(2)
以下はある会社がホームページに掲載したお知らせである。

<ズミズタマ健康食品株式会社>ニュース 2014.10.14
健康食品「ビタミン生活V」に関するお知らせ
お客様各位
平素は弊社商品にご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、2014年9月8日より通販および弊社直営店舗での販売を開始いたしました「ビタミン生活」 は、情報番組での紹介もあって、当初の販売計画を大幅に上回り、生産が追いつかない状況となって おります。そのため、すでに通販での受注を停止しておりますが、店舗販売も在庫がなくなり次第、 一時中止せざるを得なくなりました。
今後は生産体制を整え、11月17日に店舗販売のみ再開を予定しております。
お客様にご迷惑をおかけしますことを、深くお詫び申し上げます。
ミツヌマ健康食品株式会社 お客様担当係:0120-333-44554
「受付時間 10:00-18:00 土日祝休み」

(47)「ビタミン生活」についてこの文書は何を知らせているか。


(3)
以下は諦めについて書かれた文章である。
 人が自分の能力以上のことに憧れそれがどうしても出来ないというのになお執着を持っているとしたら登れない壁の下で徒らにじたばたしているようなもので気の毒でもありますが滑稽でもあります。この場合は諦めが必要です。ただそれはその次の自分の能力に合った憧れなり道なりを求めるためにのみ必要であって諦めの中に憩ってしまうことは少し見当が外れていることになるかもしれません。

(串田孫一『考える葦』による)

(48)筆者の考えに合うのはどれか。


(4)
 私が35歳になったころ「このごろは少年時代に経験したようなものすごい雷雨が無くなった」と口にしたことがあります。ところが60歳ぐらいになったとき35歳ぐらいの人から同じ言葉を聞いたのです。つまり私が強い雷雨は無くなったと感じたときその人はまだ少年時代で強い雷雨を経験していたことになります。この場合は無くなったのは少年時代特有の自然から受ける鮮烈な印象驚き恐れでしょう。

(倉嶋厚『日和見の事典――倉嶋 厚の人文気象学ノート』による)

(49)筆者の考えに合うのはどれか。


(1)
以下は、ある法律相談会に申し込んだ人に送られてきたメールである。

北原健二様
 RST 法律事務所の田中良平と申します。
 昨日、当事務所の「無料法律相談会」にメールにてお申し込みいただきましたが、ご予 約は電話のみとさせていただいております。お手数をおかけいたしますが、再度お電話に てお申し込みくださいますようお願いいたします。その際、ご相談内容についての簡単な 質問をさせていただきますのでご了承ください。
 なお、平日夜の時間帯は大変込み合いますので、お早めにお申し込みくださいますよう お願いいたします。
 RST 法律事務所 田中良平
 電話:031-234-5544(平日 10~17時)
 メールアドレス:rtanaka@rst-houritsu.co.jp
 ホームページ:http://ww.rst-houritsu.net/consult/html

(46)このメールで最も伝えたいことは何か。


(2)
 井上ひさし(注1)さんが、「エッセイとはすなわち、自慢話である」といったことを書いて 「いらしたのを、以前読んだことがありますが、私はその文を一読した瞬間、「ああっ!」と 叫んで赤面した(注2)のでした。
 エッセイ=自慢、とはまさにその通り。エッセイを書く仕事をしている私は、心のどこか でそのことを感じつつ、気付かない努力をしていた気がする。しかしそのようにズバリ言 われると、「私は今まで、自慢話によって、口を翻して(注3)きたのだなあ」ということが、 明確に理解できるのです。

(酒井項子『黒いマナー』による)


(注1) 井上ひさし:日本の小説家
(注2)赤面する:顔が赤くなる
(注3) 口を網する:ここでは、生計を立てる

(47)筆者が「ああっ!」と叫んだのはなぜか。


(3)
 人間の社会的な日常生活は、無数の暗黙の約束を相互に共有することで成り立っていま す。暗黙というのは、そうした約束が明瞭に意識されたり、どこかにはっきり書かれてい るわけではないということです。習慣化し、なかば無意識的に守られている社会的な約束 事の海に、共に浸かっているから、われわれはこの世界の中に安心して毎日生きていられ るのであり、これから何が起きるのか、自分はどう行動したらよいのか、一々思い悩まずにいられるわけです。

(著者代表森亘『異文化への理解』による)

(48)思い悩まずにいられるとあるが、なぜか。


(4)
 白色度というのは物理的な指標であって感受性の指標ではない。したがって白色度が高 いというだけでは白は印象づけられないのである。咲き乱れる花々の印象は真っ白でも、 その背後にコピー用紙程度の紙を置いてみると、花そのものの白さは紙の白さほどではな いことに気が付く。花弁(注1)は淡い色を含み水分をたたえた(注2)重たい白である。しかし咲 き誇る花々が僕らの心に届けてくる白は鮮烈に白い。

(原研哉『白(しろ)』による)


(注1) 花弁:花びら
(注2) たたえる:ここでは、含む

(49)筆者の考えを表しているのはどれか。


(1)
現代、恋愛は、通常は部分でしか他者とかかわり合いをもたない個人にとって、例外的に全人格と全人格とのぶつかりあいを経験する、特別な関係なのであろうか。それとも、「全人格的」というのは幻想で、恋愛もまた互いに自己のある一面を見せあう、部分的関係の一例か。これはもちろん、そのどちらなのか、という問題ではなく、個々の恋愛はこの振幅のどこかにあるということになるだろう。だが、趨勢(注)としては後者の方へと振れてきているのではないだろうか。

(草柳千早「AERA MooK」 1999年7月10日号による)


(注)趨勢:傾向

(46)筆者は、現代の恋愛はどうなってきていると考えているか。


(2)
 これから起こる社会の変化を読みとるのは難しい。しかし、その変化を見極めて将来に対する指針をもたなければ、激しく変化する社会のなかで自分を見失ってしまう。歴史学は、この時代の変化を長い時間のなかにおいて見据え、社会め進む方向を教えてくれる学問である。けっして、過ぎ去った過去を記憶したり、なぞったりする学問ではない。ゆるやかに流れる時代にあっても激動する時代にあっても、歴史学は私たちの行く(注1) 手を照らす一条(注2) の光なのだと思う。

(高山博『歴史学未来へのまなざし――中世シチリゕからグローバル・ヒストリーヘ』による)


(注1) 行く手:行く先
(注2) 一条:一筋

(47)歴史学について、筆者はどのように考えているか。


(3)
昔もいまも、才覚といのは一定のXXから飛び出してゆく能力のことで、みんなにそんな例外的な「能力が備わっていたら、そもそも大地にはりつく農業も、分業で成り立つ産業社会もあり得ない。いつの世も、才覚のある者が新しいビジネスを起こしてゆくのは事実だが、それをビジネスとして成立させるのは社員の労働と訳身であるし、それがなければ起業者の才覚が活きることもない。

(高村薫 『関人生生 平成雑記帳2007』による)

(48)才覚のある人について、この文章ではどのように述べられているか。


(4)
 今の世には明るいものは余りに尐なく、暗いものは余りに多く見えるが、両者は別個のばらばらではない。絶望と見える対象を嫌ったり恐れたりして目をつぶって、そこを去れば、もう希望とは決して会えない。絶望すべき対象にはしっかと(注1)絶望し、それを克服するために努力し続ければ、それが希望に転化(注2)してゆくのだ。そうだ、希望は絶望のど真ん中の、そのどん底に実在しているのだ。

(むのたけじ『希望は絶望のど真ん中に』による)


(注1) しっかと:しっかり
(注2) 転化:変化

(49)この文章で筆者が言いたいことは何か。


(1)
 ファッションなど、流行は模倣を前提にしている。真似られなければ、フ ァッションなど成立しない。ミニスカートをデザインしたとしても、特定のデ ザイナーのものだけが売れるのでは、流行にはならない。多くの者が模倣して はじめて流行は成立するため、ファッションなどには、模倣を誘発させようと する意図が最初から織り込みずみだ。

(浜野保樹『模倣される日本――映画、アニメから料理、ファッションまで』 による)

(46)流行について、筆者はどのように考えているか


(3)
 情報化、グローバル化と言われ、視野を広げるべき時代に、実は極めて限られ た世界、社会でしか情報や価値観を得られていない人が増えているように思え ます。インターネットは世界中どこにでもつながりますが、自分で意識しないと、限られた価値観の情報だけが集まり、さらに深く入り込む。世界観を広げるインターネットが、逆に世界観や価値観を狭めてしまう、視野狭窄(注)に陥らせる道具となってしまうのです。

(伊藤真『会社コンプライアンス――内部統制の条件』による)


(注) 視野狭窄(きょうさく) :見える範囲が狭くなること

(48)この文章で、筆者はインターネットをどのようにとらえているか。


(1)
 大人になっても、味覚は変わり続ける。二十代の血気盛んな頃、すき焼き鍋などを囲むと、肉ばかり食べている私を見て、「私たちはもう沢山。年をとると、キノコや野菜が一番おいしい」などと半ば私を、半ば自分自身を論すかのように言う年長者がいた。なるほど、私も、最近では肉の味のしみた野菜やキノコがおいしい。一方で、肉も相変わらず食べる。年長者だって、肉を食べなくなるわけではない。

(茂本総一郎『食のクオリア』による)

(46)食べることに関して筆者はどのように感じているか。


(2)
 相手を思いやる気持ち、これも、「あいさつ」の心にちがいありません。
 先年、アフリカへ行ったとき、タンザニアで聞いたことですが、現地の人たちが道で知人とあいさつを交わすとき、おたがいに家族の安否をたずねますが、たとえ自分の家族に病人がいても、それをロに出さないのが暗黙のルールになっているのだそうです。相手の気持ちに負担をかけまいとする心からです。

(川崎洋『ことばのカ』による)

(47)暗黙のルールになっているのはどんなことか。


(3) 毎年、花の種を蒔いたり、球根を植えたりする季節が近づくと、種苗を扱う農園から、色刷りのカタログが送られてくる。私には植物を実際に取り寄せて植える土地などはないから、それを眺めて空想庭園を楽しむのである。しかし、それらの誇らしげに咲いている花の見合い写真を次々に見ていくと、連中(注1)が一様にある傾向を有していることに嫌でも気がつく。つまり、すべての花を「品種改良」によって、より大輸(注2)にし、そして何でもかでも八重咲(注3)に造りかえてしまおうという、人間の趣味と努カと一種の意地がそこに反映しているのである。

(奥本大三郎『虫の字宙誌」による)


(注1) 連中:ここでは、花のこと
(注2) 大輸:花の大きさが普通よりも大きいこと
(注3) 八重咲:花ぴらが数多く重なっていること

(48)そこは何を指しているか。


⑴人生やビジネスに目標を持つべきだ、というようなことが最近よく言われるが、わたしはそういう言い方に違和感を覚える。目標というものは、 「持つべきだ」とか「持ったほうがいい」ものではなく、 「持たなければいけない」とわざわざ啓蒙するものでもない。人生のあらゆる局面における「前提」なので、そのことがコンセンサス(注)になっている社会では、目標を持つことについて語られることはないからだ。
(注)コンセンサス:‘ここでは、共通の理解

(46)目標について、筆者の考えに合うのはどれか。


(2)以下は、恥じらい(注)め表情と喜びの表情の違いについて述べた文章である。
心理学者のアゼンドルフは、恥じらいと喜びの表情をいろいろ集めて分析した結果、微笑みが最高潮に達する時期と視線を伏せる時期との微妙なタイミングのズレが鍵であることを突き止めた。すなわち、微笑みがピークに達する一秒ほど前に視線が伏せられると恥じらいの表情として見えるが、ピークに達した直後に目が伏せられるとそれは喜びの表情と判断されるというのだ。
試しに、鏡に向かってやってみていただきたい。違いが分かるだろう。
(注)恥じらい:恥ずかしがること

(47) 恥じらいと喜びの表情はどの点で違うか。


(3) 「今」の勝負、つまり本番に弱いというひとは、失敗を恐れる気持ちがつよいのだとおもう。誰しも失敗は望まないが、人並み以上に失敗を恐れるのは、皮肉にも精度の高い到達イメージ、完成形が描けている結果だともいえる。完全なものへの願望は融通に欠ける到達のイメージでひとを縛ってしまうので、「今」起こっている現実そのものに合わせていくという柔軟な態度をゆるさない。予定どおりでないにしろ、その場で、なんとかやり過ごせる(注)、間に合わせられる、という行動が本番では求められているのだ。
(注)やり過ごす:ここでは、切り抜ける

(48)筆者によると、本番に弱いひとはどうすればいいか。


(4)日頃の他者とのつきあいでは、相手の一言一言が嘘だと疑ってかかっているわけではない。いちいちそんなふうに接したら失礼にあたる。つまり「性善説」 (注)をデフォルト(基本)として相手と接するのが普通だろう。相手の発言は真実だと思ってそれを基準に判断するから、それを嘘だろうと見直すのは難しい。そうすると、仮に多少不自然な言い方やしぐさがあったとしても、そしてそれが実際に嘘の手がかりとして有効であったとしても、見落としてしまう可能性がある。
(注)性善説:人間は生まれつき善い人だという考え方

(49) 見落としてしまう可能性があるのはなぜか。


(1)
自分の経験や無意識の枠にとらわれている(注)と、想像カはふくらまな い。だからその枠を取り除くことが、想像力を鍛えるひとつのポイントになる だろう。 とはいえ、いままでの経験や考えによって無意識につくられてしまった枠 はだれもがもっていて、それはもうしかたがないものだ。
その枠は、人生や経験の中でつくりあげてきたもので、その人の個性や人 柄、物差しや基準になるわけだから、枠はあってもいい。ただ、必要なときに は意識してそれをはずせることが大切だ。
(注)とらわれる:ここでは、こだわりすぎる

46.想像力を鍛えることについて、筆者はどのように考えているか。


(3)
労働はモノをつくり出すために体に労苦(注1)を強いるので、苦しい部分を併せ持っています。ただ、その活動を通じて社会とのつながりを感じることができれば喜びにも転化します(注2)。そんな喜びの部分を削り取られ、苦役(注3)だけが残る状態が広がっている現実を、どう食い止めていくかは大きな課題です。喜びを感じられない働き方なのに「働くことは喜びだ!」と建前で押し切ろうとしたり、「働くのが怖い」と背中を向けたりの二者択一でなく、苦しさと喜びのバランスの回復を求めて、働き方の改善を求めていくことが必要です。
(注1)労苦:ここでは、負担
(注2)転化する:変わる
(注3)苦役:苦しくつらい労働

(48)この文章で筆者が言いたいことは何か。


(4)
情報化社会では、その情報化が進めば進むほど、買い手は商品選択において 困るというジレンマをかかえてしまう。企業情報や商品情報が増えると、その 実態を推し量る(注)ことが難しくなるので、大量の情報を包括する代表的な 名前や記号やスローガンによってその優劣を判断し、それらを手がかりに選択 のリスクを軽減しようとする。この記号にあたるものがブランドで、ブランド 戦略が注目を浴びてきた背景には、情報社会の進展がある。
(注)推し量る:推測する

49.情報化社会におけるブランドについて、筆者はどのように述べているか。


 私たちは通常自分自身を認識しているのは自分の脳だと無意識に思っている。ところが、これとは別に、人間の体は、細胞レベルで自分自身かどうかを認識する免疫システムができあがっていて、たとえば花粉やウイルスなどの異物が優入してきたときに敏感に反応し、それらを排除する。他人の臓器を移植するのが難しいのはこのためである。移植した臓器は、免商を抑制しなければすぐに「非自己」と認識され、「自己]によって攻撃きれる。人間はいわぱ二つの「自己」を持っているのである。

(1)ここでいう二つの「自己」とはどういうことか。


 近代以降、世界の歴史は全体的に個人化を進めていったと言えるだろう。そうして、大都会では、一人暮らしの老人が死後何週間も経ってか上欧見されるという事件、いわゆる「 孤独死」 が後を絶たなくなってきている。また、各家庭を見ても、核家族化はどんどん進み、離婚する夫婦も増え続け、少子化が回復する見込みは立たないままだ。 子どもがいる家庭でも、家族がそれぞれ別々に一人で食事をする「個食」 にまで至っているのは、その究極の現象だと言っていい。

(3)「問」 筆者は「個食」 をどのようにとらえているか。


 新聞やテレビのように、一定の時間にならないと情報が得られないメディアと異なり、インターネットの情報は、一般人が現場からリアルタイムで発信できるため、無編集のまま視聴者に届けられる場合も多い。そのため情報の質という点では玉石混交であることも事実だが、逆に視聴者のリテラシーが試さきれてもいるわけだ。情報操作されないように注意して取搭選択すれば、歩きながらでも、世界の生の情報が正確に得られるのである。 新聞やテレビの衰退は、やむを得ないことなのだろう。

(4) 「間 」筆者はインターネットの情報をどのようにとらえているか。


 なるほど科学は客観的なるものであり、それが事実と論理によって成り立っている以上、疑問をさしはさむ余地はない。が、人間はうそをつく動物であり、科学者もまた人間である以上、うそをつく。 昨今、私利私欲のために科学の客観性をねじ曲げて恥じない科学者があちこちで事件を起こし、その責任が問われるようになってきた。科学者がたとえ社会を敵に回しても真理の追究をやめなかった、そういう時代もかつてはあったのだが。科学者の倫理はいったいどこに行ってしまったのか。

(5)「 間」筆者は、科学者にとって必要なのは何だと考えているか。


(47)筆者の考えに合うのはどれか。


(1)
女性の誇り人はいかに質の高い愛をもらったか、いかにたくさん恋をもらったか、ということです。女性はいつの時代も愛されることに命をかけています。世界中の女性がそう思って生きているのです。ほとんど例外はありません。キレイになりたい、という女心は、変されたいがゆえの願望です。キレイになりたくない、などと思う女性は、百人に一人いるかいないかという確率です。かわいい自分になってたくさんの男性を引き寄せ、その中から質の高い男性を選ぼうとするのが女性というものです。それが女性の戦略です。

(岩月謙司 『女は男のどこを見ているか 筑摩書記)

【問】 「それ」は何を指しているか。


(2)
 衝突することを恐れていたのでは、他人と親しくなることができない。人間はお互いにかなり親しくなっても、お互いを完全に理解しているものではない。理解しているつもりでも誤解していることはあろう。そして、衝突することを恐れていると、その誤解がとけないまま関係が維持されることになる。
 相手のやることで何か不愉快なことがあった時、もし本気で親しくなろうとすれば、それをはっきりという方がいいだろう。相手は不愉快だといわれてはじめて、なぜ自分はそれをしたか、ということが説明できる。

(吉藤諦三 思いやり] の心理】 PHP 研究所)

【間】 「それ」は何を指しているか。


(3)
 多くの日本企業のどこが異常かと言えば、個人を信用せず、何でもかんでも統制していることだ。たとえば、私は出張をした時のビール代やおつまみ代も、本人が必要経費だと思ったら理由を説明させてきちんと精算させればいいと思う。友達とだべった(注)食事代も、場合によっては請求してもいいことにする。もし、それが将来、本人や会社のプラスになるのなら、会社が負担すればいいのである。

(大前研一 『サラリーマン・サバイバル 小学館)


(注)だべる:だらだらと話をする

【間】 「それ」は何を指しているか


(1)
 本来、人間は集団本能をもった社会的動物て、社会を離れて生存することは不可能たといわれます。ところがいっぽう、人間の頭脳には個を主張する前頭葉(ぜんとうよう)(注)があって、常に全体と個の調和が求められます。だから全体と個のバランスがうまくとれなければ、社会に適応することはできないのです。
 このバランスがうまくとれるかどうかは、幼児期の教育しだいで決まります。

(井深 大 『幼稚園では遅すきる』 サンマーク出版)

(注) 前頭葉 : 脳の一部

【間】 「このバランス]とは何と何のバランスを指しているか。


(3)
 欧米人が「個」として確立された自我をもつのに対して、日本人の自我一それは西洋流にいえば「自我」とも呼べないだろう一は、常に自他との相互的関連のなかに存在し、「個」として確立されたものではない、ということであった。
 西洋人からは、この点に関して日本人の無責任性とか、他人志向性などと言って非難されることもある。

(河合隼雄 『日本人とアイ デンティティー一心理療法家の着起一】 講凌社)

「間」 「この点」は何を指しているか


(2)
 ある小学校の運動会で、競技は順位をうけないようにしよう、みんなで手をつないで走るようにしようという試みがありました。足の遅い子や運動能力の低い子を人格的に否定するおそれがある、それがひいては差別やいじめにつながるおそれがある、というのがその理由のようです。でも、何でもいっしょのなかよしクラブが本当の平等なのてしょうか。

(太田典生 「人生をうるおすいい話」 PHP研究所

それ」は何を指しているか。


【問】 「それ]は何を指しているか。


(1)
 病気というものはいずれにしろ不愉快なものであるが、最近流行の「健康病]というのは、定義どおり、本人は病気と思っていないので、それによる被害が潜行(注)するところが恐ろしい。 健康病とは、簡単に言ってしまうと、ともかく 「健康第一」で、そのことにひたすらかかずらわり、他のことは無視してしまう。それから生じしる近所迷惑などお構いなし、という点で、「ほとんど病気」の状態であるが、本人はそれに無自覚である場合のことを言う。

(河合隼雄 「こころの処方甘] 新潮社)

(注) 潜行 : 気づかれないまま進むこと

【間】 「恐ろしい」とあるが、なぜか。


(2)
 仏教の教えの中に、自分自身の根拠の発見というものがある。しかし、自分の存在を現世(注1)的なものの中から見つけるのは非常に難しい。現世に生きながら、現世に自分自身の根拠がないことについては誰もが無意識のうちに不安を覚えるであろう。それは捉えようのないものであり、非常に愁傷的(注2)で、漠然としたものである。それらを科学的に解明するにも無理があるだろう。現世における自我の存在は、自身の意志とは全く無関係なところから始まっているのた。
 現実に見えないことを求めていくことは勇気のいる決心であるし、到達しがたい境地(注3)である。 仏教にある「無才] というのはその境地を指す言葉であろ う。しかし、結果的に自分の根拠が現世にないという 不安定な自教を支えるために倍爺が厚くなることも事実である。
(注1) 現世 : 現在の世の中
(注2) 間補的 :電しさや用しゃを持った
(注3) 境地 : 最終的な到達目様てある心の状態

【問】 「非常に難しい」とあるが、どうしてか。


(1)
 日本人は「建て前」と「本音」を使い分けると、よく言われる。しかし、国際社会の中で日本がそれをうまく活用しているかといえば、そうではない。自らの本音をきちんと意識できず、それを通すための政治力も発揮できず、ただアメリカ追随(大勢で日本の国益にかなうと思っている方向)に動いているのが実情だ。だから、アメリカの顔色を見て右往左往している。国際社会の場では、日本は自らの論理カのなさを露呈(注)していると言える。
 国際関係の場合、「国際平和」などという道徳、倫理にかなう建て前以上に、各国の国盆という本音が複雑に絡み合う。国カによる発言力の強さが大きくものを言うだけに、外交の場は単純に論理カだけで通用するわけではない。
 とはいえ、多くの国々を納得させるためには、論理力が大きなカを発探するのは確かだ。日本の国際的な地位が、経済カに比べてあまりに低いのは、論理の嫌さにあるといっても、あながち間違いではないだろう。

(棚口裕一 『頭の整理がヘタな人、 うまい人】 大和書房)


(注) 露呈 : 隠れているものが表れること

【間】 どうして「日本は自らの論理カのなさを露呈している」 と言えるのか。


(2)
「今やることをすぐやる」のは理想だが、やるべきことはつねに複数、並視しているもの。優先順位を考える必要がある。つまり、やるべきことをリストアップし、それらに取り組む前にざっと段取りを組み、スムーズかつスピーディーに進める策を頭に入れておかなくてはならない。
 でないと、「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」と気持ちがあせるばかり。思いつくまま手を付けて効率をsげるどころか、何をどの順番ですべきかわからなくなり、何もせずに時間を無駄づかいすることにもなりかねない

(斎藤基太 「グケズをなおせば人生はうまくいく」 大和書邦)

【間】 「時間を無駄づかいすることにもなりかねない」のはなぜか。


(1)
 イジメの問題は、おそらく現代の教育の最大の問題であって、「落ちこぼれ」や「暴力」と重なることもあるにしても、それ以上に和音愛な問題としてある。イジメは昔からあったにしても、学校社会と子ども社会が二重であったころには、先生に受け入れられる子が仲間からいじめられたりして、それなりのバランスがあった。このごろではイジメラレっ子は、学校社会からのハミダシであって、先生のほうが内心で暗黙(注1)の了解をしているケースがよくある。「いじめられる側にもそれだけの理由がある」との言が、しばしば教師から語られることは、その背景で理解すべきだろう。
 これは、おとなの社会の反映、もしくは先どりとしてある。これからの社会で、ハミダシをいじめることが途めば、学校以上に陰惨な(注2)人間社会が生まれるだろう。 この意味でも、イジメの問題は現代の教育にとって重要性を持っている。

(森 遂 『「生きていくのはアンタ自身よ」 PHP 研究所)

(注1) 暗黙:考えを表に出さないこと
(注2) 陰惨な:暗くて悲惨な

文章の内容と最も合っているものはどれか。


【問】 文社の内容と最も合っているものはどれか。


(1)
人間だとすれば、スピードが最優先されるネット(注1)では、熟考する、内省する、深く考えるという、言葉による人間的な営為(注2)がないがしろにされはじめているのではないか。もしもこれからの社会が、ネット上を流れる言葉を主軸に営まれるようになると、人にとっての言葉とは、鮮度が重視の生鮮食品のようなものになってしまうかもしれません。そこに思考の積み重ねや成熟、歴史といったものは不必要です。
(注1) ネット:ここでは、インターネット
(注2) 営為:行い

(46)筆者が心配していることは何か。