どの時代にも、かならず流行語(50)。
たとえば「サボる」などということばは、もうすっかり普通になってしまったが、あれはもともと「サボタージュ(注1)からきている。
それから、「セコい」ということば、あれはもともとは「セコンドハンド(注2))」という外来語から出たことばである、その略語(注3)である「セコハン」を経由(注4)して、「セコハン」は、多くの場合「(51-a)古物」という意味だから、「あいつが着ているものは、どうもセコイ」というのはよっぽど古いもの、(51-b)ものを着ているという意味になったそこから「けちんぼう」という意味が派生(注5)してきて、「お前、セコイこと言うなよ」みたいに使われるようになったのである。
このように、ことばとしてどんどんと市民権を獲得してしまったことばもあるのである。今「サボる」「セコい」と聞いても、それが、(52)だと思う人などほとんどいないかもしれない。
いまでは、ひらがなで「さぼる」「せこい」と書くようにさえなったから、もはや日本語(53)。けれども、日本語の語彙として定着するまでにはやはり時間がが必要である。さぼる、せこい、などでもおそらく出現してから五十年以上は経っているように想像される。
したがって、まだ定着しないうちの、生な流行語のようなものはやはり、(54)のが上品な話し方だと言えるのである。
(林望『日本語は死にかかっている』NTT出版)
(注1)サボタージュ=sabotage
(注2)セコンドハンド=second hand
(注3)略語=短くした語
(注4)経由=ある地点を通ること
(注5)派生=もとになるものから分かれて生まれること