最近、長い間働いた会社をやめて、日本そば屋を始める人が増えているそうだ。今年の4月、奥さんと二人で中村駅前に小さな店を開いた「そば屋 しんしゅう」のご主人、①森さんもその一人だ。「収入は減ったけど、今はやってよかったと思っています」と、森さんは言う。
 ②そば屋を開く人が多いのはなぜか。そば屋は、てんぷら屋やすし屋、中華料理店やフランス料理店などに比べると、あつかう材料の種類も少なく、作り方もそれほど難しくない。また、最近は健康に気をつける人が増え、外食の時にそばのような体にいい食べ物を選ぶ人も多くなっているからだ。
 森さん夫婦は、一年ぐらい知り合いのそば屋を手伝いながらそばの作り方を勉強し、自分の店を開いた。だが、いつも同じ味のおいしいそばを作り続けることは本当に難しそうだ。
 「そば屋 しんしゅう」の開店は午前10時だが、森さんは朝6時には店に入り、準備を始める。そして、店が終わってからも、毎晩おいしいそばの作り方を熱心に研究している。「お客さんの『おいしかったよ』という言葉を聞くと、疲れも消えるんですよ」と、森さん。その横で「③大変ですよ。夫とけんかをしても、店ではにこにこしていなければなりませんから」と、奥さんが笑う。
 サラリーマン時代にはできなかった経験をしている森さんは、今、そば屋の経営を心から楽しんでいる様子だ。いろいろ苦労はありそうだが、これも人生の一つの選択だろう。

(34)①『森さんもその一人だ』とあるが、どれはどのような意味か。


(35)②『そば屋を開く人が多い』とあるが、その理由は何だと言っているか。


(36)③『大変ですよ』とあるが、ここでは何が大変なのか。


(37)森さんは今、そば屋を開いたことをどう言っているか。


 私の住む町には「花山池緑地」という場所がある。町には多くの家が建ち、木々も減っているのだが、ここにだけは昔のままの緑が多く残されている。この辺りは、昔からきれいな水が地下から出てくるところで、今でも、珍しい草木や生き物が数多く見られる。
 以前、ある建設会社がこの辺りに大きなマンションを建てる計画を発表した。 花山池の自然を守ろうという動きが始まったのは、そのときだった。町に住む人たちが、この場所の価値をわかってもらおうとする活動を始めたのである。それが大きな反対運動になり、役所はこの場所に「花山池緑地」と名前をつけて、マンションの建設などが制限される場所に指定した。
 町の人たちは、今も「花山池緑地を守る会」のメンバーとして、役所と協力しながら,この場所の自然を守る活動を続けている。
 「守る会」の人たちは、月に数回、伸びすぎた木の枝を切ったり、雑草(注1)や外来種(注2)の草木を取ったりしている。何も世話をせずにそのま まにしておくと、外来種の草木が増えたり、日光が当たりにくくなったりして、昔 からあった珍しい草木がなくなってしまう可能性が高い。環境が変化すると、そこで生きる生き物の種類も変わってしまう。
 今、この場所は普段は自由に入れないようになっているが、1年に数回行われる自然観察会のときには、大勢の人が縁地の中を歩いて、珍しい草木や生き物を観察することができる。
 「花山池縁地」の自然は、このようにして町の人の努力によって守られてい るのである。
 (注1) 雑草:ここでは、不要な草
 (注2) 外来植の:ここでは、その場所に以前はなかった種類の

(34)「私」の町はどのような町か。


(35) そのときとあるが、それはいつか。


(36) 町の人たちは、なぜ「花山池縁地」の自然を守ろうとしたのか。


(37)「花山池縁地」を守るために、「花山池緑地を守る会」の 人たちはどうしているか。


 現在、日本で農業をしている人は、約200万人。40年前に比べると、その数は3分の1 以下に減っている。そして、農業をしている人の60%以上は65歳以上のお年寄りだ。①この状態を変えようと、最近いろいろな農業のやり方が考えられているそうだ。
 その一つは、これまでのように家族で農業をするのではなく、多くの人が働く「会社」の形で農業をするというものだ。このような会社の一つに「あおぞら」がある。「あおぞら」では今までにない②いくつかの工夫によって、若者も働きやすい環境を作っている。
 第一の工夫は「決まった給料を払うこと」。農業は自然が相手なので、どうしても収入が多い時と少ない時が出てしまう。しかし、一年中いろいろな種類の野菜を作ることで、一つがだめでも他の野菜でカバーできるようにし、毎月同じ給料が払えるようにする。
 第二の工夫は「体めるようにすること」。社員はみんな違う日に休みを取る。社員が大勢いるので、それぞれが順番に休みを取るようにすれば、それほど多くはないが、みんながきちんと休めるのだ。
 第三の工夫は「農業を数えること」。土に触ったことが全然ないような人には、経験者が農業を一からきちんと教える。
 このような工夫は若者にも伝わり、③「あおぞら」には毎年農業にチャレンジしたいという若者が大勢入ってきて、経営もうまくいっているそうだ。
 そして、それは新しい農業の形として期待されている。

(34)①この状態とあるが、何か。


(35)②いくつかの工夫とあるが、例えばどんな工夫か。


(36)③「あおぞら」には毎年農業にチャレンジしたいという若者が大勢入ってきてとあるが、それはどうしてだと言っているか。


(37)この文章全体のテーマは、何か。


 日本人は「r」と「l」の区別がつかない。「r」も「l」も「ラ」行に聞こえてしまう。①いくら英語の勉強をしても、この区別を聞き分けるのはむずかしい。これは日本人の耳が劣っている(注1)ということではない。同じような例は、欧米(注2)にもたくさんある。

(中略)

 要するに、人間は文化という色眼鏡を通して、世の中を見ているということなのだ。たとえば日本人とフランス人に太陽の絵を描かせると、②日本人は太陽を赤で描き、フランス人は黄色で描く。そればかりか、日本人は太陽を赤いと思っているし、実際に、赤く見える。これは、「太陽は赤い」という日本文化と「太陽は黄色」というフランス文化の違いを物語っている。つまり「太陽が赤い」というのは、日本の文化が決めたものであって、それは世界の共通の認識(注3)ではない。

 我々は文化が強制する(注4)ものの見方を知らず知らずのうちに身につけ、太陽を見たときにも「赤く」見えるのだ。同じものを見ても、同じ音を聞いても、文化によって見え方、聞こえ方が違うのは、目でものを見るのではなく、③文化という「色眼鏡」を通して見ているということなのだ。

 このような文化が世界のあちこちにある。そのため、文化と文化が衝突し、④紛争(注5)が起こっているわけだ。異文化(注6)を頭で理解することはできる。しかし、心の底から理解して、たとえばネズミを食べる人と食事を同席していられるか、一緒にネズミを食べられるか、となると、かなりむずかしい面も含んでいると言えるだろう。

(樋口裕一『読むだけ小論文 発展編 改正版』学習研究社)



(注1)劣っている:ほかのものと比べてよくない

(注2)欧米:ヨーロッパとアメリカ

(注3)認識:理解していること

(注4)強制する:無理にさせる

(注5)紛争:争い

(注6)異文化:自分とは違う文化

(1)①いくら英語の勉強をしても、この区別を聞き分けるのはむずかしいのは、どうしてか。


(2)②日本人は太陽を赤で描き、フランス人は黄色で描くとあるが、それはどうしてか。


(3)③文化という「色眼鏡」を通して見ているということの例はどれか。


(4)④紛争が起こっているのか。


(1)
 先⽇、友だちに誘われて初めて富⼠⼭に登った。⽇本でいちばん⾼い⼭だから、いつかは登りたいとずっと思っていたので、友だちの誘いはうれしかった。⼭登りに慣れていない私には、途中で帰りたくなるほど⼤変だった。でも、上に⾏けば⾏くほど、素晴らしい景⾊が広がった。
 そして、頂上に着いて⽇の出を⾒たときは、感動で涙が出た。雲の間からこぼれる朝⽇はとても美しかった。それは①写真をとるのも忘れてしまうほとだった
 しかし、残念だったことがある。それは登⼭の途中に、たくさんのゴミを⽬にしたことだ。ペットボトルや飲み物の⽸、そしてお菓⼦の袋などだ。そうしたゴミを⾒るたびにいやな気持になった。②下から⾒る富⼠⼭はとてもきれいなのに、実際はこんななんだと思うと悲しくなった。また、外国の⼈も何⼈か⾒かけたが、その⼈たちに対しても③はずかしくなった。
 今「富⼠⼭をきれいにしよう」という運動が⾏われているようだが、⼀部の⼈だけでなく、⼭に登る⼈④全員がそう思わなくてはいけない。⼭に登るのは体にもいいし、美しい景⾊も楽しめる。頂上に着いたときの気持ちは、ことばで表せないほどだ。みんなが気持ちよ登⼭を楽しんでいるのだから、マナーは守らなければいけないと強く思った。

(1)写真をとるのも忘れてしまうほとだったとあるが、どうしてか


(2)②下から⾒る富⼠⼭はとてもきれいなのに、実際はこんななんだとあるが、どういう意味か


(3)③はずかしくなったことあるが、どうしてか


(4)全員がそう思わなくてはいけないとあるが、だれがどのように思わなくてはいけないのか