生老病死をなぜかみな嫌がります。できれば考えたくない。そこでどうするかというと、たとえば人間が生まれるのも特別なことだから、病院へ行ってくれというのです。そうして、お産は現在ほとんど病院で行われている。(中略)
 生老病死の最後の死ぬところですが、これも都会ではもう90%、いや99%の人が病院で亡くなります。私の母は、95年の3月、自宅で死にましたが、いつの間にか死んでいました。しかし大半の人々は病院で死にます。このように死ぬ場所が病院に移ったのはここ25年の傾向で、急速にそうなりました。以前は半分以上が自宅で亡くなっていました。では、自宅で亡くなることと、病院で亡くなることの違いは何か――。これは、我々が普通に暮らしている[ A ]の中に、[ B ]がなくなってしまったということなのです。だから、死が特別なことになった。そして特別なことは特別な場所で起こることになったのです。
 そんな現代は、よくよく考えてみると、大変な異常事態なのです。生老病死というのは、人の本来の姿です。こっちが先で、何千年何万年も続いてきた間違いのないことなのです。都市よりも文明よりも何よりも先に生老病死があつた。だから私はこれを「①自然」と呼ぶのです。人の一生は好きも嫌いもなく時期経過とともに変化していく。それが自然の姿なのだと私は思う。なのにいまは自然つまり本来の姿であるほうが異常になってしまった。
 かけがえのない未来を大切にしていない典型的な例をあげてみます。私は95年の3月に東大(注)をやめました。正式には94年の9月の教授会でやめることが決まりました。教授会のあと同僚の病院の先生が来られて、「先生、4月からどうなさいますか」と話されるのです。「3月でおやめになるそうですね」「やめます」「4月からどうされるのですか」。これは、勤めはどうするのですかという質問です。私は「私は学生のときから東大の医学部しか行ったことがないので、やめたら自分がどんな気分になるかわかりません」と申し上げました。「やめてから先のことはやめてから考えます」と。するといきなり「そんなことで、よく不安になりませんな」と言うのです。思わず「先生も何かの病気でいつかお亡くなりになるはずですが、いつ何の病気でお亡くなりになるか教えてください」と言い返してしまいました。「そんなこと、わかるわけないでしょう」と言うから、「それでよく不安になりませんな」と申し上げました。
 ここで②はっきりわかることがあります。特に東大のお医者さんです。大学病院ではしょっちゅう患者さんが亡くなるので、人が死ぬということが、自分の仕事の中にきちっと入っています。ところがそういうお医者さんが、自分が死ぬということに現実感を持っていない。自分が病気になって死ぬことよりは、勤めをやめたりやめなかったりする、そのことのほうがよほど重要なことだと思っているのです。

(養老孟司「かけがえのないもの」白日社による)

(注)東大:東京大学

(59)[ A ]と[ B ]に入る言葉の組み合わせはどれか。


(60)筆者が①自然と考えるものはどれか。


(61)筆者は、どんなことが②はっきりわかると言っているのか。


(62)筆者の考えに最も近いものはどれか。


 さて①現代を生きる人間が立ち向かうべきは、いったいどんな「自然」なのだろう。
 人間を生み、育てた原風景は間違いなくあの懐かしい生物的自然だ。この自然に人間は何百万年も生きてきた。けれどもその生物的自然は、残念ながらこの地球にはもう存在しない。その再生も不可能だ(ただし人間という生物がこの地上からいなくなれば、まもなく豊饒ほうじょうな生物的自然は再生してくるだろうが)。とすれば②人間的自然しかない。好むと好まざるとにかかわらず、人間は自分自身が創り上げた自然の中でしか生きていけない。けれどもそれは、人を現実から逃避させる情報的自然でも、限りある化石燃料に依存した工業的自然でもない。僕たちの相手は、結局農業的自然しかないと覚悟すべきだ。
 人間は自然(環境)の刺激により育つ。与えられる刺激は多様な程良い。何しろ人間のカラダには、何十億年という時間をかけて培われた莫大な潜在能力があるのだから。それを引き出すには、それだけたくさんの刺激が必要なはずだ。
 僕は人間が育つには、周りに色々な人間がいて、色々な事物が渦巻いていることが大切だと思っている。特定の人しかいず、特定の物しかなく、特定の事しか起きない世界は、③人間にとって貧しい
 でも今のこの国ではどこに行っても、④町や村はある特定の機能を押し付けられている。例えば僕の住む東京都下は、都心で働く人間のねぐらを提供するよう押し付けられている。
 農村部でも同じだ。そこでは大都市向けの農作物を作ることがまず要求される。しかもカボチャしか、大根しか作らないというようにはっきりと分業し合っている。そういう所で育つ子供たちは、白菜しか見たことがない、豚の鳴き声しか聞いたことがないという具合に、学ぶことが少ししかない。
 地域に与えられた特定の役割を打破することこそ、「地方分権」だと僕は思う。分権とは政治的権限が中央から地方に委譲されることだが、そのことは同時に、これまで中央や国家を支えるためだけだった地方が、何はともあれ自分自身を支えるためのものとして脱皮する、そんなものでなければ意味がない。ともあれ、「混在型の世界」でこそ人はよく育つと、僕は言いたいのである。

(明峯哲夫「べ物自給区」二十五年」

河合年雄・上野千鶴子編「現代日本文化論8欲望と消費」岩波書店)

(5)筆者は、①現代を生きる人間が立ち向かうべきは、いったいどんな「自然」だと考えているか。


(6)②人間的自然とは、こではどういうことか。


(7)筆者が考える③人間にとって貧しいとは、どういう意味か。


(8)④町や村はある特定の機能を押し付けられているとあるが、それはなぜか。


 新国立劇場俳優研修所の研修生の選考基準を一言で、といわれてもそう簡単に答えられるものではありません。実際、選考方法も数名の委員で何度も討議を重ねています。特定の作品のオーディションならば、はじめから選考する作品のそのキャラクターが決まっていますから、たとえ何千人と会おうが、ある程度見た瞬間に①選ぶことは可能でしょう

 ところが研修所では十年後を見据えなければなりません。今、せりふを上手にしゃべることができても、それがいったい何になるのでしょう。高校を卒業したばかりの初々しい十八歳から小劇場を二つくらい経験してきたような三十歳までが集まっています。

 せりふを小器用にこなし、敏捷に体を動かせたりすることではなく、基本的にその人間としての輝きを見ること、その輝きが消えることのない情熱によるものとしか答えようがありません。三年間の基礎訓練のなかで、その人が自分をどう見つめ、鍛えていくのか、その後、より大きくなったその人がプロの俳優としてどのような方向へ進んでいくべきなのか、それも同時に考えておくべきことなのです。

 また、俳優としての基本的な技術だけを身につけても、それだけではまだ俳優ではありません。自分自身の表現のための確かな演技力と同時に、人間への観察と洞察を続け、世界への理解を深めていかなければ「俳優」にはなれないのです。

音楽家が楽器を使いこなす技術だけを身につけたうえで、そこから自分の音楽をつくり上げていくように、俳優にも技術力と同時に、表現力と想像力が必要になってくるのです。そこで毎回違った自分と出会うためのレッスンが持続的に必要となり、粘土細工のように一つのカタチをつくってはその歪みに気づいて崩すという作業が繰り返され、いろいろな表現の可能性の幅を広げていくことが、新しい作品と出会うたびに求められるのです。

 では「努力は才能を超えるのか」という問いに対して、「素質の発見」が必要だと答えます。誰もが、必ず何かの素質を持っているはずであって、あるときはそれを自分で発見できるように導いてやることも必要でしょう。しかし、自分で自分を見つけることを教える教則本などは、ありません。自分が足を前に出さない限り、教師がいくら動いて見せても無駄であるように。

 演劇がどんなに好きであっても、俳優に向いていないこともあります。(中略)また、演劇の仕事を断念し、故郷に戻る人もいるでしょう。しかし、その場合でも、その人たちが故郷に帰って、いい観客になる。もちろん演劇を教える教師を志す人が出るかもしれない。そうやって②間口が広がっていくことで、大切な演劇人が広がっていくことにもなるのです。

(栗山民也『演出家の仕事』岩波新書による)

(1)①選ぶことは可能でしょうとあるが、何を選ぶのか。


(2)筆者は、俳優研修所の研修生の選考基準は何であると述べているか。


(3)②間口が広がっていくとあるが、どういう意味か。


(4)筆者が述べていることと合っているものはどれか。


 かつて大人たちは、子どもたちがゲームやテレビアニメに熱中しているのを見ると、「現実とヴァーチャル世界の区別のつかない人間になってし まう」と心配した。そして、時に子どもたちが信じがたい、残忍な犯罪を起こすと、「ゲームやアニメの世界で簡単に人が死んでいくのを見てきたから、現実世界でもゲーム感覚で簡単に人を殺すようになった」とマスコミは書きたてた(注1)。

 しかし、当時そういった、いかにも短絡的(注2)で、ステレオタイプな論調を耳にするたびに、「いくらゲームやアニメ漬けの生活をしていたとしても、実際に現実とヴァーチャルの区別がつかなくなり、シューティングゲームで敵を殺すように、簡単に生身の人間を殺してしまうなんてことは、まずあり得ない」と、多くの人は思っていたはずだ。

 (中略)しかし、①どうやらそうではないらしいことが、しだいに明らかになりつつある。

 日本人は、戦後一貫して、アニメ、ゲーム、キャラクターに囲まれる生活をしてきた。そして、キャラクターとの間にもはや抜き差しならない(注3)ほど強い精神的な絆を結んでいる。その中で、「キャラ化」の感覚は常に、ぼくらと寄り添い、身体化し続けているのだ。

 キャラクターだけでなく、高度情報化の包囲網もぼくらから「現実世界」との接触を奪いつつある。

 一九九〇年代以降のインターネット、携帯電話の急速な普及は、高度情報化社会を一気に生活レベルにまで浸透させた。今では、多くのビジネスマンは日々パソコンの前で生活し、他の多くの人たちも携帯電話から目が離せない生活を送っている。実際、電車に乗ると、半数以上の人が携帯電話の画面を覗き込み、メールかゲームに興じている。

 これは、もはや②当たり前になってしまった日常風景なのだが、少し引いて見てみると、ある種異様な光景でもある。彼らは、本当に「現実世界」を生きているのだろうか。かりそめの(注4)身体はそこにあったとしても、意識そのものはすでに③仮想現実社会で暮らしているのではないのか。そう感じてしまうのは、僕だけではないような気がする。

(中略)

 日常的なコミュニケーションの多くも、今では対面ではなく、メールや電話で行うことが当たり前になっている。実際には一度も会うことなく、メールだけでことが済んでしまう相手だってめずらしくなくなってきている。

 いやむしろ、メール中心の、家庭現実的なコミュニケーションに慣れてしまうと、実際に対面して行うコミュニケーションが億劫(注5)になったり、不快になったりするといった経験をした人も少なくないはずだ。

 メールが中心となるコミュニケーションの相手は、もちろん現実の存在ではなく、情報としての対象である。つまり、おもしろいことに、ぼくらは現実の存在(対面する相手)よりも情報としての対象(メールでの相手)のほうに親近感を持ったり、愛着を覚えたりしているということなのだ。

(相原博之『キャラ化するニッポン』講談社現代新書による)


(注1)書きたてる:新聞や雑誌などが盛んに書く

(注2)短絡的:本質を考えずに原因と結果を結びつけること

(注3)抜き差しならない:どうすることもできない

(注4)かりそめの:本当ではない一時的な

(注5)億劫:面倒で気が進まない

どうやらそうではないらしいとあるが、そうとは何を指しているか。


当たり前になってしまった日常風景の例として正しいものはどれか。


ここでの③仮想現実社会の説明として正しくないものはどれか。


本文の内容と合っているものはどれか。


 テキストを一段落ずつ生徒に声を出して読ませるということは、日本の学校の国語の授業でも度々行う。

 「はい、○○君、良く読めましたね。では、△△さん、次の段落を読んでください」となる。ところが、ソビエト学校の場合、一段落読み終えると、その内容を自分の言葉で掻い摘んで話すことを求められるのだ。かなりスラスラ文字を読み進められるようになり、おおよその内容も理解できるようになった私も、この掻い摘んで話す、ということだけは大の苦手だった。当然、絶句してしまい先生が諦めてくれるまで立ち尽くすということになる。非ロシア人ということで大目に見てくれていたのだ。

 ところが、ドラゴンは執念深かった。なかなか諦めてくれない。しかし、十二分に楽しんだはずの本の内容を話して聞かせようとするのだが、簡単な単語すら出てこないのである。俯いて沈黙するわたしに、ドラゴンは助け舟を出してくれた。

 「主人公の名前は?」

 「ナターシャ……ナターシャ・アルバートヴァ」

 「歳は幾つぐらいで、職業は?」

 「ハチ。ガッコウイク。ニネン」

 「ふーん、八歳で、普通学校の二年生なのね。それで」

(中略)

 わたしの話を聞き取ることに全身全霊を傾けている、ドラゴンの獰猛に輝く青緑色の瞳に吸い込まれるようにして、わたしは何とか本のあらすじを最後まで話し、さらには作者のメッセージを曲がりなりにも(注1)言い当てることができた。それでもドラゴンは飽き足らず、二冊目の本について話すよう催促し、同じような執念深さで聞き取っていく。ようやくドラゴンから放免されて図書室から出てきたときは、疲労困憊して朦朧とした意識の中で、金輪際(注2)①ドラゴンの尋問は御免被りたいと思ったはずなのに、まるで肉食獣に睨まれて金縛りにあった小動物のように、わたしは図書館の本を借り続けた。そして、返却するときにドラゴンに語り聞かせることを想定しながら読むようになった。活字を目で追うのと並行して、内容をできるだけ簡潔にかつ面白く伝えようと腐心(注3)しているのである。

 (中略)

 ある日、国語の授業で、声を出して読み終えた後、国語教師はいつものように期待せずに、②形だけの要求をした。

 「では、今読んだ内容を搔い摘んで話して下さい」

 わたしは自分でもビックリするほどスラスラとそれをやってのけた。いつのまにか、わたしの表現力の幅と奥行きは広がっていたのだった。国語教師もクラスメイトたちも、しばし呆気にとられて静まりかえった。

 (米原万里「心臓に毛が生えている理由」角川文庫による)



(注1)曲がりなりにも:不完全だが。完璧ではないが一応。

(注2)金輪際:決して。絶対。

(注3)腐心する:ある目的のために一生懸命になること。苦心する。

(1)日本の学校とソビエトの学校の違いについて、筆者が述べていることは何か。


(2)「ドラゴン」は、どんな人だと考えられるか。


(3)①ドラゴンの尋問とあるが、「尋問」の目的として最も考えられるものはどれか。


②形だけの要求をしたとあるが、なぜか。


 心は目に見えない。だから客観的に知ることはできない。ならば、心とか意識なんて面倒なことを考えるよりも、目で見える、定規で測れるものだけを考えることにしよう。そう考える人がいても不思議ではない。行動主義(注1)心理学と呼ばれるこの流派では、サルやネズミなどにレバー(注2)押しなどの行動を訓練し、その行動から動物の心を探っていく。しかし動物に「まずはレバーを押してみてください」と頼むわけにはいかない。例えば、初めて実験室につれてこられたサルは、そもそもレバーにさえ気づかないからだ。では、サルにどうやってレバーを押させるのか?ポイントは二つ。ひたすら待つ。そして尐しずつ目標に近づける。
 例えば、サルが尐しでもチラッとレバーを見たとする。そこですかさずエサを与える。これを何度か繰り返すと、サルの注意が次第にレバーに向いてくる。ここでいったんエサやりを止める。するとサルは、うろつきまわったりキョロキョロしたり、色々なことを試し始める。ここが我慢のしどころ。試行錯誤の中、サルの手がレバーに伸びるのをじっと待つ。そして手が尐しでも伸びれば、すかさずエサを与える。こうして、適切なタイミングでエサをやりながら、尐しずつ目標の行動に近づけていくのである。
 私はこのやり方を、大学院生の頃、助手の先生に教わった。それは教科書に書いてあるとおりのことだった。が、実際にやってみると、それは衝撃の体験だった。エサやりのボタンを右手に持ち、白黒のモニターごしに、サルの行動をじっと見つめる。 私はサルに念じていた。「振り向け、レバーに振り向け」。伝わらない思いを伝えたい。ふいにサルがレバーに近づく。と、すかさず「エサやり」というメッセージを送る。それは紛れもなく(注3)コミュニケーションであった。この訓練をずっとやっていると、徐々にサルの気持ちがつかめてくる。そして、気持ちがつかめてくると、訓練は格段に早く進む。行動だけを見よといいながら、その実(注4)、うまく訓練するにはサルの心がつかめていなければならないのだ。心は行動からしかつかめない。しかしそれがつかめたとき、手の中にサルの心があるように思えてくる。そのとき私は、学問の本当に大事なことは、教科書には書いていないことを知ったのだった。

(金沢創「心体観測 2009年2月8日付朝日新聞日曜版による)


(注 1)行動主義心理学:人間や動物などの行動を観察して研究する学問。
(注 2)レバー:機器を操作するときにつかんで動かす棒。
(注 3)紛れもなく:間違いなく。
(注 4)その実:実際には。

(59)サルにレバー押しをさせる目的は何か。


(60)この実験室内の訓練で、人間はサルに対してどのように対応しているか。


(61)そのときとは、どんなときか。


(62)筆者がこの訓練をして分かったことは何か。


 我が身が生涯に望み、知りうることは、世界中を旅行しようと、何をしようと、小さい。あきれるくらい小さいのだが、この小ささに耐えていかなければ、学問はただの大風呂敷(注1)になる。言葉の風呂敷はいくらでも広げられるから、そうやっているうちに自分は世界的に考えている、そのなかに世界のすべてを包める、①そんな錯覚に捕らえられる。木でいい家を建てる大工とか、米や野菜を立派に育てる農夫とかは、そういうことにはならない。世界的に木を削ったり、世界標準の稲を育てたりはできないから、彼らはみな、自分の仕事において賢明である。我が身ひとつの能力でできることを知り抜いている。学問をすること、書物に学ぶことは、ほんとうは②これと少しも変わりはない。なぜなら、そうしたことはみな、我が身ひとつが天地の間でしっかりと生きることだからだ。
 人は世界的にものを考えることなどはできない。それは錯覚であり、空想であり、愚かな思い上がりである。ただし、天地に向かって我が身を開いていることならできる。我が身ひとつでものを考え、ものを作っているほどの人間なら、それがどういう意味合いのことかは、もちろん知っている。人は誰でも自分の気質を背負って生まれる。学問する人にとって、この気質、農夫に与えられる土壌のようなものである。土壌は天地に開かれていなければ、ひからびて(注2)不毛になる。
 与えられたこの土を耕し、水を引き、苗を植える。苗がみずから育つのを、毎日助ける。苗とともに、自分のなかで何かが育つのを感じながら。学問や思想もまた、人の気質に植えられた苗のように育つしかないのではないか。子供は、勉強して自分の気質という土を耕し、水を引き、もらった苗を、書物の言葉を植えるのである。それは、子供自身が何とかやってみるほかはなく、そうやってこそ、子供は学ばれる書物とともに育つことができる。子供が勉強をするのは、自分の気質という土壌から、やがて実る精神の作物を育てるためである。「教養」とは、元来この作物を指して言うのであって、物識り(注3)たちの大風呂敷を指して言うのではない。

(前田英樹『独学の精神』による)


(注1)大風呂敷:実際より大きく見せたり言ったりすること
(注2)ひからびて:乾ききって
(注3)物識り:物事をよく知っている人

(59)①そんな錯覚に捕らえられるとはどういう意味か。


(60)②これとは何を指すか。


(61)この文章では、学問をするということをどのような例を使って説明しているか。


(62)筆者は「教養」をどのようなものだと考えているか。


以上は、筆者が著書の中で「哲学の役割」について書いたものである。

 ここで大切なのは、とりわけ科学の意義と限界をしっかりと見定めて、人間的知の全体をほんとに見渡しうる哲学的知の立場を我がものとすることにある。というのは、科学的知は、二つの限界を持ち、その限界内でしか意義を持たないからである。
 一つには、科学的知は、対象を突き放して、第三者的立場で、自分に関わのない客観的事象として眺め、しかも、必ずそのつど、特定の観点からだけ対象を扱い、自分が関心を持つ側面だけを取 しゃしょうり上げ、それ以外の局面を捨象し(注)、決して対象の全体を見ようとはしないのである。だから、科学が進むと、細分化が必至となり、隣の研究室でやっていることが、お互いにはまったく分からなくなる。専門化と特殊化が、科学の運命であり、いかに学際化が叫ばれても、根本的には①この傾向には歯止めが利かない。それはちょうど、近代的病院で、病気を扱う諸部門が、外科や内科等々として、細かく分かれ、人間全体を扱ってくれる部署が存在しないのと、同様である
 二つには、科学的知は、対象を、自分と無関係な事柄として扱う客観性がその特色をなしているので、そこでは、私たちが、自己として、主体的に決断して実践的に生きてゆく行為の問題を、本質的に扱うことができないのである。というのも、ある状況のなかで、いかに生きるべきかをよく考え、決断し、行為してゆくためには、来し方行く末をよく熟慮して、もはや無い過去と、いまだ無い将来とを視野に収めながら、現在の状況のなかに突き入ってゆかねばならない。しかし、そのような無いものを視野に収めながら、記憶と期待の熱い思いを抱きつつ行為することは、知覚的に有る現在の事実に検証されることによってのみ確実性を得ようとする科学の実証性とは、まったく別個の事柄だからである。客観的な事実確認のみを大事と考える科学の次元と、人生の岐路に立って、右すべきか左すべきかに思い悩む行為者の立場とは、別個の事柄である。②科学は、いかに生きるべきかという後者の問題を、本質的に扱うことができないのである。
 したがって、科学とは別に、存在の全体を視野に収め、世界のあり方の原理的全体を考慮して、世界観の知を育むと同時に、そのなかで、人間はいかに生きるべきであるのかという、人間の主体的 な行為の根本を考究して、人生観の知を形成するところに、哲学的な知の本質的な成立根拠があることになる。哲学が愛し求める真実の知とは、こうした人生観・世界観の根本的にほかならない。

( 二郎 『現代の哲学』 による )


(注)捨象する:捨て去る

(59)科学的にもごとを見るとういうことを、筆者はどうのようにとらえているか。


(60)①この傾向とあるが、どうのような傾向か。


(61)②科学は、いかに生きるべきかという後者の問題を、本質的に扱うことができないとあるがなぜか。


(62)哲学的知の重要性はどこにあるか。


以下はある芸術家が書いた文章である。
 人間は動物とちがって知的な活動その情熱をもっている。おさなくたって魂の衝動は強いのだ。だから子供は描きたがる。形色にして確かめる。だが問題は自分のなかにあるものを外に突き出す投げ出すという行為自体であって決して出来上りの効果ではない。
 だから子供は描きおわってしまったものはふり向きもしない。捨てられたって何とも思わないのだ(中略)それを大事そうに拾いあげて「これは面白い。」「坊やは才能がある。これをうまく伸ばせば将来えらい画家になるかもしれない。」などと観賞したり評価するのはいつでも大人で子供自身はもしほめられてもそんなものかなと聞いているだけである。
 だから「子供の絵」というような言い方の根本に何か間違いがあると私は思う。描いたものには違いないが「作品」ではない。その以前のもっと根源的な何ものかなのである。
 「絵」などというから大人の「絵画作品」と混同して考えてしまう。そこにズレがおこる。大人のは見せる芸であり商品である。はじめから観賞することしてもらうことを目的とし結果を予測しながら作り上げたものなのだ。
 いわゆる「絵描きさん」となると描いている瞬間瞬間に結果がわかっている。こうやればこうなる。習練(注1)と経験によって色やタッチ(注2)の効果が計算できるし生命の衝動情熱無目的な行動よりも結果の方に神経が働いてしまう。出来ばえに逆にひきずり回されているのだ。
 しかも大向こう(注3)の気配まですでに見すかして……こんな趣向は喜ばれるだろうこれはちょっとやりすぎかななどと意識・無意識にそんな手応えにあわせながら仕事をすすめている。評判をとり買手がついてくれなければ食ってゆけないし社会が許さない。生活はきびしいのだ。無償の行為というわけにはいかない。 明らかに「作品」つまり「商品」を作っているのである。 大人の作品だって本質的には生命力こそ肝要なのだ。自分の存在を純粋に外に投げ出す突き出すアクションの質強さによって猛烈な魅力になる。
 私自身は少なくともそのつもりである。よくあなたの絵はわけがわからないと言われるが「絵」でございますというようなものは作りたくない。それ以前そして以後のものをひたすらつきつける。――絵ではなく芸術。そして出来るかぎり他の評価を無視したいと思っている。

(岡本太郎『美しく怒れ』による)


(注1)習練:練習
(注2)タッチ:ここでは筆の使い方
(注3)大向こう:ここでは観賞する人々

(59)捨てられたって何とも思わないのはなぜか。


(60)子供の描いたものが「作品」ではないのはなぜか。


(61)「絵描きさん」について筆者はどのように述べているか。


(62)筆者は芸術をどのようにとらえているか。


 アジアであれヨーロッパであれ、あるいは、三日であれ1カ月であれ、旅から帰って成田空港(注1)に着く。(中略)私はいつもバスではなくて列車で家まで帰る。
 都心に向かう列車には、旅から帰ってきた人と、これから旅する人たちが乗っている。 話している人たちがいても、不思議に静かだ。帰る人の疲れと、旅する人の緊張が混ざり 「合ったような、ほかの路線ではなかなか味わえない静けさである。
 列車がトンネルを出ると、私は窓の外の景色を見る。空港からしばらくは、田園風景が 続く。彼方まで続く田んぼは、季節によって一面の緑だったり茶色だったり、はられた水 が空を映して青かったりする。山々が、遠くに見えたり近くに迫ってきたりする。冬枯れ の景色でも、緑濃い初夏でも、自然の色彩が非常にやわらかいことに毎回あらためて気づ かされて、そうして、帰ってきたなあと実感する
 アジアにもヨーロッパにもそれ以外のどこにでも、ゆたかだったそうではなかったりする自然がある。田舎を旅すればむせかえるような(注2)縁のなかを歩くことになる。見慣れた田んぼとそっくりな光景を見ることもある。葉の落ちた木々が針のような枝を空に突き刺す景色に見とれることもある。緑の多い町だ、とか、水墨画(注3)みたいだ、とか、その程度の感想は抱くが、その色彩についてとくべつ何も思わない。
帰ってきて、車窓から景色をみて思うのだ。この国の色彩は本当にやわらかい、と。木々の緑も、四季(注4)に即した山の色も、川も空も。旅先で見てきた木々や空や海といったもの が、なんと強烈な色を放っていたのかとこのときになって気づく。
 窓の外に緑が少なくなって、次第に家やビルが増えてくる。都心が近づくにつれ、どん どん建物や看板が増えてくる。さっきより「ああ、帰ってきた」がもう少しふくらむ。都 「心の、空の狭い、ごたついた風景をきれいだと思ったことは一度もないけれ(注5)ど、でも、帰ってくると毎回近しく(注6)思う。好きとか嫌いではなくて、私に含まれているかのような 近しさを覚えるのだ。
 先だって、成田空港まで人を迎えにいった。旅のにおいをまだ濃厚に漂わせている人を 到着口で迎え、いっしょに列車に乗り込んだ。旅の話を聞きながら、窓の外を眺めていて、 「ちょっとびっくりした。旅から帰って見る景色とぜんぜん違う。退屈な、見るべきところ もない田園風景が広がっているのである。そうか、旅のあとじゃないと、ただの日常の光 景なのか。都心が近づいてくる。窓の外に私が見ている光景と、旅から帰ったひとから見 ている景色は、まったく違うんだろうなあと思った。 | 旅というのは、空港に着いたときに終わるのではなくて、周囲の景色が、わざわざ目を 凝らすこともない日常に戻ったときに終わるのだと知った。

(角田光代『トランヴェール』2012年3月号による)


(注1) 成田空港:日本の国際空港
(注2) むせかえるような:ここでは、圧倒されるような
(注3) 水墨画:墨を使って、白黒の濃淡で描かれた絵
(注4) 四季に即する:ここでは、四季によって変わる
(注5) ごたつく:ごちゃごちゃする
(注6) 近しい:ここでは、心理的に近い

(59)帰ってきたなあと実感するのは、どんなときか。


(60)外国を旅しているときの、筆者の自然に対する反他はどのようなものか。


(61)帰国したときに都心の風景を見て、筆者はどう感じるのか。


(62)筆者は、旅というものをどのようにとらえているか。