(1)
  従来(注1)の会議では、一番地位の高い人が自動的に司会ないし(注2)議長の役もする傾向があった。
  【中略)
 「いい会議」をもつためには十分な準備が必要である。トップにそんな時間があるはずはない。したがって、自分で準備をして会議を運営するよりも、他の人に任せる選択をすべきである。トップは、あまりたくさんのことをやりすぎてはいけない。全部をやろうとすることは、すべてがうまく運べないことにつながりかねないから。しかし、自分が一番情報をもっている場合が多いので、最初の段階で他の出席者に必要な情報を伝える義務はある。また、決定されたことを受け入れるためには、自分も積極的に参加して言うべきことは言っておく必要がある。トップの姿勢次第で、他の出席者は積極的に参加することもあれば、本音(注3)を言えずにただそこに座って居るだけで、かつ(注4)不満を心の中にしまい込んでおく参加の仕方になってしまう場合もある。その意味でトップがどのように参加するかは、会議の成否(注5)を決める決定的な(注6)要因の一つである。
 あとは、進行役に任せることが大切で、基本的には、トップの存在感が薄いほど他の出席者は積極的に参加する。その方が普段は聞けないたくさんの意見やアイデイアを聞くチャンスを得られることにもなるし、会議に参加して本当によかったと誰もが思えるようになるのである。

(吉田新一郎『会議の技法』による)


 (注1) 従来:今まで
 (注2) ないし : または (注3) 本音:本当に思っていること
 (注4) かつ :そのうえ
 (注5) 成否:うまくいくかいかないか
 (注6) 決定的な:ここでは、重要な

(60) 一番地位の高い人が会議で議長役をすることについて、筆者はどのように考えているか。


(61) 会議中にトップがしなければならないことは何か。


(62) トップ以外の会議の出席者が本当によかったと思えるのは、どのようなときか。


(2)
 1959年は板ガラス製造において記念すべき年である。この年、ある画期的(注1)な板ガラス製造法の実用化に成功した。この製造法の発明から実用化までは、苦難の道であり7年の年月がかかったが、この方法によって、表面に輝きがあり、平らでゆがみのない(注2)板ガラスを連続的に低コストで作る ことができるようになったのである。
 ガラスが窓に使われ始めたのは今から2,000年以上前のことで、初期の板ガラスは、分厚く、泡を多く含み、表面に傷がたくさんある粗末な品質のものだった。4世紀ごろになると、表面に輝きがある薄い板ガラスの製造法が発明されたが、作れる板ガラスの大きさには限りがあった。その後、より大きな板ガラスの製造法も発明されたが、この製造法においてもゆがみをなくすことはできなかった。それだけでなく①後戻りをしてしまった点もある。溶かしたガラスを手作業で平らにしたため、表面に輝きがなかったのである。磨くことで輝きを出すことは可能だったが、特別な技術が必要で、手間も費用もかかった。
 このように、板ガラスの歴史を通じて多くの製造法が発明されたが、いずれもどこかに問題点を抱えていた。それらが一気に解決され、高品質の板ガラスを大量生産することが可能になったのが1959年なのである。1960年代の日本は自動車の普及が進み、同時に安全性の向上が求められていた時期である。②この成功があって初めて、これらの需要にこたえることが可能だったと言えるだろう
 (注1) 画期的:今までと大きく異なる、新しい
 (注2) ゆがみのない:ここでは、凸凹のない

(63) ①後戻りをしてしまった点とあるが、それはどんな点か


(64) ②この成功は何を指すか。


(65) 1959年を記念すべき年と、筆者が述べているのはなぜか。


(3)
 数年前、家を引っ越した。50年住み慣れた小さな家だったが、いざ引っ越しとなると、使っていない道具がごろごろ出てきて、あらためてものの多さにびっくりした。道具にしろ、本にしろずいぶん多量に所有していて、これを使いこなし(注1)、読みつくす(注2)には多量の時間がかかる。あと何年生きられるだろうと人生を逆算してみて、①この物量はムダだなあアと引っ越しのトラックの助手席で考えた。  私は世間の人よりはものの所有欲が強いとは思っていない。むしろものをもたないほうと思っているが、それでもものが多過ぎるのである。
 昔、「預かりものの思想」と言った人がいる。人はぼつんと生まれて、ぶつんと消えていく。家や土地、道具にしても、いくら自分の所有だとカんでみても、死んでしまえばもっていけない。いずれは世の中に返していかなければならない。このわずかな人生の時間の中で、②それを楽しむしかないのだ。空気や水と同じように、土地も家も道具も、あらゆる諸物は世の中から預かって、生きている間だけ借りているのだ、という考えだった。
 たしかに、私たちはものへの所有欲が強い。車をもつ、家をもつ、高級ブランド品をもつ、携帯電話をもつ、コンピューターをもつ、所有することで満足感を得ている。しかし、所有欲をふくらませるには、どこかで限界があるだろう。「預かりものの思想」は、そういう物欲にかられる(注3)私たちに冷水をかける思想だった。

 (野外活動研究会 『目からウロコの日常物観察ーー無用物から転用物まで』 による)


 (注1) 使いこなす:ここでは、すべて使う
 (注2) リみっくす。すべて機む。
 (注3) 物欲にかられる:物欲を抑えられなくなる

(66) ①この物量はムダだなあとあるが、筆者はなぜそう考えたのか。


(67) ②それとは何を指すか。


(68) 「預かりものの思想」では、ものをどのように考えているか。


 イギリスの⼩学校では、メディア(注1)について考える授業が取り⼊れらている。
「ステレオタイプの説明ができる⼈は?」
 先⽣の問いかけに、いっせいにてがあがった。
「ある決まったイメージで、⼈とかものについて⾔うこと。」⾃信たっぷりに男の⼦が答えた。
「コンピューターゲームのコマーシャル(注2)に、男の⼦しか出てこないのはおかしいわ。わたしだってやっているのに。」と⼥の⼦。
「コマーシャルに出てくる家族は、まきって優しいお⽗さんとお⺟さん、かわいい男の⼦と⼥の⼦。おまけに、みんなとても幸せそう。でも、①それって変じゃない?」と、別の⼥の⼦が疑問を投げかけた。
 ⽣徒たちは、「メディアの中の現実」と「⾃分たちが住む現実」とを⽐べることで、メディアが映し出す世界を、新たに認識し直す作業をしているのだ。コマーシャルは、商 品を売るために「作られた」ものであり、現実そのものではないこと。「男の⼦らしさ・⼥の⼦らしさ」とか「幸せな家族」というイメージは、⼦どもたちの周りにあふれているが、それらが必ずしも「本当のこと」ではないこ と。授業では、それを⼦どもたちに気づかせていった。
 ⽇本に住むわたしたちも、⽇々、さまざまなメディアに せっ 接しながら暮らしている。
わたしたちもまた、⽂字読み書きや⽂章の読解に加えて、②メディアについて学ぶ必要があるのではないだろうか。
(注1)メディア: テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など
(注2)コマーシャル:ここではテレビで返送される宣伝・ 広告のこと

(60) ①「それ」はなに 何をさ 指していますか。


(61)②「メディアについて学ぶ」とあるが、ここではどういうことか。


 今⽇は、元中学教師で、現在は⼤学講師の松⽥さんを紹介します。中学教師時代には校内暴⼒で荒れた学校を⽴て直し、野球部を5回も⽇本⼀に導いた松⽥さん。①「⾃⽴型⼈間」を育てるのが何より⼤事だと松⽥さんは⾔います。その指導⽅法の特徴は、まず具体的な⽬標を書かせることです。それに向けて⾃分の問題点をはっきりさせ、解決策を考えさせるのです。こうして、⾃ら考えて⾏動する⼈間を育成するのが松⽥さんのやり⽅です。
 松⽥さんは、さらに②職場での上司(注)と部下の関係についても話っています。
 「ここに川があるとしましょう。この川をいっしょに渡ろう、というのが先輩と後輩の関係。でも、上司と部下は違う。川の向こう側に部下がいて、上司は部下をこちら側に渡って来させなければならない。そのときに、やさしい声をかけていたら、部下のやる気は起こらない。部下の能⼒を⾼めてあろうと思ったら、川のこっちと向こうとの対⽴関 係を恐れてはいけない。そのためには、部下を正しく評価すると同時に、⽋点もはっきり⾔うべきないです。」
 松⽥さんは、「リーダーは、とにかく社員たちに関わってやることが重要だ」と⾔います。「褒めるのもオーケー、叱るものオーケー。とにかく関わってやること。それが⼤事なんだ」。⼤⼈が⼦供を育てるときでも、教師が⽣徒を教えるときでも、上司が部下に接するときでも、基本的には同じだと⾔うのです。
(注)上司: 会社などどの職場で、⾃分より地位が上の⼈。部下は、地位が した 下の⼈

(62)①「⾃⽴型⼈間」とは、どんな⼈間か。


(63)「松⽥さん」重視する②「職場での上司と部下の関係」とは、どれか。


(64)「松⽥さん」が重要だと考える上司の態度は、どれか。


 考え事をしていて、うまく⾏かないときに、くよくよしているのがいちばんよくない。だんだん⾃信を失って⾏く。論⽂や難しい原稿を書いている⼈にしても、書斎にこもりっ切り(注1)で勉強をしているタイプと、ちょいちょいたいした⽤もないのに⼈に会うタイプとがある。
 ちょっと考えると籠城(注2)している⼈の⽅がいい論⽂を書きそうであるが、実際は①⼈とよく合っている⼈の⽅が、すぐれたものを書くようだ。仲間と話をする。みんな、ダメだ、ダメだ、と半ば⼝ぐせのように⾔っている。それを聞くだ⾃分だけ苦労しているのではない。まだ、ましな⽅かもしれないという気持ちになる。間接的にほめられているようなものだ。帰ると意欲がわくということになる。ひとりでよくよするのは避けなくてはいけない。⼈と話すのなら、ほめてくれる⼈と会うようにする。批評は するど 鋭いが、よいところを⾒る⽬のない⼈は敬遠する。
 ⾒え透いたお世辞のようなことばを聞いてどうする。真実に直⾯せよ。そういう勇ましいことを⾔う⼈もあるが、②それは超⼈的な勇者である。平凡な⼈間は、⾒え透いたことばでも褒められれば、⼒づけられる。お世辞だと分かっていても、いい気持になる。それが⼈情なのではないかろうか。
(注1)こもりっ切り:ずっと中にいて外出しようとしないこと
(注2)籠城:こもりっ切りとほぼ同じ意味

(65)①「⼈とよく合っている⼈の⽅が、すぐれたものを書くようだ」のはなぜか。


(66)②「それは超⼈的な勇者である」とあるが、「超⼈的な勇者」とはどのような⼈か。


 以下は、小中学校での法教育について書かれた文章である。
 すべての法律を小さいころから学習していくことは不可能なことですが、法的な考え方(リーガルマインド)を身につけることで、自分で考え・調べ、自分で解決する能力は格段(注1)に高まります。
法教育というとどうしても、「法律を教える」と考えがちですが、それだけが法教育ではないのは、言うまでもありません(注2)。クラスのみんなで、クラスの問題点を洗い出し、どうすれば解決できるのか.そしてそれを解決するため、また、再発させないためにはどのようなルールが必要か、ということを話し合い、みんなで民主的に(注3)ルールを作っていくこともまさに①法教育の一つの姿です。
 さまざまなルール(法)は民主的に作られ、約束事(契約)は当事者(注4)の合意(注5)により締結される(注6)といった、法の基本的なところを身をもって体験することができます.
 また、新聞を多用し、時事的なニュースを使った法教育も効果があります。憲法改正、選挙の問題、消費者問題などは、それだけを教えようとするとつまらないものですが、新聞などを使った旬の(注7)話になると、子供たちの興味も惹きやすくなります。自分自身のことと考えることができるかどうかは、理解のスピードに大きな差を生みますが、具体的な「今」問題となっている事例は、その点、すぐれた教材となります.

(にへいひろし(二瓶裕史)『これだけは知づておきたい人生に必要な法律』による)


(注1)格段に:非常に
(注2)言うまでもない:当然だ
(注3)民主的に:ここでは、了解し合って
(注4)当事者:直接関係している人
(注5)合意:意思が一致すること
(注6)締結される:ここでは、成立する

(60)①法教育の一つの姿として、本文挙げられている例はどれか。


(61)筆者によると、新聞を使うといいのはなぜか。


(62)小さいころから法教育をすることの利点について、筆者はどのように述べているか。


(2)
以下は、読書の利点について書かれた文重である。
外の世界に触れずにいると、人はそれまで与えられてきたひとつの価値観を持ち、そこから脱出しようとしないことが多い。固定した価値観を持ってしまう。少なくとも、自分の狭い体験のみによって価値観を築いていく。
だが、読書をして教養を身につけることで、自分という一人の人間の経験や考えを中心にしながらも、それを絶対(注1)視せず、ものごとを相対化(注2)しつつ考えることが可能になる。
 確かに、初めのうち、新たに本を読むたびに新しい価値観に触れ、自分の価値観がぐらついてくることがあるだろう。読んだ本のすべてに感心し、自分の考えが暖昧になってくるわけだ。あれこれと知識が増えてしまって、何を信じればよいのかわからなくなってくる。
 だが、多くの本を読むうち、そのような時期は過ぎていく。だんだんと特定の本に感化(注3))されるようになってくる。そして、それに対立する本に反発を感じるようになってくる。すなわち、だんだんと自分の考えが明確になっていく。
 そうなると、本を読む前の固定的な価値観とは異なってくる。狭い自分の体験だけから判断するのではなく、反対意見も踏まえ(注4)、別の考え方も知ったうえで自分の考えが明確にできるようになってくる。

(樋口裕一『「教養」を最強の武器にする読書術』による)


(注1)絶対視する:ここでは、疑いのないものとして考える
(注2)相対化しつつ考える:他のものとの関係の中で考える 里
(注3)感化される:ここでは、景獲を受ける
(注4)踏まえる:ここでは、考える

(63)人は外の世界に触れずにいるとどうなると筆者は述べているか。


(64)そのような時期とはどのような時期か。


(65)読書の利点について、筆者はどのように考えているか。


(3)
人間はみんな「自分はこのような人間だ」というイメージを持っています.これを自己イメージといいます.ある人に会った人は、その人のイメージを持ちます.これを他者イメージといいます.継続的な人間関係があると、相手のイメージが固定してきます.自己イメージと他者からの自分に対するイメージに議離(注1)が大きいと、人間関僚に障害が生じます.自分は無口だと思っているのに、他人からはおしゃべりだと思われ
ていたら、そこには誤解が生じているので、誤解した(された)人間関係が生まれるのです.
 「自分は他人から誤解されやすい人間だ」と感じる人は、自己イメージと他者からのイメージに事離があるのです.誤解はどうして生じるかというと、自分の方lま自分の心の持ち方で判断しているのに対して、他者はその人の行動から判断しているからです(中略)他人のことは、タ卜から見えることでしか判断できませんが、自分のことは、見えること(行動)と見えないこと(心の内)とによって、判断しているのです。誤解されやすいと感じている人は、だから、自分の行動と患いに家離があるのです.思いをそのまま行動に移せていないのです。ときには、思いと反対の行動をしていることさえあるのです.
 思いが行動に移せていないときは、誤解されるだけでなく、ストレスが溜まります。ストレスは思いが伝わらなかったり、発散(注1)できなかったりするときに生じるのです.自己イメージと他者からのイメージの茶離を解消するには、自分の心に一致した行動を取るか、行動の方を自分がしたいからそうしているのだと認めることです.

(東山紘久『悩みの ントロール術』による) 


(注1)議離:離れていること
(注2)発散:タトへ出すこと

(66)自己イメージと他者からのイメージについて、筆者の考えに合うものはどれか。


(67)筆者によると、他人から誤解されるのはなぜか。


(68)筆者の考えに合うものはどれか。


 日本ではよく、「若者はもっと個性を発揮すべきだ」とか、「個性を磨くべきだ」などと言われます。けれど私は、そういう言葉にはあまり意味がないと思っています。また、日本では「個性」という言葉が主に人の外観に関して使われることにも、私は違和感(注1)を持っています。たとえば、「個性的なファッション、個性的なへアスタイル」は、「人がアッと驚くような奇抜(注2)なスタイル」であることが多いでしょう。
(中略)
 このように考えると、「個性=人より目立つこと」と、多くの人が錯覚(注3)しているのではないかと思います。
 でも、根本的なことを言ってしまえば、この世に生まれた人間は一人残らず全員、それぞれの個性を持っています。だから、誰かに「磨きなさい」と命令されて、義務のように磨く必要などないのです。
 あなたが生まれ持った個性は、明らかにあなただけのものです。世界中に、あなたと同じ個性を持つ人など誰一人としていないのですから、「他の人はどうかな?」とキョロキョロすることは不必要だし、他人の真似をする必要もありません。真似しようとしても真似できないのが、個性というものなのです。
 あなた自身が「楽しい、面白い、不思議だ、ワクワクする、ドキドキする」と感じ、心から求めているものを優先すれば、それでいいのです。「磨く」とか「発揮する」などと意識しなくても、自分が本当に好きなもの、興味があることに気持ちが向かっていけば、自分の世界がどんどん広がっていく。それが①本当の意味で「個性を磨く」ということです。

(今北純一『自分力を高める』による)


(注1)違和感:ここでは、なにか違うという感じ
(注2)奇抜な:珍しくて目立っている
(注3)錯覚する:勘違いする

(60) 日本人が使う「個性」という言葉について、筆者はどのように述べているか。


(61) 個性について、筆者の考えに合うものはどれか。


(62) 筆者によると、本当の意味で「個性を磨く」とはどのようなことか。


(2)
 「話し言葉」の最も重要な特徴は、声を使うところにあるのではなく、聞き手が目の前にいるというところにあります。話し手と聞き手は、親しい関係の場合もあれば、初対面の人、行きずり(注1)の人の場合もありますが、少なくとも両者は、そこがどんな場所で、どんな状況であるかについて、一定の共通認識(注2)を持っています。 同時に、相手がどういう人であるかについても、ある程度はわかります。
(中略)
 ところが「書き言葉」になると、たとえ親しい相手への手紙でも、あちこちで説明が必要になります。自分しか読まないはずの覚え書きでも、時間がたつと書かれた状況がわからなくなりますから、「あとで読み返すかもしれない自分」への最低限の配慮(注3)はしておかなくてはなりません。説明するというのは、「自分には言葉にしなくてもわかっていること」を、わざわざ言葉にする作業ですから、とてもやっかいです。でも、そこがきちんとできていないと、誤解が生じて取り返しのつかない(注4)結果になることもありえます。
 面とむかって(注5)の話なら、相手が気を悪くすれば急いで謝ることもできますが、手紙だと、怒らせたことに気づかないまま関係が切れる恐れすらあるのです。
 ですから、「書き言葉」においては、文字の読み書きという知識に加えて、自分が書いたものを読む相手がどんな情報を必要としているかを推測する(注6)力、そして、その情報を、どんな言い方、どんな順序で提供すれば、わかってもらいやすく、誤解が生じにくいかを考える力が、いかに(注7)大きな意味を持つかが分かっていただけると思います。

(脇明子『読むカが未来欄よら ダグ一筐主生への読書支援』 による)


(注1)行きずりの人:たまたま出会った人
(注2)認識:理解
(注3)配慮:気配り
(注4)取り返しのつかない:もとに戻せば大変な
(注5)面とむかって:対面して
(注6)推測する: ここでは、想像する
(注7)いかに:どんなに

(63) 筆者によると、「話し言葉」の重要な特徴とは何か。


(64) 誤解が生じてとあるが、どのような時に誤解が生じるのか。


(65) 「書き言葉」について、筆者の考えに合うのはどれか。


(3)
 従来(注1)、旅行業にとって顧客(注2)を喜ばせることは難しくなかった。 自分の行ったことがないところに行きたい、見たことがないものを見たい、食べたことのないものを食べたいというのが主なニーズであったし、長い休みの存在自体が旅行の動機になり得たからだ。だから参加者の多くは、そこに行って、
そこそこ(注3)の観光ができれば、十分に満足した。
 旅行会社は、価格を抑えるために人々を大量に効率良く(注4)送客すればよかった。北海道や沖縄、グアムやハワイ、アジアのリゾート地...場所の魅力を繰り返し伝えて刺激し続ければそれでよかった。しかし、そうして多くの人がさまざまな場所に出掛けるようになると、今度はただ行くだけでは満足しなくなる。目的が必要になる。行ってどうするのか、何ができるのかという目的が重要になる。
(中略)
 この流れは現在も続いており、旅の動機づけとしては重要な視点となっている。ただ、残念ながらそういうことをマス(注5)としてとらえることが、価値観の多様化のなかで難しくなってきている。個々の目的を一つに束ねてマスの企画にすることが難しいのだ。ブームが発生しづらくなっている状況と原因は同じであろう。

(近藤康生『なぜ、入は旅出るのか』による)


(注1) 従来:これまで
(注2) 顧客:客
(注3)そこそこの:まあまあの
(注4) 効率良く:ここでは、経費や時間をかけずに
(注5) マス:集団

(66) 筆者によると、これまでの旅はどのようなものだったか。


(67) 筆者によると、客は旅で何を重視するようになってきたか。


(68) 筆者によると、旅行会社が難しいと感じている点は何か。


(1)
 話す場合には、たいがい(注1)、聞き手がすぐ近くにいて、そのとき、その場で自分の考えに表現を与えながら、さらなる考えを進めていく。
(中遇)
 それに対して、①書くという表現の場合には、たいていはひとりで、じっくり時間をかけて、ノートやパソコンなどを使って、考えたことを文字にしていったり、あるいは考えながら文字にしていくことが多いはずです。考えたことが消えずに文字として残ることも、話す場合とは大きく違う点です。ちょうど本という活字メデイア(注2)が、読者にとって自分のペースで考えながら読んでいくことができるのと同じように、書くという行為は、話すのと違って自分ペースで、行きつもり(注3)しながら、考えを人進めていくことができる表現方法なのです。
 しかも、考えたことを文字にしていく場合、いい加減であいまいなままの考えでは、なかなか文章になりません。何となくわかっていることでも、話し言葉でなら、「何となく」のニュアンス(注4)を残したまま相手に伝えるろことも不可能ではありません。それに対して、書き言葉の場合には、その②「何となく」はまったく伝わからない場合が多いのです。身振りも手振りも使えません。顔の表情だって、読みチには伝わりません。それだけ、あいまいではなく、はっきりと考えを定着させることが求められるのです。そのような意味で、書くという行為は、もやはやした(注5)アイデアに明確なことばを与えていくことであり、だからこそ、書くことで考えるカカもついていくのです。

(間谷剛彦『知的複了思考法一誰でも持っている創造カのスイッチ』による)


(注1)たいいがい:たいてい
(注2)活字メデイア:ここでは、活字で書かれたもの
(注3)行きつもどりつ:行ったりきたり
(注4)ニュアンス:ここでは、和妙な感じ
(往5)もやもやした:ぼんやりした

(60)①書くという表現の場合の特徴として、筆者が述べているのはどれか。


(61)②「何となく」はまったく伝わからない場合が多いとあるが、なぜか。


(62)この文章で筆者が最も言いたいことは何か。


(2)
 これはビジネス文章に限ったことではないのだが、何であれ文章を書いていると、少しばかり緊履感を覚えるものだ。 書きながら、頭の中でこんなことを考えている。
 この書き方でいいのかな。
 これ、ひピく下手な書き方じゃないだろうか。
 これでわかるかな。
 そういう入がしきり(注1)にして、ちょっとしたプレッシャーになっている。 だからこそ、文章を書くのは苦手だ、と思っている人もいるのじゃないだろうか。
 しかし、その逆もまた真である。文章を書く面白さとは、そういうプレッシャーを感じな訳ら、何とか諸問題をクリアして、一応のものを書き上げることにあるのだ。
 テレビゲームが楽しいのと同じ理屈(注2)である。あれば、攻略(注3)するのな義にまざまな障害をかわしながら(注4)、次々に問題をか解決していって、何とかクリアしていくところが面白いのである。難しいからこそ、うまくやった時に楽しいのだ。
 文章を書くのも、①そういうことである。これでいいのかな、と一抹の(注5)不安を下な天ら、何
とか書いていくってことを楽しまなければならない。
 別の計い方をすると、文章というものは、書く人に対して、うまく書いてくれ、と要求してくるのである。なぜなら、 文章とは人と人とのコミュニケーションの道具だからだ。
 この例外は、自分だけにわからばいいメモと、絶対に他人に見ない日記だけである。
 それ以外の文章は、必ず、書く人間のほかに、②読む人間がいて完成されるのだ。そして、書いた人の伝えたかったことが、読んだ人にちゃんと分ってこそ、文章を果たしたことになる。

(清光克「ズラ有ョ縛穫ける「ビジネス文章」による」)


(注|) しきりに:何度も
(注2) 理届:ここでは、考え方
(注3) 攻略する:うまく解決する
(注4) かわしながら: 避けながら
(注5) 一抹の : ほんの少しの

(63)筆者は、文宇を書くときに何がプレッシャーになっていると述べているか。


(64) ①そういうことであるとはどういうことか。


(65) ②読む人間がいて完成されるとはどういうことか。


(3)
 皆さんは寄付をしたことがあるだろうか。異常気象で食べるものが不足して困っている人や、地震で家を失った人のためにわずかながらもお小遣いから寄付した経験を持つ人は多いだろう。その寄付に対する考え方に、今、新しいい動きが起こっている。
 ある会社では、社員食堂で低カロリーの定食を食べると代金の一部が寄付金とかって(注)途上国の子供た地の食生活を支援する、というシステムを取り入れている。社員としては体調管理につながるだけでなく、人を助けることができ、会社としては社員の健康を支えながら社員南献ができるので、社員にとっても会社にとっても一石二鳥というわけだ。
 また、「寄付つき」の商品を販売する企業も増えている。特定の商品を買うと売り上げの電部が寄付されるというもので、ほかの商品と比べるとやや値段は高いが、商品を買えば、同時に寄付できるという手軽さが消費者に歓迎され、売り上げを伸ばしているという。
 これまでの寄付はわざわざ募金の場所へ足を運んだり、銀行からお金を振り込んだりしなければならないものが多く、社会頁献に関心はあっても寄付をするのは面倒だと実際の行動には移さない人も少なくなかった。そこに目をつけたのが新しい寄付の形で、これまでと比べ手手軽に寄付ができようになり、ぎなり、社会貢献がしやすくなった。さらに、企業にとっても自社のイメージの向上や売り上げの増加などメリットの多い取り組みとなっている。
 このように寄付は慈善のためというばかりでなく、寄付をする側にもプラスになる活動としてとらえなおされ始めている。
(注) 途上国: 経済成長の途中にある国

(66) 社員食堂で低カロリーの定食を食べることがどんな良い結果につながるのか。


(67) この文章では、これまでの寄付にはどのような問題があったと述べていろるか。


(68) この文侍における新しい寄付とはどういうものか。


(3)
 大人になってからの勉強で、なかなか理解が進まないことの大きかな原因の一つが、実は、復習をちゃんとしないことにある。学生時代の勉強は、いやでも復習がカリキュラムの中に織り込まれている(注1)はので、知識が定着しやすくなっている。これに対して、大人になって自分で勉強するときには、意識して復習の機会をつくらないと、一回本を読んだだけで「もうわかった。大丈夫」と思い込んでしまいがちになるのだ。
 脳の特性(注2)として、目や耳から入った情報をいったん溜めておいて、その中から必要のないと思われる情報を自動的に脳の奥底にしまい込んでしまう。では、どこで、「必要な情報」と「無用な情報」をよりわけている(注3)のかというと、同じ情報が繰り返し入ってくるかどうかということである。この間隔は一カ月とわれており、すなわち、一カ月の間で最低二回繰り返して頭に入れることで、「必要な情報」だと脳が認識し(注4)、知識が定着していくのである。逆に言えば、一度頭に入れて覚えたつもリでも、一カ月の間に繰り返し情報が入ってこなければ、いずれは「無用な情報」として脳「のう」がどこかに片付けてしまうのだ。
 この結果、いったん覚えたはずの知識は、しばらくすると記憶の中から失き消えて(注5)しまったようになり、実際に試験をしてみるとまったく思い出せないということが起こる。そをそこで、「年をとって記憶カが弱くなった」とか、「できていたはずなのに」と落ち込んでしまうけれど、実際には老化のせいでも何でもなく、 単に復習をしていないだけだということが多いのだ。

(和田秀樹『40 代からの勉強法一やる気・集中力をどう高めるか』による)


(注1)織り込まれる:ここでは、入っている
(注2)特性:ここでは、特徴的な働き
(注3)より分ける:ここでは、分類する
(注4)認識する:こここでは、判断する
(注5)失き消える:なくなる

(66)筆者によると、学生時代のほうが知識が定着しやすいのはなぜか。


(67)筆者によると、一カ月以内にどうすれば知識が定着していくか。


(68) 筆者の考えに合うのはどれか。


(2)
 飲み物を買いに飲料売り場に行くと、商品が多様にかっていることに気づく。これらの中から消費者に自社の製品を選択してもらうため、メーカーは味はもちろん、ポボトルにもこだわっている。あるメーカーが、仕事中に飲んでもらうことをねらって緑茶の新製品を開発した。仕事中よく飲まれているコーヒーの代わりになるように、味は通常より濃くした。また、ボトルはペットボトルではなく、コーヒーに多く使われる金属製のものとし、香りが楽しめるように飲みロを広くした。ボトルの色使いは濃い緑や黒や金などにして、味の濃さや高級感を表現した。これらの努力が実り、い①ねらいどおりに好調な売れ行きを見せているという。
 この例のようにメーカーがボトルにもこだわるのは、消費者にボトルの材質や形の好き嫌いがあるという事実があるからだ。緑茶のボトルに関する②ある消費者調査の結果を見ると、金属製ボトルに対して、60歳未満の人は高級感を感じ好印象を持っているが、60歳以上の人抵抗を感じ、ペットボトルのほうを好むことがわかった。しかし、ペットボトルを好むといっても、その形や色については竜見が分かれた。60歳以上の男性は見慣れた形や色のペットボトルの評価が高いが、同年代の女性は目新しい形や色のペットボトルに好感を持っていた。
 年代や性別によってこのように好みが分かれる以上、店に多様な商品が並ぶことになるのはもっともなことだろう。

(63)①ねらいどおりに好調な売れ行きを見せているとあるが、どのような人たちによく売れているのか。


(64)②ある消費者調査の結果について、この文草で述べられているのはどれか。


(65)メーカーの取り組みについて、この文章からわかることは何か。


(1)
 本を読むことは、かつて生きた優れた人の言葉を聞くということ、読むとは、基本的に人の話を聞くことです。
 学ぶことの基本行為も「聞くこと」です。
 しかも、本を読むことが生きている人数から話を聞くことと同じとらえられれば、その読みは一層リアル(注1)になるはずです。例えば、本居宣長を読むのでもゲーテを読むのでも、僕らが生きているかのようにして読める人の方が、生の声として聞こえてくるからより一居リアルです。
 ですから、「聞く構え(注2)」ができている人は、より良く学べることにもなります。
 逆に、聞く構えがないと、相手から成長がなかない人と見られてしまいます。言い換えれば、「聞く気がない」と受け取られてしまうと、会社でも学校でも「この人は見込み(注3)がない」と思われてしまうのです。
 こんなふう に、学ぶ閥勢は現実の生活において、私たちの根本的な評価に関わってきます。
 学ぶことは、優れた人の話を聞いて自分を修正していくこと、あるいは、その人に憧れを持ち、その人によって自分の新たな目標が見え、歩むべき方向性が決まることです。そして、本や人の話の中から具体的なかアドバイスを得て、自分の生活の中にある種の学びの習慣をつくっていく。だからこそ、読書を学びの基本にするとよいのです。
 本を読まないということは、いわば膨大な数の賢者(注4)たちから、あらかじめ見放されてしまっているということです。

(注1) リアル : 現実的
(注2) 構え : 姿勢
(注3) 見込み : 可能性
(注4) 区者 : 優れた人
(注5) 見放される : ここでは、無視される

(58)筆者によると、本はどのように読むといいか。


(59)「聞く構え」ができていない人について、筆者はどのように述べているか。


(60)読書について、筆者の考えに合うのはどれか。


(2)
紙は私たちの身の回りにあれていろるが、日本には一般的に使われている 「洋紙」 のほかに、古くから使われている「和紙」がある。
 洋紙は、安い価格で多量に手に入る針業樹(しんようじゅ)広葉樹(こうようじゅ)の、皮を取り除いた幹の部分を原料とする。一方和紙は、主に (こうぞ)三椏(みつまた)雁皮(がんぴ)という木の、皮の部分を使用する。また、洋紙は表面に凹凸(おうとつ)が少なく 印刷に適しているが、和紙は表面が滑らがでなく印机には向かないという
違いがある。しかし、和紙には丈夫で強く、さらに劣化しにくいので長期間保存ができるという利点もある。
 日本では太世紀ごろか和紙が使用されていたが、明治時代になり洋紙が輸入され始めると洋紙が一気に広まった。手作業で製造されていた和紙に対し、洋紙は早くから製造過程が機械化され、大時生産による安価で安定した供給が可能であったためである。その結果、和紙は洋紙に対抗できなくなり、和紙産業は衰えた。しかし、これをきっかけに和紙の製造過程も機械化が進められた。
 現在日本国内で広く用いられているのは洋紙だが、和紙は和紙でなければならない分野で活用されている。書道や絵画だけでなく、その美しさが評価されて壁紙や便箋、封筒などにも利用されており、海外でもその価値が認められている。また、丈夫で傷みにくいという利点を生かして美術作品などの修理・保存にも使われている。今後も残していきたい伝統文化である。

(注1) : 幹: 木の、根から上のほうに伸びて、枝・業を出す部分
(注2) : 劣化する : 品近が低下する

(61)和紙の特徴として、筆者が述べているのはどれか。


(62)和紙は洋紙に対抗できなくなりとあるが、なぜか。


(63)和紙について、筆者はどのように考えているか。


(3)
 現代の若者は、「温かさ」まで人から与えてもらえるものだと期待している。なにもかも、自分に向かって訪れるものだと信じている。だから、そういうものが自分にやってこないと、相手が悪い、周囲が思い、社会が思い、国が悪い、経済が悪い、運が悪い、時代が悪いということになってしまう。①そのような分析もけっこうだが、たとえそれらしい原因を見つけても、解決の方法を見出す(注1)ことはできないだろう。自分のことならなんとかなるが、相手や周囲や社会や国や経済や運や時代は、自分の努力では変えらないからだ。
それなのに、解決筑がどこかにないだろうか、と②「検索」する。検索で解決するようなものだったら、「問題」、とはいえないことにも気づいていない。
靖報化社会において人は、自分の思うとおりにならないのは、なんらかの情報を自分が「知らない」せいだ、と解表してしまう。必死になってネット(注2)を検索するのも、また、友達の話や、たまたま耳にしたことを簡単に倍じてしまうのも、「知る」ことて問題が解決できると信じているせいだ。
検索できるものは、過去に存在した情報だけだ。知ることができるのも、既に存在している知見(注3)だけである。しかし、自分の問題を解決する方法は、自分で考え、模索し(注4)、新たに編み出さなければならかない(注5)ものなのである。
自分の生き方に関する問題は、どこかに解決筑が書かれているはずがない。検索しても見自分の生き方に関する問題は、どこかに解決策が書かれているはずがない。検索しても見つかるはずがない。どんなに同じような道に見えても、先募の言葉が全面的に通用するわけでもない。自分で生きながら、見つけるしかないのである。

(注1) 見出す : 見つける
(注2) ネット : インタネット
(注3) 知見 : ここでは、見方や考え方
(注4) 機索する : 探し求める
(注5) 編み出す : 生み出す

(64)①そのような分析とはどのような分析か。


(65)②「検索」するのはなぜか。


(66)筆者が言いたいことは何か。