(1)
以下は、スポーツの指導者が子どもを叱ることについて書かれた文章である。叱ることの本来の目的は「叱られた原因を理解する」「自分の間違いに気づく」「うまくいかせるために次にとるべき行動がわかる」の三 点です。
とくに重要なのが、次にとるべき行動がわかることです。叱られたことで、自信をなくして次の行動がとれなくなることは、「叱る」という本来の目的からはずれることになります。
(中略)
「叱る」とは、叱ることで子どもがどのような反応を起こすか、すべで計算されていると、つまり「叱ることで子どもがどんな行動を起こすか」が、予想できていなければならない、ということです。そもそも(注1)叱ることは、子と''もの成長が目的なのです。これに対し、「怒る」は感情的な行為です。ときには怒りや憎しみを伴います。また、子ども自身を否定することにもなりかねません。指導者は「叱る」「怒る」の違いを常に自問自答(注2)することが大切です。さらには「君自身を否定しているわけではないのだよ、君のしたことを叱っているのだ」と伝えましょう。つまり、人格(注3)を含めてすべてを頭ごなしに(注4)叱るので はなく、ポイントで叱るのです。
ここで、「叱る」うえでの注意点を一^、叱ることが何度も続くと、叱られることに対する慣れが生じ、「いっものことか」と子どもが感じとリ、指導者の本当にいたいことが伝わらないということがあります。叱ることによって、得られる効果が半滅しないためにも、指導者は日頃から注意深く、また意思を持って、みずか らと向き合う必要があるのです。
(注1)そもそも:本来
(注2)自問自答する:自分に問いかけ、自分で考える
(注3)人格:性格
(注4)頭ごなしに:最初から一方的に

(58)子どもを叱るとき、指導者にとって必要なことは何か。


(59)筆者によると、叱るときはどのようにすればいいか。


(60)筆者の考えに合うのはどれか。


(2)
 先日、とある大学の学部生を相手に請演をする機会があった。そのときは、私が一緒に仕事をしてきた仲 間についてのエピソード(注1)を紹介したのだったが、後ほどアンケートを読ませてもらって驚いた。その 仲間についての話を大まかに言えば、性格に欠点を持つ人間だったが、そのために面白いキャラクター(注2)であったし、仕事でもすばらしい結果を残し、尊敬に値する(注3)人物であったというものだった。これを どう受け取ったのかわからないが、アンケートの一^に、「人の欠点について話すことに憤慨(注4)を覚 える」といった趣旨(注5)のことが書いてあったのだ。(中略)
 人が個性について語る場合、どうもいい個性のことばかりを取り上げているように思ういい個性は伸ばし、 悪い個性は直しましょう、というわけだ。しかし、私にとってはどちらも大切にすべき個性であるし、そもそ も(注6)こうしたものにいいも悪いもないのである。講演で話したことに関しても、私の言う彼の欠点は、 一般的な考えに照らし合わせれば(注7)欠点かもしれない。けれども、それこそが彼の個性であって、成功 の一因になったということだ。
 しかし、そういった考えは許されないようだ。なぜか個性とは、常識的な考えからいって優められるもの でなければいけないのである。そうなると、今言われている個性とは、一般的にいいとされる個性というもの がすでにいくつかあって、それをと'、う獲得するかを考えなければならないということになる。しかし、そんな ものは個性ではないし、結局は人と同じになってしまうのである。
(注1)エピソード:ここでは、話
(注2)キャラクター:性格
(注3)尊敬に値する:尊敬できる
(注4)憤慨を覚える:腹が立
(注5)趣旨:ここでは、内容
(注6)そもそも:もともと
(注7) ~に照らし合わせれば:ここでは、~からすれは

(61)驚いたとあるが、なぜか。


(62)人の欠点について、筆者はどのように考えているか。


(63)筆者の考えに合うのはどれか。


(3)
 以下は、文字を持たない民族について研究している人が書いた文章である。
 本に書いてあることは、ことさらに(注1)中身を全部覚えておかなくても、それについてと''の本に書いてあったかが思い出せればよろしい。インターネットが発達した現代においては、ちょっとしたことならすぐに検素できる。バッハとヘンデル(注2)はどっちが先に生まれたかなどと不意に(注3)聞かれたとしても、クラシックファンでなくても、手元にネットにつながったパソコンがあれば、わけもなく(注4)返答できる。 しかし、それは自分自身の知識が増えたわけではない。そこに文字として書かれているものは、すべて自分のタト側にあるものであり、それにアクセスできなくなったとたんーー早い話が本が全部焼けてしまうとか、停電になるとかしたとたん—— そのほとんどが自分とは無縁のものになってしまうのである。
 文字を使わないということは、常にその状態にあるということである。自分が記憶していないものは、存在していないのと同じ。(中略)本を読んだり、ピデオやDVDで同じ映像を何度も再生して見ることに慣れた我々は、その瞬間に頭に入らなくとも、もう一度見ればよいと考えてしまいがちである。しかし、そういう文化の中で育っていない人たちにとっては、その瞬間を逃したらそれまでであって、同じ人から同じ話を聞く機会はもう二度とないと考える。そのような気持ちで人のことばを聞くことによって培われた(注5)力が、 記憶する力となっているのであろう。
 文字を学び、書かれたものを読む能力は、人間の取得可能な知識の範囲を格段に(注6)広げたことは事実である。しかし、それは取得した知識が増えたことを、なんら(注7)意味してはいない。

(注1)ことさらに:ここでは、特に
(注2)バッハとヘンデル:どちらも18世紀に活躍した作曲家
(注3)不意に:突然
(注4)わけもなく :簡単に
(注5)培われた:育てられた
(注6)格段に:ここでは、大きく
(注7)なんら:少しも

(64)そのほとんどとは何か。


(65)文字を使わない人たちについて、筆者はどのように考えているか。


(66)筆者の考えに合うのはどれか。


(1)
 大学の先生のイメ ージとは、一般的にはどのようなものだろうか。理系だと白衣を着て難しい話ばかりする人、文系だと研究室に閉じこもって(注1)文学作品を読んでいる人、という声が周囲から聞こえてきた。確かにそれに近い人はいるのだが、もちろんそうでない人も多い。これは政治家、警察官、医者などにも当てはまることであり、私たちはどうしても先入観(注2)を持ってしまうため、それが誤解を生む原因になるのだ。
 誤解は相手の先入観だけでなく、自分が原因であることも多い。その大きなものが、話す際の省略であるつ時聞がないときなど、どうしても内容を一部省略して報告する必要がでてくる。時間があっても全ての情報をきちんと伝えるのは無理であろう。そうなると相手は自分の意図とは異なる形で補うために誤解につながっていくのだ。
中略...
 省略が多くなるメーノレは特に注意が必要で、込み入った(注3)内容を伝える場合はできるだけ直接会った方がよい。 会 うのは時間をとられて面倒だと感じるかもしれないが、その方が結局、問題が早く片付くこともあるのだ。
 また、誤解のプラスといえる面にも気が付いた。それは誤解によって人々の考えに自然に多様性が生まれるということだ。様々な意見があることは、健全な(注4)社会のための重要な要素である。誤解は一般的には悪者扱いであるが、多様性をつくる仕掛け(注5)だと思えば少し見方も変わってくるのではないだろうか。

(注1)閉じこもって:入ったまま
(注2)先入観:思い込み
(注3)込み入った:複雑な
(注4)健全な:正常な
(注5)仕掛け:仕組み

(60)大学の先生の例を挙げて、筆者が述べていることは何か。


(61)話す際の省略が誤解を生むのはなぜか。


(62)筆者によると、誤解の良い点はどのようなことか。


(2)
 昔の小中学生は、遠足や修学旅行のとき、車窓の風景を真剣に眺めていたものだ。見知らぬ(注1)土地の風物(注2)に、興味をかきたてられていた(注3)のである。
 ところが、最近の小中学生は、乗り物の窓の外を眺めようとはせず、バスの中ではマイクをにぎって歌に夢中になっているらしい。あるいはクイズやゲームを楽しんでいるという。そんな話を、諏訪に講演に行ったとき、小学校の校長先生からうかがった。
 わたしは、それを「目的地主義」と名づけようと思う。最近の人々の考えでは、旅は目的地に着いてからはじまる。目的地に到着するまでの移動の時間は、どうも無駄な時間に感じられている。それをなんとか工夫して楽しくしようというのが、車内におけるカラオケやゲームである。 (中略)
 かつての旅は、道中が楽しかった。弥次喜多の東海道中も、水戸黄門の漫遊も(注4)、むしろ道中そのもの(注5)に意義があった。ところが、新幹線や空の旅になると、旅の途中は退屈に感じられる。とくに空の旅は、途中はなんにもない。それで、わたしたちの旅の意識が、目的地主義になってしまったようだ。
 旅の意識が変わるだけならまだいい。恐ろしいのは、わたしたちの人生に対する態度が、目的地主義になってはいないか…という心配である。人生は「道中」が大事だ。高校生であれば、高校の三年間の毎日を大切にせねばならない。目的地は大学だから、大学に入ってから人生をはじめるーーといった考え方はおかしい。サラリーマンが、課長や部長を目的地にして、そこに至る「道中」を軽視するなら、その人の人生は寂しいものだ。

(注1) 見知らぬ:見たことがない
(注2) 風物;自然の景色や人々の暮らしの様子
(注3) 興味をかきたてられる:ここでは、興味がわいてくる
(注4) 弥次喜多の東海道中も、水戸黄門の漫遊も:旅行を題材にした昔の二つの物語のどちらも
(注5) そのもの:それ自体

(63)遠足や修学旅行の移動のときの小中学生の様子について、筆者はどのように述べているか。


(64)「目的地主義」とはどのようなことか。


(65)筆者が言いたいことは何か。


(3)
 人工物は人間がある意図のもとにつくり出されたものであるのにも関わらず、その社会に与える影響は設計者の予想を越える場合があり、人工物が人間社会の舵とりを行なう(注1)現象が起きている。たとえばコンピューターは「計算機」という日本語が示すように、当初は計算を行う機器として製作されてきたが、現在ではデーターベース(注2)やコミュニケーションなど、さまざまな用途に用いられ、生活環境を大きく変えてきている。
 このように現代における人工物の大きな影響力を考慮する時、設計者はこれまで、以上に人工物のもつ社会的意味を頭に入れ、積極的に設計者の意図を人工物にもたせていくことが必要だと思われる。これからの科学技術、そしてモノ作りにとって何より必要なのは、いったい、これからわたしたち一人一人がどんな生活を送り、どのような社会を作り上げたいのかというビジョン(世界観・価値観)であり、設計者は常にこのビジョンがどのようなものであるか考え、人工物にその価値観をもたせることが必要だと思われる。
 しかし、設計する人々は、一方では、自分の考えとは別に社会の欲する製品を設計することが要求される。マーケットニーズのない製品は売れないからである。こうした場合に設計者が自分の価値観をマーケットニーズとうまく調和させる(注3)ために、設計者の価値観が購買者(注4)の価値観とのなんらかの共通性をもつ必要がある。そのために設計者は社会の状勢(注5)をよく理解し、将来の社会についての予測をたて、人々の価値観を調査したうえで、設計者としてのビジョンをもつことが求められるだろう。

(注1) 舵とりを行なう:進む方向を決める
(注2) データベース:ある目的に合わせて集めた大量の情報
(注3) 調和させる:合わせる
(注4) 購買者:ここでは、消費者
(注5) 状勢:状況

(66)コンピュータの例を挙げて、筆者が述べていることは何か。


(67)筆者によると、設計者が人工物を設計する時に必要なことは何か。


(68)売れる製品を作るために、設計者はどうすればいいか。


(1)
 私はマネ(注1)の作品に特別の「目」を感じます。その最大の理由はどこにあるのでしょうか。
 一般的な絵画の場合、ルノワール(注1)にしてもモネ(注1)にしても、われわれが普通に見た時の姿が基準で描かれています。つまり、鑑賞者が主役に仕上げられている絵であり、それは、「私が見ている絵」ということになります。しかし、マネの作品の場合は、あくまでも絵そのものが主役に仕上げられており、それは、我々に「(A)」という気を起こさせます。おそらく、マネ自体が、独自の視点(注2)・視線で物事を捉えていたのでしょう。
 有名な「笛を吹く少年」にしても、一見、普通に笛を吹いている少年の絵のような図柄であり、少年の目が特別鋭くこちらを見ている絵でないにもかかわらず、どこから見ても、①「なぜかこちらをじっと見られているような気になります」。ほかの作品にしても、いずれも絵そのものに、非常に強い主張が感じられます。
 マネはまた、純粋絵画を目指した画家でした。それは、絵を鑑賞する際のあらゆる解釈を取り除き、絵そのものの存在感だけを追求したということです。「解釈は関係ない。そこに絵が存在する」。彼の絵があれほど主張を感じさせるのは、②そこからきているのでしょう。
(注1) マネ、ルノワール、モネ:19世記から20世紀はじめのフランスの画家
(注2) 視点:物事を見たり考えたりする立場

(60)( A ) に入れるのに最も適当な語彙はどれか。


(61)①「なぜかこちらをじっと見られているような気になります」とあるが、どういうことか。


(62)②「そこ」とは何を指すか。


(2)
 寒さを防ぐ便利な道具であるにもかかわらず、人類は歴史のほとんどの期間を通じて、ボタンを知らずにすごした。(中略)日本人は着物を帯で締めていた。古代ローマ人は確かに衣服の飾りとしてのボタンは使ったが、ボタンに穴をあけるという発想が欠けていた。また古代(注1)中国では紐に棒を通しはしたものの、一歩進んでボタンとボタン穴を発明することはなかった。①こちらの方がより単純で便利であるのに、だ。
 ところが、十三世紀に入ると、突如として(注2)北ヨーロッパでボタン― ―より正確にはボタンとボタン穴――が出現した。この、あまりにも単純かつ精巧な(注3)組み合わせがどのように発明されたのかは、謎である。料学上の、あるいは技術上の大発展があったから、というわけではない。ボタンは木や動物の角や骨で簡単に作ることができるし、布に穴をあければボタン穴のできあがりだ。それでも、このきわめて単純な仕掛け(注4)を作り出すのに必要とされた発想の一大飛躍(注5)たるや、②たいへんなものである。ボタンを留めたりはずしたりするときの、指を動かしたりひねったりする動きを言葉で説明してみてほしい。きっと、その複雑さに驚くはずだ。ボタンのもうひとつの謎は、それがいかにして見出されたか、である。だって、ボタンが徐々に発展していった様子など、③とても想像できないではないか。つまり、ボタンは存在したか、しなかったかのどちらかしかないのだ。
(注1)古代:古い時代
(注2)突如として:突然に
(注3)精巧な:細かくてよくできている
(注4)仕掛け:何かをするための装置
(注5)飛躍:急に進歩する

(63)①こちらの方」とあるが、何を指しているか。


(64)②たいへんなものであるとあるが、なぜそういえるのか。


(65)③とても想像できないではないかとあるが、どうしてか。


(3)
 「はい」と「いいえ」、とても簡単な言葉のようだが、外国語に言い換えるのは意外に難しい。「あなたはですか」「はい、そうです」。この場合は英語の「イエス」と同様の使い方なので、問題はない。しかし、電話がかかってきたとき、受話器をとって「はい、でございます」と言う時はどうだろうか。また、相手の話を聞くとき、日本人は「はい」「はい」と相づちを打つ。これを「イエス」「イエス」と言ってしまったらどうだろうか。こちらはただ「あなたの話を聞いていますよ」というサインのつもりでも、相手は肯定の意味にとってしまうかもしれない。「できませんか」と聞かれて「いいえ」と言えば、これは「できる」という意味になる。「はい」ならば「できない」という意味。これを英語式に答えると、前者は(A)、後者は(B)となり、日本語とはまったく逆になる。つまり英語では相手の質問の形式に関係なくできることには(C)、できないことには(D)を使うわけで、誤解の元になることも多いのではないだろうか。
 簡単そうな言葉ほど外国語とのずれに気づきにくい。

(66)「はい、でございます」の「はい」は次のどの使い方に近いか。


(67)(A) (B) (C) (D) に入る言葉の組み合わせとして、適当なものはどれか。


(68)本文の内容からわかることはどれか。


 私は大学生のときはクレジットカードを持っていなくて、15年前に就職してすぐにクレジットカードを作ったのだが、3000円以上の買い物に限って使うようにしていた。支払いのときにサインをするのがちよっと面倒なのと、レジで後ろに並んでいる人を待たせているような気がするのとで、あまりに小さい金額では使う気になれず、何となく3000円をそのラインと決めていたのだ。これはその後5年ほど続いた。
 ここ10年は旅行のために航空会社のクレジットカードに加入し、公共料金の支払いもカードで行うようになづている。ポイントを貯めたら航空券がもらえるどいう特典に気がついたからで、それとともに使う金頷のラインも下がってきた。今では1000円以上ならサインをしてもカードを使っているし、サインしなくてもいい店なら—500円ぐらいでもカードを出すようになった。
 さらにSUICAなどの電子マネーを使うようになってからは、100円、200円の支払いにも現金を出さなくなってきた。、おかげで財布に小銭がたまることはなくなったが、カードが増えて財布にそれを入れでいるため、財布の大きさ,重さは結局、昔と変わっていない気がする。

問1 カードを使う金額について、正しいものはどれか。


問2 本文の内容と合っているものはどれか。


 職場からの帰り道、ふと気が変わって、①いつもと違う道を通ることにした。歩いているうちに、この道をまっすぐ行ったら、以前よくランチを食べに行った洋食の店があることに気がついた。ちょっと懐かしい気持ちになって、早足で歩いた。
 5分ほどで店の前に着いたが、もうぞの店はなくなっていて、別の店になっていた。この辺りはレストランが多くて競争が激しいから、なくなってしまうのはよくあることだが、おいしくて値段も手ごろだったあめ店も続けられなかったのかと思うと、ちょっとさびしくなった。
 マスターと奥さんの二人でやっている、カウンターだけの小さな店だった。同僚と2〜3人で行っていろいろ話しながら食べたこともあったし、昼ご飯が遅くなったときには一人で行ったごともあった。そんなときはマスターか奧さんが話し相手になってくれたものだった。お客さんが私だけのときに、コ—ヒーをサービスしてもらったこともあったのに、②勤務時間が変わって、行かなく:なってしまったのだった。
 どこがでお店を出してくれでいたら、また食べに行きたいなと思いながら、その店の前を過ぎて駅に向かった。

問1 ①いつもと違う道を通ることにしたたのはなぜか。


問2 ②勤務時間とは、誰の勤務時間か。


 今は中学校の体育の授業でダンスをする時代で、公園や駅前広場では若者のダンスグループが練習しているのをよく見かける。私はその前を通るたびに思い出すことがある。
 私の母は小学生の頃からダンスを習っていて、将来はミュージカルの女優になりたいと考えていたそうだ。しかし、家庭の収入が安定していなかったため、一人娘だった母は夢をあきらめ、高校を卒業したあと就職したと聞いている。のちに父と結婚して祖父母を引き取り、生活も安定したが、専業(注1)主婦の母は何か物足りなく感じていたそうだ。
 今なら大人のダンス教室がたくさんあって、①母のような人が活躍する場もあるが、その頃は子供の教室しかなかったのだ。そこで母は、私にダンスをさせようと考えた。
 しかし私は、母と違って全くダンスの才能がなかったのだ。おまけに、子供なのに子供が嫌いで、知らない子供といっしょにダンスを練習するなど絶対に嫌だった。私の気持ちが固かったので、母はまた②あきらめることになった
 もしあのとき、母が無理に私を教室に行かせていたら、どうなっていただろう。少しはダンスができるようになっていたのだろうか。2回もあきらめさせて、母に悪いことをしたなと、今では思っている。
(注)専業:それだけをしていること。

問3 ①母のような人とはどんな人か。


問4 ②あきらめることになったとあるが、何をあきらめるのか。


私自身の話をすると、私は基本的にパンのために、つまり衣食住のために働いている。もともと医者志望だったわけではなく、大学受験で希望の学部に入れずに私立の医大に進んだ。医者の仕事の中では小児科(注1)に興味があったのだが、夏休みなどに実習に行ってみて、技術的に自分にはとても無理と断念せざるを得なかった。そして、かろうじて(注2)自分にもできそうな科、ということで精神科を選択することになったのだ。医者という、人の命や人生にかかわる仕事なのに、「生活のために働いているんです。もともとやりたいわけじゃなかったんです」とあっさり認めていいものか、という葛藤(注3)は私にもある。そこで、大型宝くじが発売される夏と年末には、いつも自分に問いかけてみることにしている。
 「もしこの宝くじで1億円が当たったら、私は仕事を辞めるだろうか」自分としては、「いや、私はお金のために働いているわけではない。だから、1億当たろうと10億当たろうと、医療の仕事を辞めることはない」という考えが、自分の中からわき出てこないだろうか、と期待しているのだ。

(香山リカ『しがみつかない生き方』幻冬舎より)

(注1)小児科:子供の病気を専門に扱う医学の分野。
(注2)かろうじて:ぎりぎりで。
(注3)葛藤:ニつ以上の対立する気持ちが同時にあり、どちらを選ぶか迷っている状態。

問5 筆者が精神科の医者になった理由は何か。


問6 筆者はなぜ夏と年末に自分に問いかけるのか


(1) 
 大昔は、 花粉症(注1)という病気はありませんでした。
 恐竜がまだ地球上にいた二億年前、地球で最初の哺乳類(注2)が誕生しました。でも、当時の哺乳類は皮膚に取りついて血を吸う吸血きゅうけつダニ(注3)に苦しめられていたそうです。それは、吸血ダニに対する免疫めんえきシステムがなかったからです。
 しかし進化の過程で、哺乳類は吸血ダニに対抗する新しい免疫めんえきシステムを獲得しました。ここにも突然変異があり、たまたま吸血ダニへの免疫システムをつくった哺乳類だけが生き延びたということです。
 この免疫システムは、吸血ダニを異物と判断して、それを退治(注4)する物質を放出します。こうして哺乳類は、吸血ダニを撃退することができるようになったのです。
 現在の日本のような清潔な環境では、かつてほどダニに悩まされることはありません。そうなると、吸血ダニと戦っていた免疫システムが、宝の持ち(注5)腐ぐされになります。そのために、たまたま外から入ってきたものを、敵と見誤みあやまって攻撃するということが起きるようになってしまいました。このとき、吸血ダニと勘違いされるのがスギ(注6)花粉なのです。スギの花粉が入ってくると、人間の免疫システムが誤って作動し、吸血ダニ退治の物質を出す。そのせいで、目がしょぼしょぼしたり、くしゃみをしたりすることになるわけです。
 こうして見ると、花粉症という病気は、私たちの環境があまりに清潔になりすぎることでもたらされた(注7)病気だということがわかります。
(注1)花粉症:花粉によって起きるアレルギー
(注2)哺乳類:子を乳で育てる動物
(注3)ダニ:小さな虫
(注4)退治:悪いものをうち滅ぼすこと
(注5)宝の持ち腐ぐされ:役に立つものを持っていながら、それを使わないこと
(注6)スギ:木の名前
(注7)もたらす:起きる

(60)この文章によると、哺乳類が進化しながら得たものは何か。


(61)誤って作動とあるが、どういことか。


(62)この文章によると、花粉症は何だと述べているか。


(2)
 まず、テーマに関連のある参考文献を集める。集められるだけ集まるまで読み始めないでおく。これだけしかない、というところまで資料が集まったら、これを机の脇に積み上げる。
これを片端から読んでいくのである。よけいなことをしていては読み終えることが出来ない。メモ程度のことは書いても、ノートやカードはとらない。
 それでは忘れてしまうではないかと心配になる人は、カード派であり、ノート派である。そういう人は、この方法のまねはしないこと。まねしてもうまく行くはずがない。全ては頭の中へ記録する。もちろん、忘れる。ただ、ノートに取ったり、カードを作ったりするときのように、きれいさっぱりとは忘れない。①不思議
(中略)
 読み終えたら、②なるべく早く、まとめの文章を書かなくてはならない。ほとぼり(注1)をさましてしまうと、急速に忘却(注2)が進むからである。本当に大切なところは忘れないにしても、細部のことは、そんなにいつまでも、鮮明せんめいに記憶されているとはかぎらない。
 たくさんの知識や事実が、頭の中で渦巻(注3)いているときに、これをまとめるのは、思ったほど楽ではない。まとめを嫌う知見(注4)が多いからである。しかし、ノートもカードもないのだから、頭のノートがあとからの記入で消える前に整理を完了しなくてはならない。
 本を積んで、これを読破(注5)するのだから、これを③つんどく法と名付けてもよい。普通、つんどくというのは、本を積み重ねておくばかりで読まないのを意味するが、つんどく法は文字通り、積んで、そして読む勉強法である。そして、これがなかなか効果的である。
(注1)ほとぼりをさます:熱気が冷める。
(注2)忘却:忘れること
(注3)渦巻く:ぐるぐる回ること
(注4)知見:見聞して得た知識
(注5)読破:すべて読むこと

(63)①不思議であるとあるが、何が不思議なのか。


(64)②なるべく早く、まとめの文章を書かなくてはならないとあるが、それはなぜか。


(65)③つんどく法とあるが、どんな方法か。


(3)
 人間の作ったロボットが人間を攻撃し始めるのは、SF映画の定番だ。源流の一つに、チエコの作家チャペックによる戯曲ぎきょく「ロボット」がある。なぜ人間に刃向(注1)はむかうのか、彼ら自身が語る理由が①恐ろしい。「あなたの方がロボットのようではないからです。・・・ロボットの様に有能ではないからです。」
 ロボット頭脳となる人工知能の進歩がめざましい。この分野への投資は世界的なブームとも聞く。明るい未来につながるのだろうか.。―方で警戒する。
「完全な人工知能が開発されれば、人類の終焉(注2)を招くかもしれない。」名高い宇宙物理学者ホーキング博士が、英BBC放送に語っている。知力で勝る人間は多くの生き物を圧倒あっとうし、絶滅させた②同じことが起きないとも限らないと。
 もっとも現場の研究者に聞くと心配する水準ではないという。学習能力は「まだ2歳児程度」の声もある。だが、2歳児と比べられるところまで来たと見ることもできる。
大人になって、我々を超えるのにあとどのくらいだろう。忘れていけないのは、巨大な技術はときに私たちに牙きばをむく(注3)ということだ。
(注1)刃向かう:反抗する
(注2)終焉:絶滅
(注3)牙をむく:危害を加える

(66)①恐ろしいとあるが、なぜか。


(67)ここでいう②同じこととはどういうことか。


(68)筆者は、人工知能の技術に対してどのように感じているか。


(1)
 われわれは、自分のことはよくわからないが、ほかの人のことはよくわかる。だから、部下のことはよくわかる。しかし、①本当にそうだろうか
 確かに、部下の短所についてはよくわかっている。しかし、長所についてはあまりわかっていないといったほうがよさそうだ。それが証拠に、部下の長所を聞かれても、あまりあげることができないし、しかも具体的に言えない上司が多いのである。(略)
 われわれは、仕事を通して、部下の言動を見ている。そして、その部下のさまざまな言動を無意識的に観察して、部下の人柄や能力などを判断しているのだ。その判断というのが極めて(注1)抽象的なものである。具体的な事柄を明確にしたうえで、導かれた(注2)ものではなく、漠然(注3)と記憶されたものから導きだされた感覚的なものなのだ。だから、部下の長所をあげろと言われたときに、あまりあげられないし、②あげられたとしても具体的ではないということになるのである。
(注1)極めて:非常に
(注2)導く:答えを出す
(注3)漠然:はっきりしない様子

(60)①本当にそうだろうかとは何が「本当」なのか。また筆者はそのことについてどう思っているか。


(61)②あげられたとしても具体的ではないのはどうしてか。正しくないものを選べ。


(62)筆者の考えとして正しいものはどれか。


(2)
 売り上げが落ちているデパートで、地下にある食料品売り場が総売上の2割から3割を稼いでいるらしい。略して「デパ地下」と言われる売り場だ。
 働く女性が会社帰りに買って行くだけでなく、主婦もよく利用している。サラダ一つ取ってもスーパーより高いが、それがつぎつぎに売れていく。有名ホテルの料理はスーパーの倍以上の値段だ。主婦が料理を作らなくなったというわけではない。値段は安いものを買っていても、たまには高くてもおいしいホテルの料理を味わってみたいのだ。おかずばかりでなくケーキや日本の菓子もよく売れる。長い行列ができているので何だろうと行ってみたら、ケーキやパンの焼き上がりを待っている人たちだったということがよくある。一度人気に火がつくと、たちまち人が集まる。
 だからデパートでは、有名なおいしい店に店を出してもらえるかが生きるか死ぬかの問題になるほどだ。どこどこのがおいしいと聞けば、どこであろうとすぐに確認に走る。遅れをとってほかのデパートに店を出されたら大変だ。以前変わったパンが評判になって長い列ができたことがニュースに取り上げられたこともある。それもいい宣伝にある。

(63)サラダ一つ取ってもスーパーより高いの意味は何ですか。


(64)生きるか死ぬかの問題になるほどだとはこの場合どんなことですか。


(65)デパ地下について述べているのはどれですか。


(3)
 子供が犯罪に巻き込まれる事件が続いています。親や警察はもちろん、学校や地域も力をあわせて子供を守るために努力しています。
 警察では子供が犯罪の被害を受けないようにと「いかのおすし(イカのお寿司)」という標語を作って普及に努めています。とても覚えやすい標語です。
 「いか」はついて「行かない」、「の」は車に「乗らない」、「お」は「大声を出す」、「す」は「すぐ逃げる」、「し」は周りの大人に「知らせる」です。大事なことがすべて入っている大変いい標語です。
 ほとんどの子供たちはこの評語を知っています。けれども知っているからといって、急に身を守れるものではありません。大人は変な人がいたら注意するなど、普段から子供の周りに注意をはらい危険を取り除いてやる必要があります。子供の安全を守るのは私たち大人の責任なのですから。

(66)「いかのおすし」とはなんですか。


(67)この標語について説明で正しいのはどれですか。


(68)一番大切なことは何ですか。


 誰でも子供の時というのは黄金時代なのである。その時には何も感じないような平凡へいぼんな出来事でも、時をへてみると、いつしか(注1)黄金に変わっている。①ふだんは気がついていなくても、あの時にへと想いを馳せれば(注2)、 そこいら中(注3)、黄金おうごんでないものはない。

子供の頃の雑誌か何かの教材(注4)で、点がばらばらに投げ出されていて、その点に番号が打ってある。その番号順に点を結んでいけば、ライオンやゾウの姿が浮かんでいる。これは数字を学習するための教材なのであるが、私は幼い頃の記憶もこれに似ていると思う。散らばった点は無数にあり、②星のように光っているものも、燃え尽きて消え人ろうとするものもあるのだが、点と点とを結んでいくと記憶がありありと甦よみがえってくる(注5)。消えそうな点も、もう一度輝き出すのである。
そうやって現れてくるものは、結んでいく点の順番によって、どのようにでも変わっていく。(中略)
 昔はみんな子供だったのである。誰もが記憶の中に黄金を埋蔵させている(注6)。問題はそれを掘り起こすかどうかであって、掘ろうという意志いしを持ったとたん、地下鉱脈を(注7)掘りあてたかのように③黄金はあふれ出してくる

(立松和平「いい人生」野草社による)

(注1)いつしか:いつの間にか
(注2)想いを馳せる:遠く離れている人や物事ことを思う。
(注3)そこいら中:そこも、ここも、全部
(注4)教材:教えるための材料や道具
(注5)甦る:死にそうだったり、消えそうだったりしたものが、もう一度元気になる
(注6)埋蔵させている:土の中に理めてかくしてある。
(注7)鉱脈:役に立つ鉱物が理まっているところ

(1)①ふだんは気がついていなくても何に気が付いていないのか。


(2)②星のように光っているものも、燃え尽きて消え人ろうとするものもあるのだがとは、ここではどのような内容を指すか。


(3)③黄金はあふれ出してくるの「黄金」とは何か。なぜあふれ出してくるのか。