2010年の出版物の推定販売金額は約1兆8700億円、前年より3.1%減少、1998年から連続のマイナス成長となった。推定売上げが1兆円を超えたのが1976年、2兆円を超えたのが1989年だから、その約10年後から減少し始めているわけだ。書籍は1996年、雑誌は1997年にそれぞれピークを迎えている。また景気後退の影響で2009年には57の出版社が倒産している。

 ニュースをコンピューターや携帯電話で読むようになってきた。新聞より速いし、ほとんどお金もかからない。最近(注1)携帯小説が注目されていて、中には100万もの小説を集めている携帯サイトもある。人気小説は本や映画になったりするので出版界も無視できない。

 2010年の携帯電話やパソコン上で読む書籍(雑誌を除く)市場は推計650億円だったが、数年後には3千億円になると予想されている。このような状況下で電気製品会社が多くの電子書籍が読める装置を売り出すのは当然だ。2010年はその契機として歴史上に残るかもしれない。わずか6ミリの電子書籍装置も売り出された。ただ本を読むだけでなく新聞も読め、メールもでき、ネットから(注2)動画も下ろせる携帯電話に似た機能をつけてあるから、ビジネスマンにも受け入れられやすい。アメリカでは電子書籍は印刷した本の3分の1ぐらいの値段だから、とても買いやすいそうだ。同じように世界中に広まっていくのは時間の問題かもしれない。

(注1) 携帯小説:携帯電話を使って書いたり読まれたりする小説
(注2) 動画:映画・アニメ・ビデオカメラなどで撮影した映像

(1)出版業界はどう変化してきたか。


(2)携帯小説について述べているのはどれか。


(3)2010年はどうして歴史に残るかもしれないのか。


 イヌの散歩をしていると、最近ではイヌも挨拶の仕方を忘れてしまったのではないかと思ってしまいます。集団行動を経験したことがあるイヌ、もしくは(注1)、飼い主からイヌらしい教育を受けて順位制(注2)を感じることができるようになったイヌは、道でほかのイヌにすれ違い近づいたときには挨拶らしいことをします。ところが、集団行動の経験もなく、家でも甘やかされて育ってイヌは。現代のヒト社会のように挨拶をしないように見えます。挨拶をするイヌが、ほかの挨拶なしのイヌに対して威嚇する(注3)ことが観察されます。ところが、この挨拶犬が子イヌと遭遇したときには、子イヌが挨拶をできなくても威嚇をしないことが多いのです。挨拶犬にとって子イヌであるというシグナルがなんなのかわかりませんが、とにかく子イヌと成犬とを区別したうえで挨拶のあるなしを判断しているようです。

 イヌの挨拶行動は、生得的(注4)あるいは習得的(学習的)のどちらでしょうか?順位制にしたがった行動ができるようになったイヌでは、イヌ社会での経験がなくてもある程度の挨拶行動ができることから、生得的であるといえます。また、より儀式的な挨拶行動が円滑に(注5)実行されるためには、ほかのイヌとの集団生活があったほうがよいことから、習得的な部分もあるといえるでしょう。

(注1)もしくは:または
(注2)順位制:上下関係にもとづいてできた順序の決まり
(注3)威嚇する:ここでは、ほえて相手を怖がるせる
(注4)生得的:生まれたときから持っている
(注5)円滑に:スムーズに、滑らかに

(1)この文章によると、挨拶をしない、またはできないイヌはどれか。


(2)この文章によると、どんなイヌがどんなイヌにほえて、怖がらせるか。


(3)筆者は、イヌの挨拶行動についてどのように述べているか。


 皆さんは寄付をしたことがあるだろうか。異常気象で食べる物が不足して困っている人や、地震で家を失った人のためにわずかながらもお小遣いから寄付した経験を持つ人は多いだろう。その寄付に対する考え方に、今、新しい動きが起こっている。

 ある会社では、社員食堂で低カロリーの定食を食べると代金の一部が寄付金となって途上国(注)の子供たちの食生活を支援する、というシステムを取り入れている。社員としては体調管理につながるだけでなく、人を助けることができ、会社としては社員の健康を支えながら社会貢献ができるので、社員にとっても会社にとっても一石二鳥というわけだ。

 また、「寄付つき」の商品を販売する企業も増えている。特定の商品を買うと売り上げの一部が寄付されるというもので、他の商品と比べるとやや値段は高いが、商品を買えば、同時に寄付できるという手軽さが消費者に歓迎され、売り上げを伸ばしているという。

 これまでの寄付はわざわざ募金の場所へ足を運んだり、銀行からお金を振り込んだりしなければならないものが多く、社会貢献に関心はあっても寄付をするのは面倒だと実際の行動には移さない人も少なくなかった。そこに目をつけたのが新しい寄付の形で、これまでと比べ手軽に寄付できるようになり、社会貢献がしやすくなった。さらに、企業にとっても自社のイメージの向上や売り上げの増加などメリットの多い取り組みとなっている。

 このように寄付は慈善のためというばかりでなく、寄付をする側にもプラスになる活動としてとらえ直され始めている。

(注)途上国:経済成長の途中にある国

(1)社員食堂で低カロリーの定食を食べることがどんな良い結果につながるのか。


(2)この文章では、これまでの寄付にはどのような問題があったと述べているか。


(3)この文章における新しい寄付とはどういうものか。


 日本ではよく、「若者はもっと個性を発揮すべきだ」とか、「個性を磨くべきだ」などと言われます。けれど私は、そういう言葉にはあまり意味がないと思っています。
 また、日本では「個性」という言葉が主に人の外観に関して使われることにも、私は違和感(注1)を持っています。たとえば、「個性的なファッション、個性的なヘアスタイル」は、「人がアッと驚くような奇抜(注2)なスタイル」であることが多いでしょう。
(中略)
 このように考えると、「個性=人より目立つこと」と、多くの人が錯覚(注3)しているのではないかと思います。
 でも、根本的なことを言ってしまえば、この世に生まれた人間は一人残らず全員、それぞれの個性を持っています。だから、誰かに「磨きなさい」と命令されて、義務のように磨く必要などないのです。
 あなたが生まれ持った個性は、明らかにあなただけのものです。世界中に、あなたと同じ個性を持つ人など誰一人としていないのですから、「他の人はどうかな?」とキョロキョロすることは不必要だし、他人の真似をする必要もありません。真似しようとしても真似できないのが、個性というものなのです。
 あなた自身が「楽しい、面白い、不思議だ、ワクワクする、ドキドキする」と感じ、心から求めているものを優先すれば、それでいいのです。「磨く」とか「発揮する」などと意識しなくても、自分が本当に好きなもの、興味があることに気持ちが向かっていけば、自分の世界がどんどん広がっていく。それが①本当の意味で「個性を磨く」ということです。

(今北純一『自分力を高める』による)


(注1)違和感:ここでは、なにか違うという感じ
(注2)奇抜な:珍しくて目立っている
(注3)錯覚する:勘違いする

(1)日本人が使う「個性」という言葉について、筆者はどのように述べているか。


(2)個性について、筆者の考えに合うものはどれか。


(3)筆者によると、①本当の意味で「個性を磨く」


 カラスほど嫌われている鳥はないだろう。確か童話にこんな話があった。好きな色にしてもいいと言われた鳥たちはそれぞれ直ぐに自分の色を決めたが、欲張りなカラスは決められなかった。この色がいいあの色がいいと塗っているうちにとうとう黒くなってしまったという話だった。色を混ぜたら最後には黒くなると知っていたから、カラスって馬鹿だなと思った。カラスは黒いとばかり思っていたからロシアで黒と灰色の2色のカラスを見て驚いた。ちょっと可愛らしいとさえ思った。そのときやっぱり黒い色が悪い印象を与えているのかもしれないと思った。

 カラスが嫌われているのは人間にとって都合が悪いことばかりするからだ。都会では餌を求めてゴミを散らかし、農村では餌にするわけでもないのに作物を畑から抜いたりする。線路に石を置くこともよく知られている。事故になるかもしれないから大変困ったことだ。また子供を守るために人間を攻撃することもあって危険だ。

 よく留学生が東京はカラスだらけだと言う。確かにほかの都市よりカラスが多いと思う。店から出るゴミが多いので餌に困らないからだ。東京はカラスが増えすぎて困っている。夜、巣に戻ってくるたくさんのカラスを見るとどれだけ増え続けるのかと恐ろしくなることがある。実際にはカラスはとても賢く可愛らしい鳥だと研究者たちは言うが、当分一般の人の考えは変わらないだろう。

(1)カラスはどんなことをしているか。


(2)著者のカラスに対する考えと違うのはどれか。


(3)本文の内容と合っているのはどれか。


 数年前、家を引っ越した。50年住み慣れた小さな家だったが、いざ引っ越しとなると、使っていない道具がごろごろ出てきて、あらためてものの多さにびっくりした。道具にしろ、本にしろずいぶん多量に所有していて、これを使いこなし(注1)、読みつくす(注2)には多量の時間がかかる。あと何年生きられるだろうと人生を逆算してみて、①この物量はムダだなと引っ越しのトラックの助手席で考えた。
 私は世間の人よりはものの所有欲が強いとは思っていない。むしろものをもたないほうと思っているが、それでもものが多過ぎるのである。
 昔、「預かりものの思想」と言った人がいる。人はぽつんと生まれて、ぷつんと消えていく。家や土地、道具にしても、いくら自分の所有だと力んでみても、死んでしまえばもっていけない。いずれは世の中に返していかなければならない。このわずかな人生の時間の中で、②それを楽しむしかないのだ。空気や水と同じように、土地も家も道具も、あらゆる諸物は世の中から預かって、生きている間だけ借りているのだ、という考えだった。
 たしかに、私たちはものへの所有欲が強い。車をもつ、家をもつ、高級ブランド品をもつ、携帯電話をもつ、コンピューターをもつ、所有することで満足感を得ている。しかし、所有欲をふくらませるには、どこかで限界があるだろう。「預かりものの思想」は、そういう物欲にかられる(注3)私たちに冷水をかける思想だった。

(野外活動研究会『目からウロコの日常物観察ーー無用物から転用物まで』による)


(注1)使いこなし:ここでは、すべて使う
(注2)読みつくす:すべて読む
(注3)物欲にかられる:物欲を抑えられなくなる

(1)①この物量はムダだなとあるが、筆者はなぜそう考えたのか。


(2)②それとは何を指すか。


(3)「預かりものの思想」では、ものをどのように考えているか。


  「鉛筆でかいたのになぜ消えないの。」
 小学校の写生大会で、画用紙に鉛筆で下書きをし、水性絵の具で色をぬった後、下書きを消しゴムで消そうとしたのに消えなかったときに思ったことだ。不思議だと思うと同時に、絵が思ったように仕上げられず①がっかりした
 この疑問に対する答えを、最近、あるホームページで見付けた。そのページには、まず普通の鉛筆は消しゴムで消せるのに、なぜ色鉛筆は消せないのかという説明が書いてあった。
 その説明によると、それは普通の鉛筆と色鉛筆の芯の材料が異なっているためだそうだ。鉛筆は黒鉛と粘土から、色鉛筆は顔料とロウ(油分)からできている。黒鉛と顔料は、色の元になるものである。紙に書かれた文字の状態をそれぞれ簡単に説明すると、前者は細かくくだかれた黒鉛が紙の表面にくっついている状態であり、後者は顔料が紙の中に油とともにしみ込んでいる状態だそうだ。したがって、表面にくっついているだけの黒鉛は、消しゴムでこすることで、紙から引き離すことができる。一方、しみ込んだ顔料は引き離すことができない。
 そして最後に、鉛筆の下書きが水性絵の具で色をぬった後に消せない理由が説明されていた。鉛筆の下書きが消せないのは、水性絵の具を溶かすのに使う水のせいだそうだ。この水が、色鉛筆の芯の油分と同じ役割を果たすという。水も油も紙にしみ込みやすいのだ。

(1)①がっかりしたとあるが、なぜか。


(2)普通の鉛筆で書いた文字を消しゴムで消すとは、どうすることか。


(3)水性絵の具で色をぬった後に、鉛筆の下書きが消せないのはなぜか。


(1)
 ものを作る過程は、本当に楽しい。『完成したときの喜び』とよく表現されるけれど、①それは違うと僕は思う。そもそも、ものを作って感じることの一つは、『完成した』という瞬間がいったいいつなのかわからない、という事実である。②完成したことがわかるのは、誰かに頼まれて作っているもの、つまり依頼された仕事である、そういうものは、これなら引き渡せる、要求された水準を満たしているだろう、という鏡界線がぼんやりとでも設定されているから、そこが『完成』になる、そしてこの場合は、労働から解放される喜びがあるし、達成感もあるだろう、レース(注1)でゴールをするのと同じだ。あそこまで走りなさい、というルールがあらかじめ設定されているからだ。
 しかし、自分が初めて作るもの、自分が自分の欲求で作り始めたものは、そういったゴールがはっきりとしていない、このことは、ものを作る場合以外でも同じである、たとえば、研究がそうだ。知りたいことを知ろうとする行為は、作りたいものを作ろうとする行為と限りなく似ている。好奇心(注2)に從って、こつこつと進む過程は、本当にわくわくして楽しい。けれど、どこまで進んでも、『やった!』といった達成の瞬間は訪れない。ゴールなんてどこにもない。ただ、過去を振り返って、『ああ、だいたいあのときが、完成した時期になるかな』というくらいの『一段落』が見えるだけである。

(森博嗣『創るセンス工作ん思考』による)


(注1) レース:競争
(注2) 好奇心:新しいに対する興味

(60)①それとは何か。


(61)筆者によると、②完成したことがわかるのはどのような場合か。


(62)ものを作ることについて、筆者が言いたいことは何か。


(2)
 イヌの散歩をしていると、最近ではイヌも挨拶の仕方を忘れてしまったのではないかと思ってしまいます。集団行動を経験したことがあるイヌ、もしくは(注1) 、飼い主からイヌらしい教育を受けて順位制(注2)を感じることができるようになったイヌは、道でほかのイヌにすれ違い近づいたときには挨拶らしいことをします。ところが、集団行動の経験もなく、家でも甘やかされて育ってイヌは。現代のヒト社会のように挨拶をしないように見えます。挨拶をするイヌが、ほかの挨拶なしのイヌに対して威嚇する(注3)ことが観察されます。ところが、この挨拶犬が子イヌと遭遇したときには、子イヌが挨拶をできなくても威嚇をしないことが多いのです。挨拶犬にとって子イヌであるというシグナルがなんなのかわかりませんが、とにかく子イヌと成犬とを区別したうえで挨拶のあるなしを判断しているようです。
 イヌの挨拶行動は、生得的(注4)あるいは習得的(学習的) のどちらでしょうか?順位制にしたがった行動ができるようになったイヌでは、イヌ社会での経験がなくてもある程度の挨拶行動ができることから、生得的であるといえます。また、より儀式的な挨拶行動が円滑に(注5)実行されるためには、ほかのイヌとの集団生活があったほうがよいことから、習得的な部分もあるといえるでしょう。

(針山孝彦『生き物たちの情報戦略------生存をかけた静かなる戦い』による)


(注1) もしくは:または
(注2) 順位制:上下関係にもとづいてできた順序の決まり
(注3) 威嚇する:ここでは、ほえて相手を怖がるせる
(注4) 生得的:生まれたときから持っている
(注5) 円滑に:スムーズに、滑らかに

(63)この文章によると、挨拶をしない、またはできないイヌはどれか。


(64)この文章によると、どんなイヌがどんなイヌにほえて、怖がらせるか。


(65)筆者は、イヌの挨拶行動についてどのように述べているか。


(3)
 旅先で、すばらしい風景や名所旧跡(注1)に出合ったとき、わたしも人なみには感激する。しかし、①その感動はながつづきしない。すぐに退屈してしまう。
 私の勤務先は巨大な公園のなかにある。歩いて出勤することもおおい。『すばらしい環境のなかを通っての出勤で、うらやましいですな』といわれる。ところが、わたしによって、歩きなれた道は退屈である。緑の自然を楽しむより、街なかの雑踏(注2)を歩くほうがおもしろい。
 自然の風景や名所旧跡は静的である。いつ出かけても、おなじ景色にめぐりあえる。背景の自然は季節ごとに変わっても、滝とか、お寺など、風景の主人公はあまり変化しない。そこで、絵はがきがつくられる。
 そこへ行ったことのない人へ、自分の感動を伝える手段として、風景や美術品の絵のはがきは発生した。しかし、投函する(注3)ためではなく、②個人的コレクションとして、絵はがきを集める人が、案内おおいのである。ときどき、ながめたり、人に見せたりして、旅の追体験をし、イメージを固定化するのだ。
絵はがき型の人間にたいして、市場型とでもいうべき人びとがいる。私は市場型人間の典型だ。見知らぬ土地へ出かけたら、観光名所は省略しても、市場へは足をはこぶ。
食文化の研究をしているので、市場は情報源として大切な場所である。市場はその土地の『生きた食物図鑑』である。そんな職業意識をはなれても、市場はおもしろい。売り手と買い手の駆け引き(注4)など、人びとのふるまい(注5)を見ていたら、退屈することはない。市場は『生活のショーウインドー』なのである。

(石毛直道『食べるお仕事』にとる)


(注1) 旧跡:歴史上の出来事があった場所や、歴史上の物が残っている所
(注2) 雑踏:人がたくさんいて込み合っている所
(注3) 投函する:ポストに入れる
(注4) 駆け引き:自分に有利になるように相手とやり取りすること
(注5) ふるまい:行動

(66)①その感動はながつづきしないとあるが、それはなぜか。


(67)②個人的コレクションとして絵はがきを集める目的は何か。


(68)市場型人間は何のために市場へ行くのか。


(1)
 僕は学校が好きだった。毎日わくわくしながら学校に通ったものだ。学校にはいやな奴も大勢いたが、好きな友達がそれ以上沢山いたからである。向こうは僕のことをどう思っていたのかは分からないが、構わなかった。僕はかってに彼らのことを友達だと思っていたのである。
 友達を作る、とよく言う。あの頃先生や親は僕によく「いい友達をいっぱい作りなさい。」と言っていた。僕は彼らがそう言うたびに①「それは違う。」と心の中で反発(注1)したものだった。友達は作るものじゃない、と今でも思っている。 友達を作るなんて第一友達に対して失礼だと思った。第二に作った友達は偽物のような気がしたのだ。
 僕は友達は作るものではなく、自然に出来るものなのだと思う。僕にも友達が出来なくて辛い時期があったけれど、僕は決して友達を作ろうとはしなかった。つまり無理して誰かに合わせたりしてつきあうことはなかったのだ。僕はいつも自然にしていた。大人になってから、ああ、あの頃あいつは僕の友達だったのだな、 と思い知らされた(注2)奴もいた。その頃は喧嘩ばっかりしていたからである。後になってそうやって分かる友達もまたいいものだ。
(中略)
 大人になった今、僕は学校を失ってしまった。毎日楽しみにしていた学校はもうない。社会にでてから今日まで、僕は孤独に仕事をしてきた。それでも一生懸命仕事がやれたのは、ふりかえると僕には素晴らしい仲間たちが大勢いたからなのだ。②彼らと過ごした自然な日々は、僕の人生において大いなる大地となっている。そして僕はそこからすくすくと伸びる一本の木なのだ。僕の根っこは彼らと繋がり、僕は空を目指している。

(辻仁成『そこに僕はいた』による)


(注1)反発する返抗して、受け付けない
(注2)思い知らされる:強く思わされる

(60)①「それは違う。」とあるがどういうことか。


(61)②彼らとは誰のことか。


(62)大人になった筆者にとって、友達とはどのような存在か。


(2)
 人間の顔には、いろいろな特徴があります。毛がないというのがその一つ、そしてもう一つの特徴は、顔が非常に柔らかいということです。特に口が柔らかいというのが人間の顔の特徴です。もともと口の役割は、食べ物を食べるということでした。しかも口でその食べ物をつかむことが必要ですから、顔の中でも口が一番前にないと食べられません。したがって、ほとんどの哺乳類(注1)では口が前にとび出しています。
 口にはもう一つの役割があります。相手を攻撃する道具としての口です。相手に噛みついて攻撃する。そのためにはやはり口は一番前にとび出ていて、しかも固くなければいけません。一番前にとび出ていて固い、それが普通の動物の口の特徴なのです。
 ところが、人間では、直立歩行をするようになって、口の役割が変わりました。なぜなら、食べ物をつかむということは、直接口を使うのではなくて、手でできるようになったからです。食べ物を手でつかんで口のところまでもってくることによって、口は必ずしも(  )。人間の口が進化(注2)の過程でだんだん引っ込んできたのはそのためです。
 さらに、直立歩行で手が自由になったために、相手への攻撃も手を使ってできるようになりました。その結果、攻撃の道具としての口の役割もだんだん失われてきました。必ずしも固い必要はない。柔らかくてもいい。こうして、口の周りがどんどん柔らかくなっていったのです。

(原島博 「演学への招待』による)


(注1) 哺乳類:子を乳で育てる動物
(注2)進化:生物が発達によって長い間に変化すること

(63)人間以外の哺乳類の口について述べているのはどれか。


(64)(  )に入る文として適当なものはどれか。


(65)人間の口が変化した理由について、正しく説明しているものはどれか。


(3)
 アサヒビールは子供の誕生日や運動会などのために休暇を取れる「子育て休暇」 を導入した。中学校入学前の子供を持つ社員が対象で、子供が一人の場合は年5 日、二人以上の場合は年10日まで休める。育児・介護休業法では、未就学児(注1)の病気・けがの看護を目的とする休暇の取得を認めている。アサヒは要件 (注2)を育児全体に広げ、社員の子育てを後押しする。
 新制度は9月1日付で新設した。子供が3歳未満なら有給、3歳以上なら無給で休暇を取れる。理由は子供の誕生日や入学式のほか、PTA (注3)への参加など「育児全般に関する幅広い仕由」とする。これまでは看護で休む際にも診断書や薬袋のコピーなどを証拠として提出する必要があったが、新制度は申請するだけで利用できる。
 新制度で育児中の女性社員の負担を軽減すると同時に、男性社員の育児参加を促す、育児・介護林業法に基づく休暇は育児をする女性のほとんどが取得しているものの、男性の取得率は3%にとどまっている。 同社には最大2年間を無給で休める育児休業制度もあるが、利用できる制度の選択肢を増やす必要があると判断した。

(「子育て休暇」2007年9月5日付日本経済新聞による)


(注1)未就学児:小学校に入る前の子供
(注2)要件:必要な条件
(注3)PTA:学校の先生と父母の会

(66)「子育て休暇」の目的は何か


(67)「子育て体暇」を取るのに必要な条件はどれか。


(68)この休暇を取るときに、どんな手続きが必要か。


 墓をどうするかは老人にとっては重大問題です。日本では先祖代々の墓は長男の家族が引き継ぎ、次男や三男の家族は新しい墓を造る習慣があります。最近墓はあるもののそれを引き継ぐ人がいなくて困っている人が増えてきました。私の友人は1人っ子なので親の墓を夫の墓に移転させるほかありませんでした。墓の引越しに大変お金がかかったそうです。今後少子化や未婚率が上がるとますます墓を守ることが困難になるでしょう。そんなこともあって最近樹木葬を選ぶ人が増えてきました。木の下に眠るのです。今まで樹木葬は都会からかなり離れた場所で行われていたので行くのに大変不便でした。しかし近年都会でも樹木葬が始められました。樹木葬は一般の墓に比べて場所が狭くてもいいですし、費用もあまりかかりません。それに誰かが墓を守る必要もありません。また自然に帰りたいという気持ちにぴったりです。
 また墓ではありませんが、亡くなった人の遺骨を身近に置いておきたいという人のために、細かい骨を入れるペンダントやキーホルダーが売られています。こちらは単なる入れ物ですから3万円ほどです。さらに亡くなった人の骨や髪の毛でダイヤモンドを作って身につけて人さえ現れました。骨の扱い方も様々になってきました。

(1)どうして墓の問題が起きたか。


(2)なぜ骨でダイヤモンドを作るのか。


(3)著者は墓の問題解決のためにどんな提案をしているか。


 2009年から日本で一般の市民が裁判に参加するようになった。裁判員制度である。しかし呼び出された人の約3人に1人が辞退しているそうだ。辞退できるのは本人や家族が病気やケガをしている場合、葬式や出産、重要な仕事などの事情がある場合である。18人ほど呼び出された中で実際に裁判員になれるのは6人(そのほか補充裁判員2名)だけだ。だから呼び出す人数が多すぎるという不満の声がある。
 日当は裁判員を選ぶ日は8千円以内、裁判員を務めた日は1万円以内だそうだ。額が多いとか少ないとか言われているが、いくら高額でも嫌だという人もいる。①裁判員が参加する裁判は泥棒などという軽い刑ではなく殺人など重大な事件だから、死刑を言い渡さなければならないこともあって、裁判員になりたくないと言う人もいる。裁判官と裁判員で話し合って多数決で判決を出すから、裁判員も責任が大きい。しかし多数決といっても必ず1人以上の裁判官の賛成が必要である。裁判官3人と裁判員6人では普通の多数決にすると裁判員だけで決められるからである。
 一般人の参加によって家族間の事件は同情して刑が軽くなり、一方性犯罪は重くなる傾向にある。よくも悪くも普通の人の考え方に近づいているようである。また市民の裁判に対する関心が高まっている。これが今回一番よかったことなのではないだろうか。

(1)裁判員に呼び出された場合にどんな不満があるか。


(2)①裁判員が参加する裁判はどんなものか。


(3)著者は裁判員制度が始まって何が一番よかったと言っているか。


(1)
 日本の大学生はコピーをとる機会が多い。コピー代は大抵1枚10円で、決して高くはない。けれども、枚数が多いため、大学生にとってはそれなりの負担になる。コピー代が安くすめば、もう少し余裕のある学生生活が送れるかもしれない。
 このような事情を実感していた①大学生たちが5人集まって、無料でコピーがとれるコピー機を大学に設置する会社を始め、好評を得ている。
では、彼らはどうやってコピー代を無料にしたのか。それは、企業からの広告料を利用しようというアイデアから始まった。
 仕組みはこうだ。まず、この会社は広告を出してくれる企業を募集し、広告料をもらう。そして、その企業の広告をコピー用紙の裏面に印刷し、大学に設置した無料コピー機にセットする。学生がこのコピー機を使うと、コピー用紙の表には学生のとったコピーが、裏には企業の広告が載る。つまり、コピー用紙が企業の広告にもなるというわけだ。この会社は、このようにして得た広告掲載料を、無料コピー機の経費にあてているのだ。
 この仕組みは、広告を掲載する企業にとっても②利点がある。学生向けの広告を、学生に対してのみ効果的に出せるのだ。ちらしと違って読まずに捨てられることのないコピー用紙なら、学生が広告を見る可能性が高い。実際に若者向けの商品を主力とする多くの企業が広告を載せているという。
 学生のアイデアを生かしたこのような会社は、今後も増えていくだろう。

(60)①大学生たちは何を目的として会社を作ったか。


(61)この会社では、どうしてコピー代を無料にできるのか。


(62)②利点とあるが、この文章からわかる企業にとっての利点は何か。


(2)
 心理学者で立正大学特任講師の内藤誼人さんも、就寝(注1)直前の勉強を勧める一人。では、日中の勉強は無駄が多いだけかというと、「そんなことはありません」 と内藤さん。眠る前以外にも、記憶をするのに効率的(注2)な時間帯があることが 分かっているそうです。
 以前、ゕメリカの教育心理学者が、小学5、6年生を対象に、記憶力や理解力が時間帯によってどう変わるかを調べる実験を行ったことがあります。その結果、計算や暗記などの作業効率は、午前10時と午後3時くらいがピークでした。午前8時の成績を100とすると、同10時に160まで上昇。その後、午後1時に98まで 下がり、同3時には103に上がるという曲線を描いたそうです。
 「午前と午後に一度ずつ効率の上がる時間帯に、最も集中して勉強すれば効果的。もちろん個人差はあるので、自分のリズムをきちんと把握(注3)し、ノッている(注4)時間帯を見つけることが大切です」1日に5時間勉強し、1時間に50個ずつ覚える。そんなやり方は、非効率極まりない(注5)。絶好調(注6)の時間帯に2倍のノルマ(注7)を課し、それ以外は軽く流す。 タイミングをとらえた勉強法が、記憶力を高めるのです。
 「能率の波は、自分で意識的にコントロールすることもできる。自分が勉強する時間帯に、最も頭の働きが良くなるよう習慣づけられればベスト」と内藤さん。タイミングを待つだけではなく、自分から作り出す“攻めの姿勢”が求められるのです。

(読売新聞2011年11月18日付朝刊による)


(注1) 就寝:寝ること
(注2) 効率的な:ここでは、効果が上がりやすい
(注3) 把握する:ここでは、つかむ
(注4) ノツている:ここでは、調子が良い
(注5) ~極まりない:非常に~だ
(注6) 絶好調の:非常に調子が良い
(注7) ノルマ:ここでは、しなければならない勉強の量

(63)アメリカの教育心理学者の実験結果について合っているのはどれか。


(64)この文章によると、効果的な勉強法とはどのようなものか。


(65)“攻めの姿勢”とは何か。


(3)
 個性の重視ということが注目されるようになって以来、「子どもの興味を尊重し、 一人ひとりの子どもが興味を持つこと、『やってみたい』と言うことを好きにやらせ ることが、個性の重視である」という解釈が広がりました。しかしその結果、社会 生活上のしきたり(注1)や習慣を教える機会を失ったと悩む教師と、①好きなことしかやりたがらない子どもをつくってしまったということはないでしょうか。個性の 重視とは、「二人と同じ人間はいない、つまり人は一人ひとり異なる存在である。だ から、一人ひとりが異なった興味や価値観を持つのは当然である」という考え方を 肯定する人間観を意味しているのです。(中略)
 子どもの興味や関心は日々変化する可能性があります。しかし、なんらか(注2) の形でその対象を知る機会がなかったなら、興味を持つこともないのです。小学生 はまだまだ経験の幅が狭いものです。ですから、おのずと(注3)興味や関心を持つ 対象も、非常に限られた範囲のものになります。さまざまなものに興味を持つのを 待つばかりでなく、興味が持てるように、さまざまな体験ができるようにすること が大切です。

(渡辺三枝子『キャリゕ教育――自立していく子どもたち』による)


(注1)しきたり:昔からの決まり
(注2)なんらかの:何かの
(注3)おのずと:自然と

(66)①好きなことしかやりたがらない子どもをつくってしまったとあるが、筆者はどこにその原因があると考えているか。


(67)筆者は、子どもの個性を重視するとはどのようなことだと言っているか。


(68)子どもの教育について、筆者が言いたいことは何か。


(1)
 ①面接の準備をする作業は自分自身を見つめ直すいいきっかけになると私は思います。
自分って要するになんなんだろう?何が人と違って、 どこが優れているんだろう? 普段は自分自身のことをそこまで考えないでしょうが、面接に臨む(注1)ためには、 自分で自分を的確に語れるようになっていなくてはダメで す。 それも短い的確な言葉に 絞り込まなければなりません。
 新聞記事をよく見てください。太い大見出しというのは10文字以下です。あれがニュースです。世界中に起きていること、国会で起きていること、大きな事件、それらをたった10文字以下で表現している のです。
 一日の国会でどれだけたくさんの論戦が戦わされていることでしょう。その事 実だけを列挙(注2)しても 新聞にはなりません。すべてを書かれても、読み手はそのすべてを受け取ることもできません。 そこで記者が膨大な事実の中からニュースと判 断されるものを探し出し、たった一言でまとめてしまう、それがニュースであり、大見出しなのです。
 (中略)
 面接で自分を語るということは②自分自身を見出しにするということです。 自分の人生という長く膨大な時の流れと経験の数々、その都度(注3)、心に去来した(注4)ありとあらゆる(注5)思い、それをたったヒトコトで(注6)表現するので す。
 ヒトコトなんかじゃ語れないことは分かっています。でも、ヒトコトで語らなけ ればならないのです。

(黒石祐治「メッセージを高める 黒石の法則」による)


(注1)面接に臨む:面接を受ける
(注2)列挙する:並べる
(注3)その都度:そのたびに
(注4)心に去来する:ここでは、心に浮かぶ
(注5)ありとあらゆる:すべての
(注6)ヒトコト:普通「一言」と書く

(60)①面接の準備をする作業について、筆者はどのように考えているか。


(61)面接と新聞の共通点は何か。


(62)②自分自身を見出しにするとあるが、どういうことか。


(2)
 美術館に展示(注1)してあるものに答案は一つもない。その作品をどう観るか はまったくの自由だ。もちろん、その作品を制作したアーティストの意図は存在する。 しかし、それは決してただ一つの答案ではない。作者も考えていなかったような見方、 読み方ができることが芸術作品の魅力 (みりょく ) なのだ。優れた作品は作者の意図を軽 軽々を超えて、観客の心のなかで多様な気づきを生み出していく。多様な解釈(かいし ゃく)ができることは、優れた美術作品の条件だと言ってもいい。
 しかし、日本人は、この「答えがない」ことが苦手なのだ。「美術が難しい」「絵 がわからない」という声を よく聞くのは、多くの日本人が美術や絵の見方に「正確」が あると思っているからである。欧米ではこうした声は聞かれない。「美術は好きじゃな い」「絵には興味ない」という人はいる。しかし、「わからない」もの だと思っている 人はあまりないのではないかと思う。
 ただし、「絵がわからない」と当惑(とうわく) (注記2) 気味につぶやくのは 大人たちだけだ。子供はそんなこ とは言わない。
 美術館で子供たちは、それぞれのや り方で作品を受け止める。 (中略)
 面白いと思えばハマる ( 注記3) 。思わなければ忘 れてしまう。子供たちと美術の最初の出会いはそれでいいのだと思う。

(衰豊『超(集客力)革命―人気美術館が知っているお客の呼び方』による)


(注1) 展示(てんじ)する:並べて見せる
(注2) 当惑(とうわく)気味につぶやく:困ったように小声で言う
(注3) ハマる:ここでは、夢中になる

(63)筆者は、どのような芸術作品が優れていると述べているか。


(64)筆者によると、日本人の大人が美術を難しいと感じるのはなぜか。


(65)子供と美術の出会いについて、筆者はどのように考えているか。