A
昨年ベストセラーとなった「解読|世界のニユース」が、内容を新たに2012年版として発売された。今年世界を賑わせた36の時事トビックが、いくつかの記事にわかりやすい解説を添えて取り上げられている。各国の新聞記事をベースとするスタイルは2011年版と同様だが、図表やコラムが大幅に加わった。記事の和訳に加え、新版では各ニユースのキーワードに英訳が付されており、英語学習やビジネスにも役立つ本となりそうだ。専門家が持論を展開する類の時事本とは異なり、本書では「解読」は読者が行うものというコンセプトが貫かれている。コラムも各著者による現地取材や体験談に紙幅が割かれ、いわゆる論説にあたる部分は短い。よリフラットな視点で世界に触れられる、おすすめの一冊だ。全225ペーン。

B
衛星放送で世界のニユースダイジェストを見るのが朝の日課になっている。新聞が読めればなおいいのだが、外国語となるとそうは簡単にいかない。そんな私にとって、本書「解読|世界のニユース2012年版」は強い味方といえる。政治・社会・文化・スポーツ・科学に関する世界の主要新聞社の記事を、なんと全訳付きで読むことができる。一面記事をはじめ、インターネットで検索数の高かったのニュースをセレクトし、それぞれを2~3点の記事、解説、コラムの3部で構成している。2012年版はフルカラーの図版もさることながら,幅広い著者陣によるコラムの充実が嬉しい。ただ、解説、コラムとも記事の背景説明を主としているため、問題の論点を手っ取り早く知りたい人には少々物足りないかもしれない。

(1)AとBのどちらにも共通して書かいている点はどれか。


(2)この本のコラムの特徴について、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。


(3)AとBから考えられるこの本の特徴はどれか。


 A
 「安楽死」というのは、さらに「積極的安楽死」と「消極的安楽死」の二つに分けられるらしい。前者は医者が腕弛緩剤(注1)などを投入することになって、患者を耐え難い苦しみから救い死に導くもので、後者は人工呼吸器を外すなど、延命措置を中止することで患者を死に導くものだ。前者を「安楽死」、後者を「尊厳死」と呼ぶ場合も多く、私も「安楽死」を前者の意味で捉えている。
 どちらも他者が患者を死に導く意味では共通しているが、後者の患者は人工的に生かされていた状況から解き放たれ、自然な死を迎えるのに対し、前者の患者は残された寿命を全うせず、人工的な死を迎えることになる。
 人間が生まれ、そして死んでいくのは自然の営みの一部である。その流れを人間の手で変えてもいいのだろうか。
 (注1)筋弛緩剤:筋肉の緊張をやわらげる薬

 B
 私がもし「安楽死」を選択肢の一つとして考えなければならなくなったとしたら、果たして自分の意思で冷静に残りの人生の生き方を選択できるのだろうか。それだけの体力と精神力が残っているのだろうか。
 「安楽死」という字面を見ると、「安らかに楽に死ねる」ように思うが、それは「安楽死」を経験した者、つまり、死した者にしかわからない。実際は患者の介護に疲れた家族や、医療費を支払えない息者を入院させている病院が「安楽」になれる「死」なのかもしれないと、時折疑間を抱く。
 私だって、死ぬのは怖い。死を迎える時、どんな痛みや苦しみに襲われるのか想像もつかない。しかし、その死が自身の命の火が尽きる前に人為的にもたらされるものだと知った時、私は死の直前の苦しみの中で一体何を思うのだろうか。

(1)「積極的安楽死」と「消極的安楽死」について、Aの筆者はどのように考えているか。


(2)「安楽死」について、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。


(3)AとBの二つの文章を以下のようにまとめる場合、①と②にはどれが入るか。
「Aの筆者は( ① )と考えており、Bの筆者は( ② )と考えている」


A

 国際オリンピック委員会(IOC)は2日、2020年夏季五輪(ごりん)の立候補都市が決まったと発表した。立候補したのは、東京、ローマ、マドリード、イスタンプール、ドーハ、パクーの6都市。開催都市は、2013年9月に開かれるIOC総会で決定する。
 東京は、2016年夏季五輸に続き、2大会連続の立候補となる。石原都知事は6月17日の都議会で「(東日本大震災から)9年後の日本の姿を披瀝(ひれき)(※l)すれば、世界中から寄せられた友情や励ましへの何よりの返礼となる」と述べた。前回は招致(しょうち)(※2)の明確なテーマを打ち出すことができなかったが、今回は五輪を「東日本大震災からの復興のシンボル」と位置づけることで、国内外からの支持を広げる考えだ。

(2011年9月3日東京政経新聞)




B

 2020年夏季五輪の立候補都市が2日決まった。東京の五輪招致について、弊社が独自にアンケートを行つたところ、2,512人(男性性1,741人、、女女性性771人)から回答が得られた。招致について「賛成」52%、「反対」48%と、賛否(さんぴ)真っ二(まっふた)つに分かれる形となった。
 賛成派の意見は、「女子サッカーのワールドカップ優勝が日本に元気と勇気を与えた。今こそ日本国民が団結して復興五輪を盛り上げたい」「多くの選手や関係者が来日するので、経済効果が十分に期待できる」などだ。一方、反対派は「国や東京都の財政負担が増えるだけ」「今は五輪招致よりもするべきことがある」という考えだ。
 国際オリンビック委員会は2012年5月の理事会で立候補都市の一次選考を行い、13年9月の総会で開催都市を決定する。

(2011年9月15日全日新聞)



(※1)披透:包み隠さずに打ち明けること
 (※2)霜長:招くこと、招き寄せること

(18)AとBのどちらの記事にも触れられていない内容はどれか。


(19)東京の五輪招致について、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。


(20)2016年の夏季五輪招致に失敗した原因として、記事で触れられているのはどれか。


 A

 最近、昼寝の効果についての研究が盛んに行われている。これらの研究によると、昼寝には、疲労回復・事故の予防・作業効率の上昇などの効果があるという。
 人間が昼食後に限くなるのは、生体(せいたい)(※1)リズムによるもので、昼過ぎに小さな眠気のピークが来るとされている。ちょうど大や猫が食事をした後に横たわつて眠ることが多いのと同じように、人間が昼食後に眠気を感じるのも自然な生理現象なのだ。
 それでは、適当な昼寝の長さはどれぐらいか。研究によると、15~20分程度だという。人が眠りにつくと最初の15~20分が浅い眠り、それ以上が深い眠りとなり、浅い眠りは脳をリフレッシュ(※2)させるが、深い眠りは眠気を強く残してしまうからだ。特に運転時は居眠り運転につながりやすいので注意が必要だ。


B 

 昼食後に眠くなることは誰にでもありますよね。そんな時は眠つてしまうことをお勧めします。眠気を我慢して仕事をするより、頭がすっきりしてミスが減り、ストレス解消にもなるのです。
 こうした昼寝の効果を得るうえで、いくつかポイントになることがあります。まず、熟睡(じゅくすい)(※3)はダメです。20分程度が昼寝に適した時間で、211分間座ったまま目を閉じるだけでも十分効果的です。次に、時間は午後2時ごろがベストです。逆に、午後3時以降の昼寝は夜の睡眠によくない影響を与えかねないので、避けるようにしましよう。最後に、昼寝の前にコーヒーを飲むと、すつきり目覚められます。カフェインには眠気覚(ねむけざ)ましの効果があり、それが効いてくるのが摂取(せっしゅ)後(※4)30分ごろなのです。つまり、昼寝から目覚めるころには効いてきて、その後は頭もすっきり()えている、というわけです。
 (※1)生体:生きているもの、またその体
 (※2)リフレッシユ:元気を回復させること、気分を新たにすること
 (※3)熟睡(じゅくすい):ぐっすりとよく眠ること
 (※4)摂取(せっしゅ)後:栄養物などを体内に取り入れてから

(18)AとBの文章から、昼寝にはどのような効果があるといえるか。当てはまらないものを選びなさい。


(19)AとBの二つの文章を以下のようにまとめる場合、①と②に入るものの組み合わせとして適切なのはどれか。
 Aの筆者は( ① )について述べ、Bの筆者は( ② )について述べている。


(20)AとBの文章の内容と合っているものはどれか。


A
大学教育は職業育にもっと力を入れるべきである。学生に早くから自分の仕事に対する適性や考え方を見極めさせ、自分にあった職業まを選ぶ能力を身につけさせることが必要だ。不況が続く中、企業は新入社員を企第内で研修し育成する余力がなくなってきている。したがって、学生に期得されるものは学術研究で得た学識よりも、即戦力となる実践的な能力や技術である。それゆえ、社会ですぐに通用する能力を養うためのカリキュラムを作成することが大学に求められている。企業で活躍するエキスパートを講師として招くなどの試みもするべきだろう。今後の大学には、将来を担う若者を企業と共同して育てていく役割があると私は考える。

B
大学教育はあくまで学術研究に主眼をおくべきである。学術研究が社会に出てすぐに役立つとは限らないが、長い目で見れば、将来の社会を担う若者の育成につながるはずだ。実践的な即戦力をつける役割は専門学校に任せればよいと思う。近年、企業の採用活動が早期化するとともに、大学生の就職活動も早期化し、これが大学教育に弊害をもたらしている。3年から就職活動のために授業を欠席する学生が増えている事実。また、早期に就職が決まった学生の学習意欲の低下などが間題になっている。大学は就職の準備をする場ではない。大学生の学力の低下も指される今、大学教育がなすべきことは、世界に通用する水準の学識を若者たちに与えることであり、それを阻害するような状況あれば、企業とも連携しながらそれを改善していくべきだろう。

(1)AとBのどちらにも触れられていることはどれか。


(2)就職活動の早期化が学第にどんな影響を与えていると言っているか。


(3)社会に出てすぐに通用する即戦力を大学でつけることについて、Aの筆者とBの筆者はどのように立場をとっているか。


A

先日、息子の通う小学校で保護者会が行われ、子供に携帯電話を持たせることの是非について議論が行われました。携帯電話を授業中に使ったり、インターネットで有害なサイトを見てしまったりするというマイナス面についての意見が多く出た一方で、ここまで携帯が普及しているからには、これをむやみに禁止するのも考えものだという意見も出て、議論が白然しました。私は、息子に、居場所がわかる機能が付いた携帯電話を持たせています。小学生が遠距離通学をするという状況では何が起こるかわからないのが今の世の中です・犯罪や事故から子どもを守りたいと思うのは親として当然でしょう。もちろん、携帯電話を持っていれば安全が保障されるというわけではありません。でも、持っていないよりは不安感が少ないのではないかと考えてのことです。どもを守る自術手段は、今のところ携帯電話以外にはないのではないでしょうか。(東京都在住 K・T)

B

小学校五年生の娘を持つ母観で学校や塾への行き帰りに何かあったら、と思って娘に携帯電話を持たせましたが、最近、彼女が携帯電話に依存しすぎているのでは、と心配になっています。電話を肌身離さず持ち歩き、食事の時でも画面から目を離さないのです。ひどい場合は、お風呂にまで持ち込んで画面を見ています。最近、子どもに携帯電話を与える親が増えているということです。帰りが遅くなる時や緊急の連絡にはこれがあれば安心だと考えてのことでしよう。確かに一応の安心感はありますが、いざというときにどれまどの力を発揮するでしょうか。期待はほとんどできないと私は思います。家の中でも離さないのですから、教室でも使っているのではないか、勉強に集中できないのではないか、成績が下がってきたのはそのせいではないのかなどと心配も広がります。いっそのこと娘から携帯電話を取り上げてしまおうかとも思うこのごろです。 (神奈川県在住 K・N)

(1)AとBのどちらにも触れられている内容はどれか。


(2)携帯電話を持つことの効用についてA、Bはどのように考えているか。


(3)子供に携帯電話を持たせることについて、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとうているか。


 <Aの意見>
電車に座っていて一番困るのは、自分の前に立っている人が「お年寄り」なのかどうか判断に迷うときだ。以前、前に立った女性に席を譲ろうと声をかけたら、「私はそんな年寄りじゃありません」と怒られたことがある。観切のつもりが断られ、しかも怒られてしまい、人に観切にするのは難しいものだと、つくづく思った。よく新間で席を譲らないのことが非難されているが、彼らの中には私と同じように速ったあげく、老人扱いしない方が相手を傷つけないと判断した人がいるかもしれない。しかし、先日この話を友人にしたところ、「席を訳らない観切」は本当の観切ではなく、ただ自分が不愉快な思いをしないための言い訳じゃないかとはわれた。そう言われてみると、確かに私は、相手を老人扱いして傷つけるのを避けているのではなく、観切にしたつもりが相手に迷惑がられることを恐れていたのかもしれないく。
 <Bの意見>
 席を譲らない若者が目をつという声がしばしば聞かれる。その多くが、今の日本の社会には礼儀や道徳心がすたれてしまったといている。しかし一方で、若者の多くがお年寄りに席を譲ろうとして断られた経験が少なからずあるという。間題は、若者の礼儀や道徳心の欠如というより、他者と関わろうとする意欲の低下ではないだろうか。初対面の相手が何を望んでいるかを察するのは難しい。自分は観切のつもりでしたことなのに、相手の意に沿わないということもあるだろう。しかし、わずらわしい思いをしたくないと思うあまり、他社との関わりをもつことを避けてしまうのはよくない。「断られてもいい」と思って、家族や友人に向けるような親切を他者にも広げていけばいい。そうしないと、この社会の空気は、乾いた温かみのないものになってしまう。席を譲ることは小さな行為だが、勇気をもって他社との関係を築く一歩(いっぽ)になるものだと思う。

(1)AとBの両方が触れている内容はどれか。


(2)お年寄りに席を譲ることについて、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。


(3)AとBは、それぞれ何を間題としているか。


A
 難しい漠字を多く含む196字が追加された改定常用漢字表。学校現場でいつからどう教えるか、という大きな課題に対し、文部科学省は、中学から読みを、高校で書くことを中心に指導する方針を打ち出した。(中略)
 「高校で主なも のが書ける」と いうこれまでの目標は踏襲し、「主な」漢字が何かは、各校 の判断に任せるとした。入試では、書かせる問題に偏らな いよう求めたものの、明確な歯止めは示していない。
 もし、入試でことさら難しい漢字を取り上げる傾向になば、学校でも、必要以上に書くことの指導に力を割くことになりかねない。現場の教員からは 「授業時数が限られる中、200字近 い漢字の増加自体、生徒にも教師にも大きな負担だ」との声も上がっている。学習を助ける教材などの開発が急がれる一方、入試については何らかの歯止めを示すことも検討課題だろう。

(二〇一0年九月二五日 読売新聞による)

B

 常用漢字表が改定され、これまでの千九百四十五字から二千百三十六字になった。パソコンの普及で自分では書けな いような漢字に触れる機会が増えたためで、その分、難しい漢字も多く盛りこまれた。
 ゆとり教育を見直し、学習すべき内容が全体的に増えている中、漢字が一割も増えたら、教師や生徒は戸惑うだろう。とはいえ、府県名など今ま で使えなかった漢字が使えれば生活が便利になるし、善く側には難しい字でも読む側には一日で意味がわかり、負担ばかりだとは言いきれない。
 漢字は言語生活に欠かせない重要なものであり、その時代に合わせた漢字が必要になる。この常用漢字表改定を機に、生活に必要な漠字について改めて考えてみたらどうだろうか。

(63)AとBのどちらの記事にも触れられている内容はどれか。


(64)「新常用漢字表」について心配されていることは何か。


(65)AとBは「新常用漢字表」についてどのような立場をとっているか。


A

「目は口ほどにものを言う」ということわざがあるように、人間どうしのコミュニヶーションにおいては、目と目を合わせることが重要です。「アイコンタクト」が、お互いの存在を認め合っているというシグナルになっているのです。相手が目を合わせようとしない場合、自分のことを嫌っているのではないか、何か怒っているのではないかと心配になります。アイコンタクトを通して、私たちはお互いの存在を確認し、是認しているのです。
 新生児と母親とのコミュニケーションにおいても、アイコンタクトは重要です。新生児は、生後すぐに母親が見つめて微笑みかけると、微笑みかえすことが知られています。もちろん、まだ日ははっきりとは見えていないわけですが、そこには緩いかたちでのアイコンタクトが成立しているのです。

(茂木健一郎『「脳」整理法』ちくま新書による)

B

 私たちの周りでは、よく次のような光景が見られる。
 待ち合わせに遅れてきた女が男にこういう。「ごめん。怒ってる?」
 男は「怒った」といいながら目が笑っている。こういう場面は、怒っていない。
 逆に、「怒っていない」といいながら、目が怒っている場合がある。こちらの場
合は怒っている。
 目は口よりも雄弁に語っている。
 語るのは、日だけではない。態度も同じだ。
 頬杖ほおづえ)をついている男がいる。隣にいる女が「真面目に関いているの?」と)く。男は「ああ、聞いているよ」と答える。実際は聞いていない。心ここにあらずである。
 こういう場面に遭遇すると、言葉はまったく当てにならない、と私たちは思う。

(鮨内一郎 『人は見た目が9割』新潮新書による)

(63)AとBの文章で共通して言っているのは、どのようなことか。


(64)Aの筆者は、新生児と母親とのコミュニケーシヨンについて、どう考えているか。


(65)AとBの文章をまとめる場合、①と②に入るものの組み合わせとして適切なものはどれか。

「コミュニケーションにおいて、Aの筆者は( ① )と考え、Bの筆者は( ② )と考えている。」



 テレビや新聞などで年々深刻化するごみ問題が取り上げられている。例えば一般的な家庭ごみとして、生ごみのほかにも食品容器や商品などの過剰包装による廃棄物が多く見られるという報告がある。最近では指定されたごみ袋を買ってごみを捨てたり、客に買い物袋の持参を促したりする動きがあるが、ごみの量に変化は見られない。もし、自治体が家庭ごみ一個の収集につき〇〇円と有料化すればごみは減るかもしれない。ごみ自体の廃棄にもお金がかかるようになれば、誰もがごみを出す前に考えるようになるだろう。そうなれば消費者は不必要な包装を断り、使用可能な物まで捨ててしまうことも減尐するのではないだろうか。


 現代社会は数十年前と比較にならないほど便利な生活が可能になった。しかし、不要になったものを再利用することよりも便利さを優先してきた結果、家庭ごみは増え続ける一方だ。家庭ごみを減量するため、現在、ごみ袋を有料化し消費者が処理費用の一部を負担することになっている。しかし、それだけでは不十分であり、所定の場所でのごみの収集にかかる費用を消費者に負担させようと言う意見も出ているが、そうなればごみを所定以外の所に隠れて捨てるおそれも出てくる。このような問題を解決せずに安易にこれを実行に移すのには賛成しかねる。物が生産され、消費者が購入し、不要なものは廃棄されごみになるという循環を考えると、新しい製品を次々と作り出す生産者も、それに慣れ切ってしまった消費者も便利さに対する意識を変える必要があるのではないか。

(63)AとBが共通して問題だと指摘していることは何か。


(64)家庭ごみ収集の有料化についてAとBはどのように述べているか。


(65)ごみ問題についてAとBはどのように考えているか。