A
 アートを買うか買わないか。その後もコレクションし続けるか、止めてしまうのか。
いずれも最初の一点をうまく買えるかどうか、そしてその最初の作品が、自分にとって後々までも価値あるものかどうかで決まってくると思います。
 勿論ここでいう価値とは単純な市場価値だけではなく、求めた人にとって、飽きずに長い間付き合い続けられる魅力のことを指しています。この自分満足の部分が大きくないと、なかなか次の一点に手が伸びにくいのではないでしょうか。
 アートは大好きだけれど作品を買うほどではないと最初は思っていても、一度購入してみれば、後は堰を切ったように(注1)買い続けてしまったコレクターの方達を身近に何人も見ています。

(宮津大輔 『現代アートを買う』による)



B
 真にアートの価値が分かる用になるためには、やはり、買うと言うステッブに至らないといけないと思う。実際に買って自分のものにしてこそ、本当にわかってくるものだ。自分がお金を出して手に入れたものだからこそ、愛着も出てくるだろうし、身近において毎日みていることで、いろんな刺激を受けていくはずだ。 (中略)
 数万円にしろ、数万円にしろ、いくらかのお金を出して買うんだから、それに見合うだけのものかどうかをしっかり吟味すること。ギャラリー(注2)で作品と対峙(注3)して、これ、おもしろいな、とか、好きだなと心を動かされる作品に出会えたら、さらに、どうして自分はこれが好きなのか、一歩踏み込んでその理由を考えてみることだ。
 大切なのは、自分にとって、これは充分な価値のあるものだと思えるような、自分自身の基準を持つということである。

(小山登美夫 『その絵、いくら? 現代アートの相場がわかる』による)


(注1)堰を切ったように:ここでは、勢いが止まらずに
(注2)ギャラリー:美術品の展示場
(注3)対峙する:向き合う

(63)A とB はアートを買うことについて、どのような考えを持っているか。


(64)アートの価値について、A とB が共通して述べていることは何か


(65)アートの価値についてAとBが共通して述べていることは何ですか


A
 世界遺産への関心が高まるのは喜ばしい。各地で登録をめざす動きも活発化している。新聞をはじめとしたメディアがそれらを報じる機会も増えた。ただいつも気になるのはそこに「地元では観光振興に結びつくのを期待している」といったたぐいの文言が必ずと言ってよいほど目につくことだ。私としては観光・経済効果の拡大を否定はしないし文化財保護との両立はできると考えている。しかし近年の状況を眺めると遺産の保護という基本理念があまりにも置き去りにされてしまってはいないだろうか。

(中村俊介『世界遺産が消えてゆく』による)



B
 日本では映像や書籍などさまざまなメディアで世界遺産を商品化しパッケージ・ツアーが数多く組まれ観光産業と深く結び付く。だがそれは本当に建築や自然を愛し歴史への理解を深める人間を増やしているのだろうか。 (中略) 世界遺産であろうとなかろうと建築の価値は個別に判断すればいい。人間も肩書きだけですべてを理解できないだろう。世界遺産に認定されたからといって株のように建築の価値が上昇するわけではない。むろん観光資源として巨額の富をもたらすだろうがモノとしては同じままである。私が気になるのは世界遺産だけを特別視するあまり逆にそれ以外のものはがんばって保存しなくてもいいという風潮を助長するのではないかということだ。

(五十嵐太郎 『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』による)

(63)近年の世界遺産についてAとBが共通して認識している点は何か。


(64)AとBは世界遺産をめぐってどのような姿勢を持つべきだと述べているか。


A
 子どもたちが社会全般のあらゆる分野に関心を向けようとするとき、まんがはその垣根 を低くしてくれる。これは、まんがというメディアの強みだと思う。気軽に手にしたマン ガをきっかけに、知的好奇心が刺激されたりすることもあるだろう。正味15分たらずの休 み時間、まんがの世界に入り込んでいた子どもたちの横顔を思い出す。まんがならではの 魅力があることも確かだ。魅力は堪能してほしいし、強みは学校図書館活性化に利用した
 まだ人生の入り口ともいえる小学生。彼らを多様なメディアの魅力に出会わせたいとい う思いと、学校図書館が彼らにとって魅力的な場所であってほしいという思いがある。だ から小学校でも(制約は多くても)選書のアンテナはマンガにもはって(注)おいてほしいと、 職を離れたいまも思っているのである。

(若葉千佳子『子供の本棚』2007年 12月号による)


(注)選書のアンテナを~にはる:ここでは、本を選ぶために~に関心を向ける

B
 マンガを他の本と区別して考える方向は間違っているといえる。マンガを図書館に置くことによって、子どもは勉強しなくなるという神話から決別すべきである。学校図書館としては、絵本や写真集、童話や物語などの本の読み方を教えるように、マンガやアニメについてもその見方や特性を教えなくてはならないし、そのことを通して適切な学習資料を 適切な場面で活用するようになると思われる。
(中略)
 学校図書館の担当者は、図書購入に際して、直接学習に役立つ図書だけを購入するので なく、長い目で見て子どもたちの学習や人格形成に役立つ図書も購入するゆとりを持つこ とが大切である。

(渡部康夫『現代の図書館』第192 号による)

(63)漫画について、AとBはどのように述べているか。


(64)学校図書館に漫画を置くことについて、AとBはどのように述べているか。


A
 現代の若苦向けのファッションは、かつての一流デザイナー主導とは異なり、消費者自らの感性で選択するものに変わってきている。
 ある衣料専門店では、客の目線に近い若い店員に好きな服をデザインさせて、これまでにない若者向けのファッションを形にしてきた。店内にはいろいろなバリエーションを楽しみたいという客の要望に応えられるように、あらゆるタイプの商品が置かれている。また、一対一で接客することを基本としているため、売り場には多くの店員がいる。悩んでいる客には一時間以上対応することもある。この丁率さのおかげで、客は喜んで買い物をして、何度も足を運ぶ客となっていく。 このような努力を重ねた結果、売り上げを確実に伸ばし、現在ではトップクラスの専門店となっている。

B
 店はがらがらなのに、長期間増収を続けている大手衣料品店がある。
 どの店舗も広々としていて、店内に客で混雑することはない。道路もショッピングカートが楽々とすれちがえるほど広く、カードを止めて商品を見ていても邪魔にならない。子連れでも他の客に気を遣うこともなく買い物ができる。ある店舗が混雑するようになると、近くに新店舗を作ってしまうというのだから、需きた。
 店には多種多様な商品があり、それらはすべてハンガーで壁一面につり下げられている。客は、一目 で欲しいものが見つけだせるので、無駄な時間を費やすことなく買い物を済ませられる。
 このような経営スタイルが好評で顧客満足度が高く、増収につながっているのだ。

(63)AとBで紹介されている店の共通点は何か。


(64)AとBで紹介されている店の経営方針は、どのような点で異なるか。


A
 生態系保全(注1)では、そこに生息(注2)する生物のことを考慮するが、生態系を構成するすべての生物を等しく扱うことはできない。なぜなら、一部の生物を守ろうとすると、必ず不利益を被る生物が生じるからである。すなわち、われわれ人間が何をしても、それによって利益を得る生物と不利益を受けるものが生じることになる。そうなると、性能系を保全する目的で、何らかの活動をするということは、一部の生物種に利益を与えるということになる。 (中略)
 唯一われわれが言えることはわれわれが人類であるから、「地球生態系は人類が健全に生きていくためにある」ということである。すなわち、「生態系は人類のため」なのである。言い換えれば、人数に利益を与えてくれる生態系を保全すべきなのである。

(花里孝幸『自然はそんなにヤワじやない一誤解だらけの生リ系」による)



B
 保全生物学の核となる概念である生物多様性は種の存続によって維持される。したがって、保全生物学(注3)では、希少種や減少過程にある固体群の保全に関する知識と方法が一つの重要な課題である。(中 略)
 しかし、個別の種をそれぞれ保護することは非常に困難である。一つの生態系をとっても、徴生物から植物、昆虫、哺乳動物など多くの種が生存しているが、それらの全ての生態を把握して保護することは不可能に近い。さらに、未分類の種や種レベル以下の遺伝的多様性は、個別の種を保護する方法では逆に保護されなくなってしまう恐れがある。そこで、多様な生物の相互関係を含む自然をそのまま保全することが重要になってくる。つまり、生態系を保全することで、そこに含まれる全ての生物を保護するという考えている。
(注1)保全:ここでは、守ること。
(注2): 生息する: 生きる
(注3): 保全生物学:生態学の研究分野のひとつ

(63)生部系を構成する生物の保護について、AとBの文章で共通して述べられていることは何ですか。


(64)保護すべき対象についてAとBはどのように考えているか。


A
 「私、絵が描けないのです」と言う人がたまにいる。そんな訳はない。紙とペンがあれば誰だって描ける。紙がなくったって、何だっていい。でも、描けないというのは、「それらしく」描かなくてはならないという気持ちがあるからだ。馬を描きたかったんだけど牛になってしまった、りんごを描いたのがみかんに見える。だから絵はうまくない、描きたくないとなる。でも、絵は正確さを要求されるものではない。自分の馬、自分のりんごを描けばいい。絵はそれくらい「いいかげん」なものであり、許容範囲の広いものである。本物らしく描くことは、描くことではなく写すこと。描くということは自分なりの形でいいのだ。 (中略)
 誰だって絵を描けるし、誰だって絵を楽しめる。それらしく描く技術よりも喜んで描く気持ちが大切であり、絵に失敗はなく、不正確もない。それが自分の作品であり、それは自分の世界である。

B
 絵が上手になるには、とにかく多くの絵を描く経験が大切だ。絵がうまくならないという人は、うまく描けないからといって途中であきらめてしまうことが多い。だがたとえうまく描けなくても、まずは最後まで真剣に描き上げることが重要だ。
 さらに、描く対象をしっかり観察して、考えながら描くことも大切だ。対象をよく見ると新しい発見も多いので、描くことが楽しくなる。実はこの描くことを楽しむ気持ちが最も重要なのだ。どんなことでも、楽しければたくさんできる。多くの経験を積めば、それだけ上達するというもので、絵を描くことも同じだといえる。

(63)絵を描くことについて、AとBはどのように述べているか。


(64)AとBの認識で共通していることは何か。


A
優れた人は決断に迷うものです。決めるために必要な情報をたくさん持っていたり、決め た結果について多岐にわたる予測を立てたりするからです。
「決める力」のある人とは、たくさんの情報を合理的に利用して、最善の結果を予測でき る人のことです。潔くバッと決める人は決断力のある人にみえますが、軽率な判断で最悪の 結果を招いたのでは決める力があるとはいえません。また、じっくり考えて決める人は慎重 な人にみえますが、ただ迷っているだけでは良い結果が得られないでしょう。
(中略)。
どうすれば「決める力」のある人になれるのでしょう。身近な仲間の意見はどれも大差が ないので話半分に(注)聞いておき、専門性や価値観の違うたくさんの人の意見を集約して 整理します。その上で、自分一人で最終的な決断をするのが「決める力」のある人のやり方 です。

B
情報があふれる現代では、選択肢が多すぎてなかなか決断ができないという状況に陥りや すい。最善の結果を得ようと情報を探せば探すほどリスクの可能性を知り、迷い、検討を繰り返しているうちに決断がどんどん遅れてしまう。しかしどのような決断にも負の面は必ず ある。だから時間をかけすぎるよりも、失敗を恐れず迅速に決断していく人のほうが「決め る力」がある人だと言える。
しかし、早さが必要だとはいっても、適切な利断ができなければ意味がない。早く適切な 決断ができるようになるには、瞬時に自身とは違う見方を検討し、客観的な利断ができなけ ればならない。日頃からさまざまな価値観に触れ、多角的に物事をとらえられようになるこ とが必要だ。
(注)話半分に:ここでは、事実は全体の半分ぐらいだという気持ちで

62.「決める力」のある人について、A と B はどのように述べているか。


63.「決める力」のある人になるために必要なことについて、A と B の認識で 共通していることは何か。


A
 苦手を克服しようとする努力は貴重です。しかし、人には向き不向きがあるのも事実。苦手を克服するまで好きなことをやってはならないとすれば、誰だって自分らしさを見失ってしまいます。
 そう考えれば、できないことを昌理に克服する必要はないと考えてもいいのではないでしようか。不得手な部分は得意な人に助けてもらえばいいのです。
 落ちこぼれだったエジソンは、自分の知識の足りない部分を補うために、優秀な科学者や技術者を商いました。自分の弱みを知っていたからこそ、エジソンはそれを埋め合わせる方法を考え、千にも肥ぶ発明を実現できたのです。弱みがわかれば絞みを「避ける」という選択ができます。それは弱みから「送げる」という意味ではありません。失敗の要因を避けて、事前に適切な対和をする工夫ができるようになるという意味です。
 困難から逃げてばかりいては何事も成し遂げられませんが、困難を避けるために行う試行錯誤は成功を導く大きな戦略です。

B
 あなたは「苦手なことは何とかして乗り越えなければ。」と自分自身を必要以上に追い込んではいないだろうか。もちろん、自身の欠点や弱点はすなおに認めて謙虚にならなければならない。しかしそれらは努力で簡単に克服できることばかりではない。克服できないからといってコンプレックスを抱え続けるよりも、得意なことを生かすことを考えてみてはどうだろうか。
 特に仕事の場合は、さまざまな職種や職場があるので、自身に合ったものを選ぶことが可能だ。得意なことを生かせる環境を見付けることで、自信を持って生き生きと働くことができるだろう。

(63)苦手を克服することについて、AとBはどのように述べているか。


(64)AとBの認識で共通していることは何か。


A
国際化の進展や新技術の開発などに伴って、新しい概念やニュアンスの提示など、外来語・外国語(注)を使用せざるを得ない面があり、また、既に外来語・外国語を用いた方がその日本語訳よりも分かりやすい場合もある。そうした場合は別として、一般的には、相手や目的に応じて十分な配慮の下に、その外来語や外国語を使用するか否かの判断がなされる必要があろう。外来語・外国語は基本的にその語に対する知識がないと伝達不能になることが多い。そういう意味で、広く国民一般を対象にしている官公庁、新聞・放送等では、簡単に日本語に言い換えられる外来語・外国語や耳慣れない外来語・外国語などは安易に使わないようにすべきである。

(文化庁2015年10月23日取得による)



B
「ユーザー」、「ケア」など多くの外来語・外国語(注)が私たちの生活の中にあふれている。
外来語・外国語は意味があいまいなので使用すべきではないという声も多い。しかし、ローバル化する現代では、既存の日本語で置き換えにくい新しい概念や事象を表す上で、外来語・外国語を使うのは仕方がないことだ。
一方、ある調査によると、若い世代は外来語・外国語使用の増加を容認し、使用する割合が高いが、年齢の高い世代ではその割合が低いそうだ。このような違いが、世代間のコミュニケーションの障害になるという心配もある。また、年齢が高くなってから利用機会が多くなる医療や福祉の分野で、外来語・外国語の使用が多いことも問題だ。外来語・外国語を使用する際には、相手が理解できるかどうかを考えることも大切だ。
(注)外来語・外国語:ここでは、片仮名語

(63)外来語・外国語の使用が避けられない理由として、AとBが共通して述べていることは何か。


(64)外来語・外国語のあり方について、AとBはどのように述べているか。


A
雑談はいろいろな意見を交換し合うことによって、ヒントを得ようというスケールの大きな場である。そこにいる誰もが自由に発言する権利を持っている。仮に自分とは反対意見であっても、まずは聞くという姿勢を保つこと、心理学のカウンセリングと同じである。
そして相手の発言に対して、自分の意見を軽い気持ちで述べる、それが雑談である。どんなに間違っている、バカバカしいと思われる意見であっても、いったんそれを受け入れること。「なぜあの人はこのような発言をするのか」と考えていくと、自分がそれまで見落としていたことがあることに気がつくこともある。
「話し上手は聞き上手」という言葉があるように、雑談では「いかに発言するか」よりも「いかに聞くか」が大切になる。

(多湖輝『人の心をつかむ「雑談力」情報が集まる「雑談力」』による)



B
雑談は無駄だという人がいるが、本当にそうだろうか。辞書を調べると「無駄話」という意味もあるが、「さまざまなことを気楽に話し合うこと」という意味もある。気楽な気持ちのとき、人は本音を話すものだ。バカらしいと思う話もあるかもしれないが、雑談の中から相手の人間性が見えてくる。
そうはいっても、気楽に話せる雰囲気を作るのは簡単なことではない。まずは、自分から話のきっかけになりそうな小さなエピソードを話そう。相手が話に乗って(注)きたと思ったら、そこで自分の本音を話してみよう。そうすれば、相手もやがて心を開いて話し始めるだろう。そうなれば、雑談も意味のある時間となる。
(注) 話に乗る:ここでは、話に興味を持つ

(63)雑談の良い点について、AとBはどのように述べているか。


(64)雑談をするときの姿勢について、AとBはどのように述べているか。