毎年春に「なるほど展」という展示会が都内のあるデパートで行われる。これは日本婦人発明家協会が主催するもので、女性の発明品を展示公開するもの。日常生活の中で、「こんなものがあれば便利じゃないかな」と思う気持ちから生み出された「①なるほど!」と感心させられるようなものが全国から集まり、出品される。研究者や科学者の発想とは全く違い、だれでも気軽に手にすることのできるものばかりだ。( ② )、100歳近いお年寄りの考案した伸縮自在(しんしゅくじざい)の杖、はいているだけでダイエットに効果のあるスリッパ、あると助かる介護用品、洗濯機で洗う物がしわにならないネットなど、生活に密着したものばかりだ。その中で、優秀な作品には「なるほど賞」や関係官公庁からの賞が贈られ、マスコミにも発表される。
一般家庭の主婦が何か考案ても、それを発表する機会はほとんどなく、また特許申請をしたり商品化したりしようと思っても、どうしたらよいのかわからないのが普通である。そこで、そういう人たちを支援しようと50年あまり前に生まれたのがこの協会。アイディアの段階、考案の芽の段階であっても、相談に応じてくれ、いろいろなアドバイスをしてくれる。
この展示会に行くと、発明の種は日常生活のあらゆるところに潜ひそんでいることを実感させられる。

(4)何に対して①なるほど!と言っているのか。


(5)( ② )に入る言葉として、適当なものはどれか。


(6)本文の内容と合っているのはどれか。


 ①会話の技術は、運転技術とよく似ています。ポーツと運転をしていると、事故を起こしかねません。たとえば、数人で楽しく盛り上がっているときに、いきなり入ってきて、自分の話を始める人がいます。あれは、高速道路に加速しないで進入してくる車のようなもので、本人は気づかなくても、入った途端にクラッシュ(注1)して入るのです。
グループに加わりたいときは、まず黙って話を聞くことです。②​うなずきながらエンジンを温め、他の車と速度を同じくて会話に加わると、流れにうまく乗ることができます。
 そのうえで、自分の話ばかりしないように注意すること。人は誰でも自分の話をしたがっているのですから。会話は、ボールゲームのようなものです。サッカーでもバスケットボールでも、ひとりでボールを独占していたら、次からは遊んでもらえなくなります。
 みんなで話しているとき、自分がどれだけ話をしたのか、常に意識していることも必要です。特に、大勢で話しているときは、発言しない人により多くの意識を配ってください。おとなしい人は無視されがちですが、同じ場にいることに敬意を払って、その人にも(注2)話を振らないと。
 つくづく思いますけれど、会話ほど、個人のレベル差が大きいものはありません。充実した会話をしたいのあれば、それなり準備や練習は必要なのです。私は練習することで得るものは大きいと思いますよ。その中に、人生を変える出会いや幸運(注3)潜んでいるのではないでしょうか。

(斎藤孝「できる人」の極意!による)


(注1)クラッシュする:衝突事故を起こす
(注2)話を癍る:話す機会を与える
(注3)潜んでいる:隠れている

(11)①会話の技術は、運転技術とよく似ていますとあるが、この文章でどんなところが似ていると述べているか。


(12)②​うなずきながらエンジンを温めとあるが、ここではどういうことか。


(13)みんなで会話をしているときには、どのような注意が必要だと述べているか。


 以前、猫の雑誌で読者の人の投稿(注1)を読んではっとさせられた(注2)ことがある。子育てが一段落としたという投稿者の女性は、日々猫に癒されている(注3)そうなのだが、猫がごはんを食べたりしただけで「たくさん食べて偉いね」などと褒ほめちぎっているのだという。そんな自分の行動から、「自分の子供にも口うるさいことばかり言わずに、もっとやさしく接して褒めてやればよかった」と①振り返えっていたのだが、子どものいない私にもその言葉は心に染み入るものだった。
 子どもに限らず、家族や友人や恋人に私たちは様々な期待をし、時に「本人のため」という理由から厳しい態度をとることがある。特に「親」という立場であれば、子どもを自立した大人にしなければ、というプレッシャー(注4)からどうしても厳しくなってしまうだろう。しかし、それは時に本人を必要以上に追いつめ、最低限の「自信」すら奪ってしまうこともある。(中略)
 だからといって②毎日本当に食べて寝て遊んでばかりいられても困ると言えば困るが、基本的には元気でいてくれたらそれでOKな気がする。
投稿とうこう:新聞・雑誌などに読者が送った原稿
はっとする:急に何かに気づく
癒いやす:病気・傷・苦しみなどを治す
プレッシャー:精神的な圧力

(1)①振り返えっていたのはだれか。


(2)②毎日本当に食べて寝て遊んでばかりいられても困るとはどういうことか。


(3)この文章で筆者が最も言いたいことは何か。


 2004 年までは、太陽光による発電量は日本が世界一でしたが、現在は各国の支援策により、ドイツやスペインが日本を追い抜きました。そこで、日本は地球環境の面からも太陽光発電普及に力を入れることにしました。そのために、今まで太陽光発電で生まれた電力を1キロワット時 24 円ほどで買っていたのを2倍に引き上げることにしました。これで設備が高くてもつけようと思う人が増えるでしょう。しかし、この値上げ分をその設備を持っていない一般家庭が負担することになって不満の声が出てきました。家庭での負担額は月に 30~100 円になるそうです。マンションに住んだり、お金が無かったりして設備をつけたくてもつけられない人もいますから、平等でないとも言えます。現在、誰が負担するべきなのかということばかりが議論されています。太陽光発電には賛成だが負担はしたくないというのが一般人の考えです。
しかし、二酸化炭素が減ることにより全員が大きな利益を受けることになるでしょう。また、これにより新しい産業も生まれるでしょう。省エネ生活も大切です。しかし、新エネルギーを利用することで資源や地球の環境が守れます。ですから、少しぐらい負担しても仕方ないのではないでしょうか。

(7)現在の日本の太陽光発電について述べているのはどれか。


(8)どんな不満が出てきたか。


(9)著者の考えはどれか。


 アインシュタインの予言を知っていますか。ハチはいなくなって4年後には人数は滅亡するというものです。ハチがいなくなると、多くの植物は受粉(じゅふん)(注)ができなくなり、食糧難になります。それで食料を巡って戦争が起きる恐れが出てきます。大戦争になれば人数が生き続けるのは難しいでしう。たと戦争が起きなくても、危険はじょじょに迫ってきます。植物は光合成によって炭酸ガスを酸素に変える役割をしています。植物が減りその結果酸素も減ります。何もしなくても生物は死んでいくでしょう。結局人数も滅亡せざるをえないのです。
最近ミツバチがいなくなって農業が大変だというニュースが度々流れます。原因は全くわかっていません。しかし、人数が地球を痛め続けていることがその原因だと思われます。
私たちは便利で何でもすぐに手に入れられる生活をしています。私も現在便利な生活を楽しんでいます。しかし、それが地球を傷つけることと引き換えに手に入れたものなら、ちょっと立ち止まって考えるべきときが来たのではないでしょうか。
(注)受粉:植物が実をつけるために花粉をつけること

(7)ハチがいなくなると、まずどんなことが起きるか。


(8)著者はアインシュタインの予言についてどう思っているか。


(9)著者の意見はどれか。


 今、世界中で森林破壊が起きている。森林が破壊されると急に自然環境が悪くなる。そんな土地に雨が降ると、土が流れ、土に含まれる栄養も一緒に流れていってしまう。そのため植物が育たなくなる。また森林がないと空気中の水分が減り雨が降りにくくなる。すると値物が育たなくなる。これが繰リ返れると破漠化してしまうのだ。
 森林の再生には 100 年も 150 年もかかると言われている。今その森林再学法方として、世界中で宮脇方式が注目されている。宮脇(みやわき)方式なら長期間かかる森林の再生をわずか 10 年でやり遂とげることができるからだ。事実マレーシアの熱帯雨林は8年で再生した。これが認められ現在世界中で宮脇方式が取り入れられている。
  宮脇方式はこうだ。まずその土地に昔からあった植物を 10 種類ぐらい見つける。それを混ぜて間を空けないで植える。ただそれだけのことだ。土地の植物を選ぶのはやはり土地に合った物がよく育つからだ。これは理解できる。同じ植物だけを植えないのは病気にかかったときに全滅する恐れがあるからだ。いろいろあればどれかが生き残るわけだ。密集されるのは木同士を競争されるためだそうだ。こちらは私には理解できないが、事実そうして植えられた木のほうがゆったり植えられた木より強いのだそうだ。

(10)どうして砂漠化してしまうのか。


(11)宮脇方式と違うのはどれか。


(12)なぜ宮脇方式が注目されているのか。


 どうして日本人はお返しをするのかと、たびたび外国人から質問される。私もなぜだかわからない。習慣だからとしか答えられない。くれた人にお札の気持ちを表すためにお返しをするのだろう。一生の間には結婚、葬式、赤ちゃんの誕生、入学、卒業、引っ越しなどうれしいことや悲しいことなどが起こる。そのたびにお金やプレゼントをあげたりもらったりする。収入がない人がもらった場合や会社を辞めたり引っ越こしなどで別れるときはお返しの必要はない。でも子どもの代わりに親が返すこともある。
お返しにはお菓子や皿やタオルなどさまざまな物が選ばれた。最近人気が高いのは「カタログ」だ。もらった人がカタログの中から自分の好きな物を選んで送ってもらえるからだ。お返しにいらない物をもらって困った試験がある人が多いので、カタログをもらうと喜ぶ人が多いようだ。しかし自分へのお返しを自分で選ぶのは何だか変な気がする。
 このお返しの習慣はなかなかなくならないと思う。しかしお返しを止めて福施施設などに寄付する人や、お返しは要らないと言って最初からあげる金額や品物を減へらす人も出てきた。少しずつ変わっていってほしい習慣だ。

(31)「お返し」というのは何か。


(32)最近、お返しはどう変わってきたか。


(33)著者はお返しについてどう思っているか。


 実力テストを受けたがらない学生がいる。その理由を聞くと、「もう少し実力を付けてから受けたい」と言う。気持ちはわからないでもない。でも、そんなふうに思っていると、いつまでも受けられない。例えば、着物の着方を習っている人が、上手になったら着物を着て出かけようと思う。しかし、どの程度で上手になったといえるのか、判断がつかない。それよりもまず着物を着て出かけてみるといい。しかもちょっと緊張するような場所に。もし最後まで着崩れしなければ、それで自信がつく。語学にしても、まずはレベルに合わせて使ってみることだ。恥をかいても気にしない。そうしているうちにレベルも上がってくる。料理も同様、(  )。批評されながら腕を磨みがけばいいのだから。

(39)(  )に入る文として、適当なものはどれか。


(40)本文の内容と合っているのはどれか。


(41)筆者の言っていることに合っているのはどの人か。


(1)
 一つの仕事をやるについて、いろいろな選択肢があり、その中に「いままでどおりやる」というのがあると、放っておけば、ほとんどの人はそのやり方をとるでしょう。それで、そこそこの成果があがるのだから、なにも未知の方法に挑んで苦労することはないというわけです。
 それがベスト(注1)の方法かどうか、あるいはほかにもっと能率的にできる方法があるかもしれないのに、①そういうことは考えもせず、ひたすら②一番楽な従来どおりのやり方を続けていこうとする。人間には習性として、そういう傾向があるものです。
 しかし、そのようにやり方を決まってしまうと、みんなものを考えなくなって、たとえ、そのやり方が時代に合わなくなってきてもおかしいとも思わなくなってしまいます。
 こうなると、もはやその組織に進歩はありません。下手をすれば、時代遅れの組織になって、競争に負けてしまうでしょう。官庁病とか大企業病などと言われるように、組織というのは放っておくと、それこそあっという間に動脈硬化(注2)状態に陥ってしまうものなのです。
 特に管理者は、今のやり方でいいのか、時代に合っているか、もっと能率的な方法があるのではないか・・・・いかなる種類の仕事であっても、そのことを常に考えていかなければなりません。
(注1)ベスト:一番いい
(注2)動脈硬化:血液の流れが悪くなる病気

(60)①「そういうこと」とはどんなことか。


(61)②「一番楽な従来どおりのやり方」とはどんなやり方か。


(62)筆者は、仕事のやり方について、どうするのが良いと言っているか。


(2)
 若いときは二度ないと言う。だから、若い時代を大事にせよ、といった意味である。
 なるほど、その通りである。だが、皮肉屋の私は、このことばに反論したい。たしかに若いときは一度しかないが、中年だって、老年だって一度しかないのである。われわれは若い時代を大事にすべきであるが、同様に中年を大事にすべきであるし、老年を大事にしなければならない。①若い時代だけを特別視する必要はないのである。
 私自身は先ごろ、五十三歳になった。昔の呼称だと、もう立派な“老年”である。だから、ひがんで言っているのではない。私は、老年には老年のよさがあると思っている。(中略)人生のそれぞれの段階には、それぞれに違った②人生のこくがある。私はそう思っている。私達はそれぞれの段階に特有な人生の喜びと悲しみを味わいながら生きたい。
 にもかかわらず、どうして若い時代だけが特別視されるのか!?私には不思議である。思うに、人々は若い時代を準備段階と考えているようだ。若いときにしっかりと学問や体験の蓄積をしておかないと、後になって困る。だから、若いうちから遊びほうけていてはいけない。と、結局は、若者に自制と禁欲を呼びかけているのである。
 でも、私は、③それは間違いだと思う。若い時代に、若い時代に特有の人生の喜び・悲しみを体験しておかないと、中年や老年になって、その段階での人生の喜び・悲しみが味わえない。若者はそのことを明記すべきだある。

(63)①若い時代だけを特別視する必要はないとあるが、それはなぜか。


(64)②人生のこくとは、ここではどのようなことか。


(65)③それは間違いだと思うとあるが、何が間違いであると思うのか。 1. 若いうちから遊びほうけること


(3)
下の文書は、ある人物が自分の人生に影響を与えた言葉について説明したもので ある。


( ① )この言葉は私のオリジナルです。この考え方にたとり着いたのは38歳のときですが、その頃から努力することにたいして抵抗感がなくなり、とても生きやすくなりました。
 私たちはなぜか、中学、高校生の頃に「努力する姿」を人に見せることをやめてしまいます。試験前のガリ勉(注1)や運動会前の徒競走の猛練習(注2)などが、人に知られると気恥ずかしくなってしまうのです。
 その心境は複雑です。まず結果が出なかったとき「あいつ、あれだけやってダメだった」とバガにされるのを恐れます。結果が出ても「あれだけ準備すれば当然だ」と評価が下がるのを恐れます。他者の評価を気にし始めると、いずれにせよ努力を隠すに越した(注3)ことはないわけです。
 それは社会人になっても同じです。得意技について「よほどと努力しているのでしょうね」と褒められても、「たいしたことはしていません」と②自分の努力をわざわざ否定してしまったりするわけです。
 しかし、この「謙遜して努力を隠す対応」はとても危険です。なぜなら、努力しなくていいことへの言い訳になる一方で、努力を「かっこう悪い」 とする無意識のバリア(注4)になりかねないためです。
 もちろん、努力すれば、すべてがなんとかなるわけではありませんが、努力なしでは何も始まりません。そのためには「努力」という言葉を生活に積極的に取り入れ、そのプロセスを楽しむ仕組みをつくらなければなりません。
 そして、努力を客観視するための規定方法が「時間」なのです。
 努力をする、しないはあくまで主観ですが、その分量を時間換算する仕組みを取り入れれば、自分がどこまで努力をしたのがわかりやすく管理できるようになり、堂々と(注5)「 ~ については何年間やってきた」と言えます。
 例えば、私はよく「文章を書くのが速い」と言われますが、その場合にこう返すのです。「大学卒業から1年間、独立するまで、文章で顧客(注6)にリポートを作る仕事でしたから速くなると困ります」と。
 努力を時間で測定すれば、時間が有限だからこそ、何を努力するのか自分で考え、決めなければいけません。そうすれば、結果はあとからついてくる、という気持ちに慣れる魔法の言葉なのです。
(注1)ガリ勉:成績を上げるために勉強ばかりする様子
(注2)猛練習:一生懸命練習すること
(注3)隠すに越したことはない:隠したほうがいい
(注4)バリア:障害となるもの
(注5)堂々と:自信のある様子
(注6)顧客:大事な客

(66)( ① )には、筆者の人生に影響を与えた言葉が入る。それはどれか。


(67)②自分の努力をわざわざ否定してしまったりするわけのはなぜだと筆者は述べて いるか。


(68)筆者は「努力」についてどのように述べているか。


 (1)
 私は①靴に四十年も悩まされてきた
 私は、中学二年になって急に身長が伸びてきた。妹の私が兄を追い越した。一緒に足も大きくなった。高校生のときは、大きい靴がとても恥ずかしかった。就職して初めての給料で、一番に靴を注文した。しかし、出来上がった靴は、かわいらしいとはとても言えないものだった。
 それからずっと、靴には困らされてきた。足に靴を合わせるのではなく、無理をすれば履けそうな靴に、足を合わせてきた。縮めていた指は、変形し、つめは何度生え変わったことか。痛くならない靴などないのだと、あきらめていた。
 ところが五年ほど前、なんとなく開いた雑誌に東京の小さな靴屋が紹介されていた。私と同じように合う靴がなくて悩み続けていた人が、そこの靴で悩みが解消されたという話も出ていた。これなら、と期待がふくらんだ。
 数ヶ月後、用事で東京へ行ったついでに、その靴屋に寄ってみた。心配そうに靴を脱いで見せた私の足に、靴屋さんはさわって言った。
 「②これは大変でしたね。腰まで痛かったでしょう。」
 そうして、試しに履かせてくれた靴の履きやすさといったら・・・・足をやさしく包んでくれて、指はのびのび伸ばせる。こんな靴がこの世にあったのか、と感動した。そのまま履いて帰りたかった私は、その場で一足注文した。  「海辺で育ちましたか?」と、靴屋さん。
 「ええ。海のすぐ近くではなかったですが・・・・」
 「そうですか。魚をたくさん食べて育った人の足ですよ!」
 「ん?・・・・ええ、魚は大好きです。でも、どうして?」
 「三浦海岸に住んでる人も同じ足でしたよ。どうしてなのかねえ・・・」
 靴屋さんの笑顔が、③(  )。四十年かかって、ようやく出会えた笑顔だった。

(60)筆者はなぜ、①靴に四十年も悩まされてきたのか。


(61)「②これは大変でしたね」とあるが、何が大変だったのか。


(62)③(  )言葉として最も適当なものはどれか。


(2)
 もう東京に長く住んでいるフランス人と話していたときのこと。「ヨーロッパの街は整然としていてきれいでいいですね」と言うと、「確かにきれいですけど、東京のような面白さはありませんよ」という返事だった。彼の住んでいるあたりは、大通りからちょっと入ると路地が迷路のように広がり、すぐ方向がわからなくなる。近代的な建物の横に、古いお宮やお寺があったりする。鉢植えの花が道にはみ出しておいてある。人々の生活のにおいがする。これがいいのだそうだ。彼は①こういう路地を歩き回るのが楽しいと言う。「あれ、こんな所にこんなものが・・・・」という不釣合いを発見しながら。
 パリの裏道を歩いていると、石畳の道の両側にクラシックな石造りの建物が冷たく重々しくそそり立つ。きれいだが、何が出てくるかわからないというようなおもしろさはない。美しく整った街を見飽きた目には、ごちゃごちゃした所がかえって新鮮にうつるのだ。
 この話は、海外からの観光客を誘致したいという政府には、いいヒントとなるだろう。②街はきれいにするだけが能じゃないのだ。

(63)①こういう路地というのにあてはまらないのは次のうちのどれか。


(64)②街はきれいにするだけが能じゃないとはどういうことか。


(65)このフランス人について、本文の内容と合っているのはどれか。


(3)
 ある人に「一番楽しい時間はどういうときですか」と聞くと、「デートの前の時間」という答えが返ってきた。なるほど。確かに、旅行の楽しさは旅立つ前が半分、旅行しているときが半分、とも言える。あそこに行こう、ここでは何をしよう、だれに会おうと考えている時の喜びは、もしかしたら実際に旅をしている時よりも大きいかもしれない。何かがほしい、何かが買いたいと思って、一生懸命貯金する。通帳を見ながら少しずつそれが実現する日が近づいてくる時に味わう喜びは、実際にそれが手に入った時の喜びと比べて、決して小さいものではないだろう。
 今は昔と違って、何でもすぐ手に入るようになった。人々は待つ必要がなくなったのだ。この期待に胸を膨らませて待つという時間がなくなって、( )。だから、次から次へと新しいものが手に入ると思う人が増えてしまったのではないだろうか。何かを実行する前の①待ち時間をもっと大切にしたいものである。

(66)( )に入る文として、適当なものはどれか。


(67)ここでいう「①待ち時間」に当たらないものはどれか。


(68)本文の内容と合っているのはどれか。


(1)
 先日友人から面白い話を聞いた。猫にしつけられた、というのである。飼い主が猫をしつける(注1)のでなく、飼い主が猫にしつけられたのである。話はこうだ。
 寒くなると、猫というものは一日中、暖かいストーブの前やホットカーペットの上に座っているものらしい。ある日友人は猫のご飯を作って、「ごはんよ」と呼んだ。しかし、なかなか来ない。こんなとき飼い主というものは、つい猫のところまでご飯を持っていってしまうのだそうだ。猫はホットカーペットの上にすまして座っている。飼い主は①その瞬間なにかが変わることに気づかない。
 さて、翌日、「ごはんよ」と呼ぶが、猫は定位置からじっと飼い主を見るばかりだ。まだ飼い主は事態に気づかぬまま、ご飯を持っていく。ここで事は決定的になるのだが、まだ飼い主は気づかない。
 気づくのは数日後。台所までご飯の催促をしにきた猫が、飼い主が用意を始めたと見るや、②サッと定位置まで戻り、ちょこんと座って待っている姿をみたときだ。つまり、冷たい台所で食べるのがいやで、なにがなんでも③出前をさせるつもりなのだ。以後、飼い主は出前(注2)を続けることになったのである。
(注1) しつける:生活に必要なことが出来るように教えこむ
(注2) 出前:料理などを注文した人の家まで運ぶこと

(60)①その瞬間とはどんな瞬間か。


(61)②サッと定位置まで戻りというのは、誰がどこに戻るのか。


(62)③出前をさせるとあるが、だれが何をさせるのか。


 (3)
 最近、イギリス風の庭づくりを参考に、狭い庭でも、またベランダでも楽しめる花作りが盛んになっています。
 空前(注1)のガーデニングブームなどと言う人もいますが、日本人の花好き①今に始まったことではありません。昔から日本人は部屋に花を飾って楽しむ生け花だけでなく、庭に、そしてちょっとしたスペースにも花を育てていました。江戸の園芸技術は世界最高だ②幕末(注2)に来日した西洋人が驚嘆したという話があるくらいです。当時の江戸では菊など自慢の花を持ち寄る品評会(注3)や鉢植え(注4)の市がしょっちゅう開かれ、社交としての園芸文化が育っていました。また、菊の花を使って歴史的な人物などの衣装を飾る菊人形などは、見世物(注5)としても人気があったようです。富裕層(注6)だけでなく、一般庶民にも園芸は根付いていたのです。人口100万の世界でも最大の都市だったこのころの江戸は、いろいろな独自の文化を生み出し育ててきました。物質的には貧しくても、精神的にはなかなか豊かな時代だったようです。
(注1) 空前:以前には例がない
(注2) 幕末:江戸幕府の末期、普通1853年以降をいう
(注3)品評会:作品や作物の優劣を論じ合う会
(注4) 鉢植え:草木を植木鉢に植えたもの
(注5) 見世物:珍しいものや芸などを料金をとって見せる興行
(注6)富裕層:財産があり豊かな階層

(66)①今に始まったことではありませんというのはどういうことか。


(67)②「」と同じ使い方のものはどれか。


(68)本文の内容と合っているのはどれか。


 (1)
 巨大な石像群だけが砂の上に残る太平洋の島イースター島、ここもかつては大きな木の生い茂る島だったとか。自然の豊かな島には人々が集まり、人口が増えた。
 そのうちにグループごとに争うようになり、島民は自分たちの勢力を誇示するため大きな石像を造って、それを海岸まで運ぶために木をどんどん切り倒した。若い木が育つのも待たずに。
 そして、とうとう最後の 1 本を切り倒した。
 木がなくては、住民は家も建てられず、船も造れない。したがって漁にも行けなくなった。動物は殺され、わずかに残った資源の取り合いから人々もお互いに殺し合うようになったという。
 この話は過去の話ではない。現在にも通じるものがある。今のままでは、我社会もやがて滅亡へと々の向かうだろう。過去の失敗を繰り返してはならない。資源は無尽蔵(注)ではないのだ。
 (注)無尽蔵:取っても取ってもなくならないこと

(60)「とか」と同じ使いかたのものはどれか。


(61)内容とあっているのはどれか。


(62)この文章で筆者の言いたいことは何か。


 (2)
 これは、日本のある町で実際に起こったことである。サラリーマン A 氏は宝くじで 800 万円という大金を当てた。「これで、ほしかった外車が買えるぞ」。A 氏はうれしくて、わくわくした。「しかし、妻に知られたら、『そんなものは買わないで、家のローンの返済にあててちょうだい』と言われるにちがいない」と考えたA 氏は、100 万円ずつ束にしたその現金を、そっと家に持ち帰り、シーツに包んで押し入れに①かくしておいたのである。
 ところが、②これが思わぬ結果をまねいた。翌日、天気がとてもいいのを見て、妻は押し入れのシーツを全部洗濯したのである。あの現金の束が入っていることも知らずに。洗濯が終わって、洗濯機から取り出したシーツの中から、現金の束八つが現れた。びっくりした妻は、とりあえずそれをマンションのベランダに干しておいた。
 A 氏の娘は 2 歳のいたずらざかり。ベランダからいろいろなものを道路に落として遊ぶのが大好きだ。夕方になり、妻はベランダの現金がなくなっていることに気づいた。そこへ、A 氏が仕事から帰ってきた。妻から話を聞いてあわてて③道路をさがしたが後の祭り(注)。おそらく道路を通りかかっただれかが拾って持ち去ったのであろう。A 氏が妻にさんざん④叱られたことは、言うまでもない。
(注)後の祭り:遅すぎたということ

(63)①「かくしておいた」とあるが、どうしてか。


(64)②「これ」とは何か。


(65)③道路をさがしたとあるが、どうしてか。


 (3)
 「①日本人はだれかがくしゃみをしても、何も言わないんですか。」
もし、こんな質問を教室でされていたら、なんと答えていただろう。そういう習慣はありませんね、と簡単に答えてしまっていただろう。つまり、英語の“Bless you!”に当たるようなものがないのか、という質問だ。日本にもちゃんとそういう習慣が過去にあり、さらに現在でも沖縄に残っていることを知ったのは、つい最近のことだ。
 沖縄では子供がくしゃみをすると、そばにいる人が「クスクェー」と言うらしい。言わない子供が幽霊に連れていかれるという言い伝えによるものだそうだ。調べてみると、『徒然草』という有名な書物(1330 年頃)にも、くしゃみが出たときに「くさめくさめ」と唱えないと死んでしまうという記述があることがわかった。
 日本人であり、日本語を外国人に教える自分が、沖縄の言葉も知らず、日本語の古語も知らないことを恥ずかしく思った。②日本人の日本語知らずには要注意だ

(66)下線部 ①日本人はだれかがくしゃみをしても、何も言わないんですか の質問に関して、正しいものはどれか。


(67)この文章の内容と合うものはどれか。


(68)筆者はどんな気持ちで下線部 ② のように言ったのか。


「文字を読んだり計算をしたりして、いったい何の役に立つのか] と疑問に思われる方も多いと思います。このドリルの目的は、「読むこと・計算をすること」 の能力を上げることではなく、脳(とくに①前頭前野) の働きを向上させることにあります。私たち人間を人間たらしめている(注1)脳、それが前頭前野です。 生物学的に人間は動物と何が違うのか? この答えを脳科学に求めると「前頭前野が異常なほどまでに発達
しているのが人間である」 となります。
 前頭前野には異なった働きをする領域(注2)があり、そこからさまざまな大切な能力が発揮されます。
① 他者とのコミュニケーション
② クリエーティビティ(注3)
③ 積極性
④ 発想の転換
⑤ 複数の物事を同時に行う
⑥ 短期記憶 カ
 私は、これらの人能力を発揮する前頭前野の領バの多くが、文字を読むことや簡単な計算を素早くすることによっても使われることに注目しました。 前頭前野の入経細胞は、脳の他の場所の神経細胞と比べて非常に「柔軟]」な(注4) 対応力をもち、ひとつの神経細胞が多くのことをするために働くことがわかっています。したがって、読みや計算を繰り返し行い、読みや計算で働く前頭前野を鍛えれば (注5)。、その場所が 司 っている(注6)その他の能力も上がると考えたのです。
(川島 隆太『脳を鍛える携帯版大人のドリル』 くもん出版)
(注1) 人間たらしめる :「人間である|] とする
(注2) 領域 : 場所
(注3) クリエーティピティ : 新しいものをつくり出すカ
(注4) 柔軟な: その場合に合わせて変わる
(注5) 鍛える: 強くする
(注6) 司る : 支配する

間1 前頭前野とは何か。


問2 筆者が行ったことは何か。