(3)
 暑い夏、外を歩くと汗が出る。汗を止めるために冷房のきいた部屋に入る。誰もがしがちな行動だが、実は私たちの体にとっては①良いことではない
 汗は汗腺によって作られるが、この汗腺は汗を作るだけだはなく、汗を体外に出す働きも持っている。 そして多くの汗腺が活発に働いていれば、 蒸発しやすいさらさらした汗が作られ、体温調節がスムーズに 行われる。 汗腺は人の体には200~500万か所ほどあるが、通常、そのうちの半分程度が働かずに 休んでいる。そして、通常でも半分しか働いていないのに、 冷房を多用するなどして汗を出さないでいると、 さらに休む 汗腺が増えていく。
 働いている汗腺が100か所あって、そこで100ccの汗を作って出すという処理をしなければならないとして考えてみよう。その時にもし冷房のきいた部屋に入り②汗腺が50か所しか働かなくなれば、一カ所当たり1ccの処理のはずが、2倍の2ccの処理になる。そうなると、処理が問に合わず、塩分などの 体内に吸収されるべき成分 を含んだままの汗が体外出てしまうことになる。このような汗はべたべたとして おり、 蒸発しにくく、 「蒸発することで体温調節をする」 という汗の役割をうまく果たせない。
 休む汗腺を増やさないためには、日ごろから汗が出る時にはそのまま出すという生活をしたほうがいい。 飲食物に気をつけることも有効である。汗が出ている時に冷えたものをとると、脳が「体は冷えた」と判 断し、汗を止めてしまうので注意が必要だ。

(66)①良いことではないとあるが、なぜか。


(67)②汗腺が50か所しか働かなくなればとあるが、そうなった場合どうなるか


(68)筆者によると、良い汗を出すにはどうすればよいか。


(1)
 以前、高校の教え子たちと話していて①ふと気づいたことがある。疑問に感じるこ との幅の広さ、疑問の大きさの違いだ。「とうして?」「なぜ?」という問いは、 人間にとって、だれもが持ち合わせるごく当たり前の心のはたらきだと思ってい た。しかし実際には、その広がり、対象範囲が人によってまったく異なるのだ。
(中略)
 疑問とは、「興味の現れ」にほかならない(注1)。なにごとにも無関心な生徒は、会話もじつに淡白(注2)である。他者とのコミュニケーションにも興味がな い。興味がないから、疑問も起きてこない。私はというと、物心ついたとき(注3)から好奇心旺盛な(注4)子どもであった。「このおもちゃの内部はどうなっているんだろう?」そう思ってばらばらに分解しては、元に戻せなくて泣いていたものである。
 自分を取り巻く(注5)社会で起きるあらゆること、たとえば学校の授業で先生が 教えたり、指導する内容にだって「なんで?」と思っていいのだ。会社の上司の指 示にも「なんで?」と思っていい。親の髪にも「なんで?」と思っていい。 問題 は、「なんで?」だけで思考が終わってしまうことだ。②それではダメだ。とい うのは、「なんで?」だけで終わってしまうと、その後に「反抗」「反感」の感情が心に渦巻いて(注6)しまうだけだからである。「なんで?」に始まり、そこから「どうしてそうなるの?」「本当にそうなの?」と、自分なりに考えを極めて(注7)いく作業が大切であり、そこに成長の鍵がある。

(山本博「持続力」による)


(注1) ~にほかならない:ここでは、~と同じだ
(注2)淡白: 「淡泊」とも書く
(注3) 物心ついたとき: 世の中のことが何となく分かってきたとき
(注4) 好奇心旺盛な:いろいろなことに興味を持つ
(注5) 自分を取り巻く: 自分の周りの
(注6) 感情が心に渦巻く: ここでは、感情で心が乱れる
(注7) 考えを極める.ここでは、徹底的に考える

(60)①ふと気づいたこととは、どんなことか。


(61)②それではダメだとあるが、なぜか。


(62)この文章で筆者が最も言いたいことは何か。


(2)
 私たちはなぜ観光をしたくなるのでしょうか。細かい条件にこだわらないで大胆に (注1)述べるならば、それは「変化」を求めるということです。私たちの感覚は同じ刺激を受け続けていると、その強さ、性質、明瞭性などはしだいに弱まります。著しい場合には刺激の感覚が消失することもあり、①こうしたことを感覚の順応といいます。風呂の湯の熱い温度や腕時計を付けたときの違和感(注2)など、初めは鮮明な感覚であっても数分もしないうちに減衰(注3)してしまいます。同様のことが日々の体験についてもいえるでしょう。
(中略)
 よく言えば慣れてくる、 悪く言えば飽きてくるのです。そこで人は新たな刺激、つまり日常に存在しない感 覚や感動を求めるのです。そのために新しい刺激をもたらす(注4)ための「変化」が必要になります。変わった珍しいコトやモノを手に入れても、日常生活がベース(注5)になっていたのでは「変化」は日常の一部分にしかなりません。より劇的な「変化」を求めるには自らが「変化」の中へ入る、すなわち日常と離れた場所へ移動することでそれは達成されます。自分の家の近所へ移動した程度ではそれほどの変化は得られません。遠くへ離れれば離れるほと、見知らぬ(注6) 町並み や自然の風景、聞き慣れない言葉や音楽、初めての味や香りなどが立ち表れてくるのです。外国で異文化に接するとき、この「変化」は最大になり、自分自身を除く周囲のすべてが「変化」した状態となるのです。

(堀川紀年・石川雄二・前田弘編『国際観光学を学ぶ人のために」による)


(注1) 大胆に、思い切って
(注2) 違和感: いつもと違う感じ
(注3)減衰する:ここでは、少しずつ弱くなっていく
(注4) もたらす: ここでは、生み出す
(注5) ベース:土台
(注6) 見知らぬ:見たことがない

(63)①こうしたこととは、どのようなことか。


(64)筆者によると、なぜ人々は観光したいと思うのか。


(65)以下の例のうち、旅行者にとって「変化」が最大になるのはどれか。


(3)
 「自分を出せない」と言う人が多い。本当はこんなことを思っているのに、それを 口に出せない、表現できないのが不満なのである。
 ①こういう人が強く惹かれるのが、「ありのままの自分」という言葉である。心のことや人間関係に関する本などを読んでみても、「ありのまま」でふるまう(注1)こと、生きることがどれほどすばらしいかと書かれているので、ますますそれに憧 れてしまうようである。
 けれども、人は、他の人との関係を生きる限り(注2)、つまりこの社会の中で生 きる限り、「ありのままの自分」でいることを制限されるのはやむを得ないことな のである。
(中略)
 好むと好まざるにかかわらず(注3)、社会を維持するために秩序(注4)が必要であり、その結果、そこに生きる個々人がさまざまに制約(注5)を受けるのは当たり前のことと考えなければならない。
私たちは小さい頃から②「社会的な自己」というものを形成していく。こういう場面ではこのようにふるまわなければなら ない、といったことを学習させられる。校長先生の前ではこのようにしていなさい、初対面の人の前ではこのようにふるまいなさい、と。このようなことを学習 していないと、つまり「ありのまま」でいると、社会に適応(注6)できない仕組みになっているのだ。
 しかし、その社会的な 自己、さまざまな場面でいろいろな自分を出すことが、何か 嘘の自分であるかのように思ってしまう人もいるわけだ。そこには何かしら勘違い がある。人と人との関係には必ず役割というものがあって、その役割を学び、生きることこそが必要不可欠なのである。
(すがのたいぞう『こころがホッとする考え方』による)
(注1) ふるまう: 行動する。
(注2) 生きる限り:生きている間は
(注3)好むと好まざるにかかわらず、好む か好まないかに関係なく
(注4)秩序決まり
(注5)制約を受ける: 制限される
(注6)適応する:合う

(66)①こういう人とはどのような人か。


(67)②「社会的な自己」とはどういうものか。


(68)「ありのままの自分」について、筆者はどのように考えているか。


(1)
 以下は、これから就職する人に対して書かれた文章である。
 好きなことをしてもお金にはならない、というのがふつうの考え方です。一日中ただ好きなゲームをしていてよい、などという職業はありません。でもじつは自分の「好き」をきわめる(注1)とかならずそこにだれかほかの人のニーズがあって、仕事があるということを覚えておいてください。
(中略)
 いまは人びとの「好き」が多様化しつつある時代です。食べ物の好みや服の好みだけではありません。細かいライフスタイルのちがいに人びとが価値を見いだす(注2)ような時代です。カタログにないもっとちがう商品はないだろうか?これとあれの中間のサービスはないだろうか?といったぐあいです。 これまで大きな企業が機械的にマーケティング(注3)をして提供してきたような「売れる商品」「売れるサービス」では対応しきれないようなモノ、サービス。これを「ニッチ(すき間)」とよぶことがあります。いまはまさに(注4)このニッチが広がりつつある時代です。
 こうしたニッチに気づくことができるのは、何かが「好き」な人です。自分の好みを突き進めていくと、そこに何かの不足を感じる。その不足がじつはほかの人も欲しがっていた何かかもしれない、というわけです。
 何かを好きな人ほど、何かに不足を感じている人ほど、それを仕事に変えていくことのできる可能性があります。

(梅澤正・脇坂敦史『「働く」を考える』による)


(注1) きわめる:ここでは、徹底的に追い求める
(注2) 見いだす:ここでは、認める
(注3) マーケティング:市場調査
(注4) まさに:ちょうど

(60)筆者によると、いまはどのような時代か。


(61)好みを突き進めた人がニッチに気づくことができるのはなぜか。


(62)この文章で筆者が言いたいことは何か。


(2)
 「きみに10億円やるから、好きなように使ってみなさい」
 そう言われたら、実は困ってしまう人がけっこう多いんじゃないだろうか。
 家を買って、車を買って、海外旅行して…。そんなみみっちい(注1)ことを考えていたら、10億円は使い切れない。個人が10億円使うというのは、実は大変なことである。
 「10億円あったら…」といつも考えながら、夢を描いてみたらどうだろう。
 といっても、10億円を手にする(注2)など想像したこともないから、最初はリアリティー(注3)を感じないだろう。しかし、じっと考えていると、心の奥底にしまっていた①“本当にやりたいこと”が見えてくるはずだ。それがあなたの夢である。
 「いくら夢を描いたところで、実際には10億円も稼げないんだから仕方ない」
 あなたは、そう考えるだろうか。それは違う。たしかに10億円稼ぐのは不可能かもしれない。しかし、②10億円の夢を描けば、10億円を手にすることは可能なのだ
 それは、あなたの夢に賛同する(注4)人があらわれるからだ。夢に向かっていくあなたの真摯な(注5)姿勢に賛同して「お金を出そう」と言い出す人もいるかもしれない。「一緒にやろう」と協力を申し出る人もいるかもしれない。夢とは、そのぐらい価値があり、人を動かすことができるものなのだ。
 大切なのは、10億円を稼ぐ人間になることではなく、10億円分の夢を描くこと。そしてその大きい夢に見合う(注6)だけの大きい人間になっておくことである。

(山本寛斎『熱き心―寛斎の熱血語10ヵ条』による)


(注1) みみっちい:ここでは、小さい
(注2) 手にする:ここでは、自分のものにする
(注3) リアリティーを感じない:現実感がない
(注4)~に賛同する:ここでは、~を理解して賛成する
(注5) 真摯な:まじめで一生懸命な
(注6) 見合う:釣り合う

(63)①“本当にやりたいこと”が見えてくるはずだとあるが、どうすれば見えてくるか。


(64)②10億円の夢を描けば、10億円を手にすることは可能なのだとあるが、なぜか。


(65)この文章で筆者が言いたいことは何か。


(3)
 いい文章はそれを読む者に充実した時間をつくり出す。知識が人を喜ばせる必要はない。技巧(注1)が人を楽しませる必要はない。人を利口にし、快く酔わせるよりも、それを読んで本当によかったと思わせる文章を書こう。
 文章にとって何よりも大事なのは、すぐれた内容としてそのまま相手に伝わることである。したがって、いい文章には「いい内容」と「いい表現」という二つの側面がある。
 どれほど凝った多彩な表現が繰り広げられ(注2)ても、その奥にある内容がつまらなければ、文章全体として価値が低い。それでは、いい内容はどのようにして生まれるのだろうか。すぐれた内容を生み出す特定の手段のようなものは考えられない。小手先(注3)の技術といったものは役に立たない。自己を取り巻いて(注4)果てしなく広がる(注5)世界のどこをどう切り取るか、それをどこまでよく見、よく考え、よく味わうか、そういうほとんどその人間の生き方とも言えるものがそこにかかわっているからである。豊かな内容は深く生きることをとおして自然に湧き出る(注6)のだろう。
 一方、どれほどすぐれた思考内容が頭のなかにあったとしても、それが直接人の心を打つことはできない。というよりも、言語の形をとることによって、それがすぐれた思考であることがはじめて確認できるのである。その意味で、文章表現は半ば発見であり、半ば創造である。いい内容がいい表現の形で実現し、いい文章になる。逆に言えば、すぐれたことばの姿をとおしてしか、すぐれた内容というものの存在を知ることはできないのである。

(中村明『日本語の美―書くヒント』による)


(注1)技巧:すぐれた表現技術
(注2)繰り広げる:ここでは、次々に使う
(注3)小手先の:ここでは、その時だけのちょっとした
(注4)自分を取り巻く:ここでは、自分の周りにある
(注5)果てしなく広がる:ここでは、どこまでも広がる
(注6)湧き出る:生まれ出る

(66)筆者は、読者のためにどのような文章を書けばよいと考えているか。


(67)筆者によると、いい内容はどうすることで生まれるか。


(68)内容と表現の関係について、筆者はどのように述べているか。


(1)
 以下は、絵本の選び方について述べた文章である。
 たいへん有効な一つの方法は、絵本を見るとき、子どもと同じやり方、つまり、字は読まず、絵だけで物語を追ってい くというやり方で、絵本を見ていくことです。わたしも、新しい本を手にしたときは、かならずこのやり方で見ることに していますが、そうすると、いろんなことが、とてもよくわかってきます。
 字にたよらず絵だけ見ることは、わたしたちの心を、必然的に(注1)、単純で具体的な考え方のレベルにとどめて(注2)くれますし、当然のことながら、絵の中に意味をさぐろうとする心の働きを強めてくれます。そうして見ていくと、絵そ れ自体が何かを語りかけてくれる場合と、文を読んでからでなければ何の意味ももたない、いわば装飾的な(注3)働きし かしていない場合とが、実にはっきりしてきます。絵が何かを語りかけてくれないものは、ほんとうの意味では絵本とは いえないので、こうして見ていくと、体裁(注4)に絵本でも、①絵本とは呼べないものが少なくないことがわかってきま す。(中略)
 また絵だけを丹念に(注5)見ていると、絵のもつ雰囲気も調子も、文と合わせ見るときより、よくわかる気がします。そ して、それをつかんだあとで文を読むと、絵と文の関係がしっくりいって(注6)いるかどうかが、はっきりわかります。登 場人物の服装とか、背景(注7)とかの具体的な事実が、文と絵で違っていることがいけないのはもちろんですが、絵全体 の調子やムードが、物語のそれと合わないのは、絵本としては、②大きな欠点です。

(松岡享子・東京子ども図書館『えほんのせかい こどものせかい』による)


(注1) 必然的に:ここでは、必ず
(注2) ~にとどめる:~のままにする
(注3) 装飾的な:飾りのような
(注4) 体裁:形式
(注5)丹念に:細かく注意しながら
(注6) しっくりいく:よく合う
(注7) 背景:ここでは、後ろの景色

(60)筆者によると、字を読まないで絵だけで絵本を見るとどうなるか。


(61)①絵本とは呼べないものとはどのようなものか。


(62)②大きな欠点とは何か。


(2)
 長い間水の中にいると手足の指にたくさん「しわ」ができる。このしわを見たことがない人はいないだろう。私はこれまで、このしわは単に皮膚が水分を吸収し膨らんでできたもので、何の役割もないと思っていた。ところで、①そうではないという記事を読んだ。滑り止めの役割を果たしているというのだ。
 この記事は、ある論文の実験結果をもとに書かれていた。②実験は次のように行われた。ひとつの容器に小さなガラス 玉を入れ、それを指でつんで別の容器に移し替えるのにかかる時間を計る。ガラス玉が入っている容器には、水入りのものと水なしのものが準備された。また、手はしわがある状態とない状態で、それぞれのかかる時間が計測された。しわは、ぬるま湯に手を浸すことで発生させた。結果は次のようなものである。
 まず水の有無について見てみると、水入りの容器から移し替えるより、水なしの容器から移し替えるほうが速い。次に水入り、水なしの各条件において、しわの有無の違いによる結果を見てみると、水なしの場合、しわがあってもなくても 大した差はない。しかし、水入りの場合、しわがあるほうが速い。以上の結果から、実験者は、しわは水中などぬれた環境で物をつかみやすくするためにできるようになった可能性があると述べているそうだ。
 しかし、どうなのだろうか。滑り止めのためであれば、水に入れたらすぐにしわができないとおかしいのではないだろうか。しわの役割を知るためには、新たな実験を待たなければならない。

(63)①そうではないとあるが、どういうことか。


(64)②実験で最も時間がかかったのはどの場合か。


(65)筆者は記事を読んでどのように考えているか。


(3)
 以下は、企業の経営について書かれた文章である。
 いろんな規則や罰則(注1)を作って、社員をがんじがらめにして(注2)ひたすら働かせるというタイプの経営者も、まあ 今時は少ないとは思うが、まだいることはいる。①そういうやり方が間違っていると思うのは、たとえそれで社員の労働 力を物理的に 100パーセント引き出すことができたとしても、そのかわり精神面での労動力を捨てることになるからだ。
 精神面での労働力というのは、たとえば創意工夫する(注3)能力だ。強制的に(注4)仕事をさせるやり方では、人の創意 工夫の能力を引き出すことはできないのだ。人間の心は、自由なときにその本来の能力を発揮する。楽しんで、興味を持って何かをしているとき、人はいろんなアイデアを思いつく。(中略)
 そして、どんな仕事であろうとも、人間のする仕事には、この創意工夫の才能が重要な役割を果たす。一日中、ひたす らネジを締める仕事であっても、だ。どうすれば不良品を減らせるか、どうすれば作業効率(注5)を上げられるか。たとえばQC活動(Quality Control:品質管理のこと)を通して、作業する人が自分たちで②そういうことを積極的に考えるようになるシステムを創り上げたからこそ、日本の製造業は世界一になれたのだ。
 そしてそういう能力を引き出すためには、従業員にとって、そこで働くことが本当の意味で自分のためになるという環 境を作ることが欠かせない。
本人の幸せと会社の業績(注6)が一致すれば、愛社精神なんてものは自然に育つ。強制なんかしなくても、従業員はプ ライドを持って心から会社のために働こうと思う。

(島田紳助『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する一絶対に失敗しないビジネス経営哲学』による)


(注1) 罰則:違反したときに従わなければならない規則
(注2) がんじがらめにする:ここでは、縛る
(注3) 創意工夫する:新しいアイデアを考え出す
(注4) 強制的に:無理やり
(注5) 作業効率:ここでは、作業を進める速度
(注6)業績:仕事の成果

(66)①そういうやり方が間違っていると思うのはなぜか。


(67)②そういうこととは何か。


(68)筆者によると、経営者が社員の能力を引き出すために必要なことは何か。


 20年以上前に留学生と一緒に(注)NHKの見学に行ったことがある。小さな部屋で3Dの映画を映していた。眼鏡をかけることもなくただ一定の場所にいるだけで魚や雪のボールが飛び出して見えた。私も留学生も3Dの技術にびっくりした。
 ①今主流の3Dテレビは特別な眼鏡をかける必要がある。人間の右目と左目が見る映像が違うことを応用して作られているからだ。すでに映画はこの技術を取り入れて3D作品を作っている。3D映画の人気はどんどん上がっている。最近眼鏡無しでも3D映像が見えるテレビも発売された。眼鏡をかけるわずらわしさがない分こちらのほうが人気が出そうだ。これも強力なライバルになるだろう。どちらのタイプにせよ3Dテレビの普及は価格が普通のテレビと大差ないなら別であるが、そうでなければ3Dの番組がどれだけ放送されるかに影響される。アメリカでは本格的な3Dの放送が始まったそうだ。日本でも放送しているテレビ局がある。家庭用の3Dテレビの発売と同時に3Dビデオカメラを発売する電気メーカーも出てきた。カメラが売れればテレビも売れるだろう。こちらも影響する要素だ。
(注)NHK:日本放送協会。Nippon Hoso Kyokai の略。日本の公共放送

(1)①今主流の3Dテレビの説明はどれか。


(2)3Dテレビの普及に影響しないことは何か。


(3)本文の内容に合っているのはどれか。


 ヒトが他の動物と最も異なっている点として、⽕が使えるということが挙げられる。⽕によって、ヒトは他の動物から⾝を守り、夜間に活動することも可能になった。
 ⼈類が⽕を⼿に⼊れたのは、約100万年前のことだと推定されている。⽕の利⽤でその後の⼈類の進化に⼤きな影響を与えたのは、料理ができるようになったことであろう。当時、ヒトが⾷べられる⾷材の種類は⾮常に少なかったが、⽣で⾷べられないものを煮たり焼いたりすることで、次第にそれは増えていった。
 ①料理して⾷べることは、ヒトの⾝体に変化をもたらした。例えば、ゴリラは主に植物を⾷べているが、⼗分な栄養を取るためには1⽇に⼤量の植物を⾷べなければならない。⽣の植物は固いので、それをかむためにはほおの筋⾁を強くする必要があった。その影響で、脳を覆う頭蓋⾻(注1)はあまり⼤きくならなかった。⼀⽅、ヒトは、調理されて柔らかくなった⾷物を⾷べるようになり、⻭やあごは⼩さく、⾷べ物をかむための筋⾁は弱くなっていった。その反⾯、頭蓋⾻は⼤きくなり、のどの発声器官も発達したと考えられている。このように、⼈類は⾝体を発達させ、思考や⾔語を⼿に⼊れることができたのだ。
(注1)頭蓋⾻︓頭の⾻

(1) 筆者は、⽕を使うことによって⼈類は何ができるようになったと⾔っていますか。


(2)①料理して⾷べることは、ヒトの⾝体に変化をもたらしたとして、筆者が挙げていることは何か。


 「〜道」と名の付くものはいろいろありますが、私が数年前から習っているのは茶道です。ちょっと苦い緑の粉を、決められた作法(注1)に従って味わい、楽しむ。茶道のけいこは、⾃宅で気楽にいれたお茶を飲むのとは違った時間の流れるひとときです。⽇常にない、独特なほどよい緊張感が、気持ちをリフレッシュさせてくれます。
 お茶の先⽣に聞かれたら怒られてしまうかもしれませんが、作法というのは、やはり⾯倒なものでもあります。茶道の魅⼒は、茶室に流れる⾮⽇常的感覚だけではありません。お抹茶の⾊や味や⾹りだって、魅⼒の⼀つです。このおいしい薄緑を、もっとカジュアルに楽しめないものか・・・。仕事の休憩時間にお抹茶がいただけたら、どんなにリラックスできるだろうか。・・・。
 そこで私は、最近ある⼯夫をしています。茶道の道具を、すべてオフィス⼾棚に置いておくのです。職場でさっとお茶を点て(注2)、薄緑の魅⼒を仕事仲間と共有。以前は普通のお茶の葉っぱを職場に置いておいたのですが、お抹茶なら葉っぱを捨ててたりしなくていいので、便利だということに気づいてからは、①この⽅法にはまって(注3)います。お抹茶は飲み物なのですから、おいしく飲めることが⼤事に決まっていますよね。
(注1)作法︓物事の決まったやり⽅
(注2)お茶を点て︓お茶をつくって
(注3)はまって︓熱中して、⾃分の好みにぱったり合って

(1)①この⽅法とは、どんな⽅法か。


(2) 筆者が抹茶を楽しむうえで最も重視しているのは何か。


 ⽚⼿に荷物を持っていたり、⾃転⾞のハンドルを握っていたり、傘をさしていたりして、⽚⼿がふさがっている(注1)とき、ろう者はもう⼀⽅の⼿だけで話をします。また、⾃転⾞を運転しているろう者が、⽚⼿でハンドルを握り、⽚⼿で⼿話を話すことがあります。ちなみに、後部座席のろう者の返事は、ミラーで⾒ています。
 ⼿話には、その語や⽂の特徴が何重にも(注2)お織り込まれて(注3)注3)いて、⼀部分が⽋けても全体を理解することができるという特徴があります。これを冗⻑性と⾔いますが、①その性質のおかげで、両⼿による百パーセントの表現でなくても、⾒て分かるのです。もちろん、そのときに、⼿話特有の表情や視線、⼝の形や働きなど、⼿以外の要素が必要な役割をもっています。
 ときには、⽚⼿すら使わず、表情だけで会話が進んでいくことがあります。視線をチラリと(注4)向けるだけで「ほら、あの⼈・あそこ」と⾔ったり、ほっぺたの内側を⾆でこすって「ウソだよ」といったりするなどです。両⼿に荷物を持っているときなどは、アゴを引いてまゆ眉を上げ、相⼿をじっと⾒ることで「ほんとに︖・え︖」と聞き返したり、(パ、パ)と⼝を開いてうなずくことで「終わった」と答えたりします。
(注1)ふさがっている︓ 空いていない
(注2)何重にも︓いくつも重なって
(注3)織り込まれて︓(⽷で模様を作るように)いろいろなものが⼊って
(注4)チラリと︓ ⼀瞬

(1)①その性質は何を指しているか。


(2)ろう者が、コミュニケーションの際に⼿を使えないときに、使わないものはどれか。


 読者諸兄(注1)の中には経済問題には詳しい⽅がたくさんいらっしゃると思いますが、服の⾊と景気には密接な関係があるという事をご存じでしょうか。
 以前、ある研究所が⻑年にわたって調査してきたデータを拝⾒したことがあります。それは、服の⾊と⽇本の景気との関係性を調べたデータでした。街を歩いている⼈の中で、⿊い服を着ている⼈の出現率(全⾝真っ⿊でなくても、1枚でも⿊い服を着ている⼈の割合)が⾼い時は不景気であり、低い時は好景気であるというものです。
 私は昨年2⽉のこのコーナーで、「今年は不景気だから⿊が流⾏る」と書きましたが、①⾒事昨年の秋冬ファッションは「⿊」に占領された(注2)ぐらいの勢いで流⾏していました。実際に昨年の秋冬は⼼理的な不景気感のピークだったのではないでしょうか。(中略)
 今はどうかと⾔うと、ギャルと⾔われる若いおしゃれコンシャスな(注3)⼥性達のファッションが明らかに変ってきました。 ⿊が減って⽩やベージュ、⽩地に花柄プリント等、⿊ではない⾊が増えてきています。
 ギャルと不景気はあまり関係ないのではないかと思われる⽅も多いでしょうが、そうでもないのです。
(注1)読者諸兄︓読者の皆さん
(注2)⿊に占領された︓⿊ばかりになった。
(注3)おしゃれコンシャスな︓おしゃれを強く意識した。

(1)①⾒事は、何のことをいっているか。


(2) 筆者は、今の景気はどうだと考えているか。


 ⽇本伝統のなかにはたしかに議論をする習慣がない。議論が下⼿です。だいたいみんな同じ意⾒になるのがいいと思い、意⾒の違う⼈は敵だとなりがちです。
 ⽇本の共同体の伝道にはいい⾯と悪い⾯がある。みんなが協⼒して同じ⽬的を追求するために、⾃分だけを主張しないのはいいことでしょう。他⽅では、どうしても意⾒の違う⼈が村⼋分(注1)にされる。意⾒の違うを受け⼊れることがなかなかできない。それがもっと極端(注2)になると、意⾒を表明すること⾃体がそもそもあまり望ましくないということになります。したがって、論争しない。論争すると敵・味⽅になる傾向が強い。これはわるい⾯です。
 ヨーロッパ会社では論争が多い。⽶国でも⽇本よりは多い。それはあらゆるところにあらわれています。たとえば英国の放送局BBCが、政治問題に限らず、どういう問題でも座談会(注3)みたいなことをするときには、みんな異なる意⾒をもってかなり激しい論争をします。論争というのは相⼿を怒鳴りつけることではなくて、⾃分の議論を展開して、これこれしかじかの理由でこう考えるという主張をすることです。反対側の⼈もそう⾔って、お互いに根拠を挙げて意⾒を戦わせる。⽇本のTVの座談会では、だいたいみんな同じことを⾔うか、怒鳴りあうかどちらかになる。
(注1)村⼋分︓仲間に⼊れないこと
(注2)極端︓普通の程度から⼤きくはずれていること、偏ること
(注3)座談会︓座って話し合いをする集まり

(1)筆者は、「論争」とはどのようなものだと説明しているか。


(2)筆者は、⽇本の共同体の伝統にはどんな⽋点があると⾔っているか。


 怒りは、喜びや悲しみと同じように、⼈間の基本的な感情として、その働きやメカニズムが研究されてきた。最近では、⼈間の健康を害するものという観点からも捉えられるようになってきている。例えば、怒りと⼼臓病な関係について検討した研究によれば、⾼⾎圧を伴う⼼臓病の患者には怒りやすい性格の⼈が多いという傾向があるそうだ。また、怒りという感情が神経や免疫(注1)システムに影響を与え、それが⼼臓病になるリスク(注2)を⾼めているのではないかという報告もある。
 怒りと健康の関係が注⽬されるようになったのは、病気に対する社会の考え⽅が変ってきたからだろう。⾼齢化により、社会全体で負担する医療費の問題もばかにならなくなってきた。患者個⼈だけではなく、国や保険会社が負担する医療費も増えてきたのだ。これを抑えるためには、病気を予防することが⼀番である。⾷事や睡眠といった⽣活習慣に気を配すことで病気を予防することは良く知られているが、現代ではさらに、様々な研究結果から、個⼈の性格や考え⽅の傾向といった⼼理的要因も健康に影響することがわかってきた。こうして、⼼理学や医学の分野において、怒りという感情と健康の関連性を考えるようになってきたのである。
(注1)免疫︓体内に⼊った病気の菌などに、体が⾃然に抵抗すること
(注2)リスク︓危険

(1)筆者が、怒りは健康に影響を与えると⾔っている理由は何か。


(2) 筆者が、怒りと健康の関係が注⽬されるようになったのはなぜだと⾔っているか。


(1)
 何かを評価する時、日本人は100点を満点とする方法を余りがちです。小学校入学以来、繰り返し行なわれるテストがその典型で、すべての出題に正解すれば100点。間違った場合は、その分を差し引いていく。つまり減点法です。
 これは中間レベルを相対的に(注1)評価する場合に適しています。たとえば30人のクラスで100点満点のテストを実施したとしましょう。得点(評価)はO点から100点まで分布します。60点の人は50点の人よりも高く評価される。これは誰にでもわかります。
 ところが、100点の人が5人いたとしたら、どうでしょうか。5人が優秀なのはわかるけれど、彼らに正当な評価がされたとは言えません。100点という「天井」を設定したために、評価が曖昧になってしまうわけです。
こうした方法で評価していると、評価を受ける側は100点を目標にするようになります。試験に出そうなことだけを勉強し、それ以外はやってもムダと考えるわけです。すると、努力し続ければどんどん伸びる可能性があるのに、100点で止まってしまうことになります。
 こうしたことを避けるために、評価方法として加点法を採用している分野も少しはあります。
(中略)
 減点法と加点法の違いを一言で言えば、失敗をカウントするか、成功をカウントする(注2)か、ということです。社会生活を営む(注3)大多数の人間は評価を求めて生きますから、適用される評価法に合わせて行動様式(注4)を変えます。失敗がカウントされるなら、失敗を減らすように努めるし、成功がカウントされるなら成功を増大させようと努めるわけです。
(川口淳一郎r「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言』飛鳥新社による)
(注1)相対的に:ほかのものと比べて
(注2)カウントする:数える
(注3)社会生活をぎむ:社会で生活する
(注4)行動様式:行動のしかた

(60)次のうち、減点法のものはどれか。


(61)評価が曖昧になってしまうのは、どのような場合か。


(62)筆者は、減点法をどのようにとらえているか。


(2)
 人聞は、繰り返し練習することで、難しい作業であっても巧みに(注1)素早くできるようになります。しかし、この能力が仇(注2)となって、ミスにつながることもあります。
 毎日変化のない仕事を大量にこなしていると、「次の仕事もいつものパターンと同じだろう」
と思い込む(注3)ようになります。
 普段は歩行者がほとんど無い横断歩道では、自動車のドライバーはあまり注意せずに通過します。歩行者は現れないと思い込んでいるからです。それゆえ、まれに歩行者が現れると際いてしまうのです。一見安全と思える場所でも事故が起こるのは、①このためです。(中略)
 思い込みによるミスは、深刻な結果を引き起こすことがあります。一旦こうに違いないと思
い込んでしまうと、その後に着手する作業が、なまじ(注4)練習効果があるために、素早く徹底的に実行されてしまうからです。
 間違いは無いと思い込んだ、まま、患者の取り違えに気付かず、心臓や肺を手術したという医療ミスの事例があります。このような事例のいずれの場合でも、途中で気付かれることなく、手術自体は完遂(注5)されてしまいました。慣れている医師だからこそ仕事が速く、ミスに気付く前に手術が終わってしまうのです。
 つまり②玄人(注6)の方が危ないのです。むしろ経験が浅い方が、慎重になって時間がかかるので、完了する前にミスに気付けるチャンスが多いと言えます。

(中間亨『「事務ミス」をナメるな!』光文社新書による)


(注1 )巧みに:上手に
(注2)仇となる:害になる
(注3)思い込む:強く信じる
(注4)なまじ:(なくてもいいのに)少し
(注5)完遂:最後までやり終わること
(注6)玄人:その仕事が専門の人。専門家、プロ

(63)①このためとはどのような内容を指すか。


(64)筆者はなぜ②玄人の方が危ないと考えるのか。


(65)この文章で筆者が最も言いたいことはどれか。


(3)
 ご近所トラブルは、古くて新しい問題だ。(中略)
 警察庁の統計によると、昨年、近隣関係や家庭などをめぐり全国の警察に寄せられた安全相談は約16万6千件。07年の約13万件に比べ3割ほど増えている。
 騒音問題など近隣トラブルに詳しい八戸工業大学の橋本典久教授(音環境工学)は、「マンシヨンの床は以前より厚さが増し、騒音対策もされたのに苦情は減っていない。音に対する感性が変わり、敏感(注1)になっている」と指摘する。
 橋本教授によると、15年ほど前から苦情件数は増え始め、00年ごろからは学校や公園で遊ぶ子どもの声への苦情が目立ってきた。「セミやカエルの鳴き声がうるさいから何とかしろ、という苦情も行政(注2)に寄せられる」という。
 なぜ増えているのか。核家族化で各自が個室を持ち、近所の人を自宅に招いてお茶を飲むような機会も減っている。目白大学の渋谷昌三教授(社会心理学)は「他者をもてなす場(注4)でもあった縄張り(注5)に人を入れることがなくなり、自分の殻に閉じこもる人が増えた」と分析する。
 また、独り暮らしの高齢者などに見られる傾向にも注目する。「孤独な人ほど人と交わりたいという欲求が強まり、近所の人の言動が気になってしまう。『年寄りの繰り言(注6)』という言葉があるが、しつこく苦情を言う人ほど、実はコミュニケーションを取りたがっているということかもしれない」と話す。

(朝日新聞2012年11月17日朝刊による)



(注1)敏感になる:感覚が鋭くなる
(注2)行政:国や役所など、公的なサービスを行うところ
(注3)核家族:夫婦だけ、または夫婦と子供だけの家族
(注4)もてなす:客を歓迎して、世話をしたり相手をしたりする
(注5)縄張り:自分の場所だと意識している範囲
(注6)繰り言:言ってもどうにもならない不満

(66)音に対する感性が変わり、敏感になっているとは、どういうことか。


(67)子供の声などへの苦情が増えているのはなぜか。


(68)ご近所トラブルについて、この文章ではどのように述べているか。