の町人(注2)の問ですごく大気があったもので、版画(注3)、つまり名刷したものですから何枚も同じものがあり、一枚が今でいうと数百円で買えたそうです。歌舞伎(注4)の人気役者の絵や、旅行ガイドのように江戸の町や富士山をいろいろな所から見て描いた絵もありました。当時、ヨーロッパなどでは、芸術はー部の上流階級だけのものでしたが、日本では一般庶民が絵を買って楽しんでいたのです。江戸時代は、戦争のない時代でしたから、江戸や大阪の町人たちの間で華やかな文化が花開いたのでしょう。値段も安くとても身近なものですから、日本人はこの浮世絵に芸術的な価値があるとは思っていませんでした。その価値を教えてくれたのは、江戸時代の終わりから次の明治時代(1868~)にかけて日本に来ていた西洋人たちだったのです。そして、これはフランスの美術にも大きな影響を与えました。
(注1) 浮世絵: 江戸時代に発達した民衆的な風俗画。版画が多い。
(注2) 町人 : 江戸時代に都市に住んでいた商人や職人の身分の人。
(注3) 版画 : 木などに絵をほり、それで印刷したもの。
(注4) 歌舞伎 : 江戸時代にできた日本独特の演劇。

(28)値段も安くとあるが、なぜ値段が安かったのか。

(29)日本がヨーロッパと違っていたのはどのようなことか。

(30)このころの日本人について本文と合っているものはどれか。

中文
 (2)
 ユネスコでは(注)、すばらしい自然を保護しようという日的で「世界自然遺産」を認定していますが、それとは別に、「世界ジオパーク」というものもあるのです。「ジオ」は「地球」や「大地」を意味します。「パーク」は「公園」です。地球を学び楽しむ場所にしよう、自然を保護すると同時に教育や観光にも役立てようというのが目的です。自然の美しきを楽しむだけでなく、たとえばその場所がどんな地球の活動によって生まれたのかということも知ろうということです。こういうところが「世界自然遺産」とは違うところなのです。「世界ジオパーク」は観光に入を入れれば地域の活性化にもつながりますし、日本の場合は火山の噴火や地震などの被害の跡を保存し、防災教育にも役立てようとしているところも多いです。日本は災害の多い国なので、こういう点では世界をリードしています。ただ、多くの地域で経済的なメリットにつなげる人材が不足していて、地域の活性化という点が今後の課題となるようです。
(注) ユネスコ: 国際連合教育科学文化機関 United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization UNESCO

(31) 「世界自然遺産」と「世界ジオパーク」の違いは何か。

(32) 日本が他国よりも進んでいるのはどんな点か。

(33) 日本の「世界ジオパーク」について、正しいものはどれか。

長文
 以前、日本に来たある国のビジネスマンが言っていました。「東京は大都会なのに町の真ん中に大きい森があってびっくりしました」と。大きい森とは、明治神宮(注1)のことでした。高い所から東京を見渡すと、ところどころに①緑のかたまりが見えます。それは木々がたくさん集まっている場所で、その一つが明治神宮の森なのです。明治天皇(注2)が亡くなったのが1912年、明治神宮は明治天皇を祭るために建てられた神社で1920年に完成しました。この場所に明治神営が建てられると決まったころ、このあたりは作物があまり育たない荒れた(注3)土地でした。そこに神社にふきわしい森をつくろうということになって、庭づくりの専門家たちがいろいろ考え、②計画を立てて木を植えたのです。ここは、人の手でつくられた株のようには見えません。自然に近い森をつくるために、東京に大昔から自然に生えていた種類の木々を植えたからです。初めは12万本植えたそうですが、今は3万6千本に減っています。それは木々同士の競争が自然に起こって、弱いものは育たなかったからです。③昔からある自然の森と同じことが起こるようにと考えた庭づくりの専門家たちの計画どおりでした。競争に勝ち残った木は、今ではとても大きな木に成長しています。
 ここでは、たとえ木が倒れても人は何もしません。ただ見守っているだけだそうです。すべてを自然のままにしているのです。今、ここを管理する人がしていることは、落ち葉を掃き集め、それを森の木々の根元に戻すことだけです。
 何もない荒れた土地に木を植えて100年、森は大きく成長しました。これは100年前の人たちから私たちへの贈り物なのです。

(注1) 明治神宮 : 東京にある大きい神社
(注2) 明治天皇 : 1867年から1912年までの天皇。 天皇 : 古代からの日本の君主の称号
(注3) 荒れた土地 : 石なとが多く作物が育ちにくい土地

(34) ここで①緑のかたまりと言っているのは何のことか。

(35) ②計画を立ててとあるが、どういう計画を立てたのか。

(36) ③昔からある自然の森と同じこととはどういうことか。

(37) この森の管理について本文の肉容と合っているものはどれか。

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(38)次の4人のうち、交流会に参加できるのは誰か。

(39)北東大学4 年生のサラきんは交流会に参加して国の歌を紹介したいと思っている。どうすればいいか。