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友達にいろいろ求めはじめると、それにこたえてくれるかどうかで、「親友」とか「ほんとうの友達」とか序列ができてしまうでしょう。親友の案件にあった「ほんとうの自分」という表現もくせ者だと思います。私たちが相手によって「顔」を使いわけるのは、むしろ自然。しかし、それを真か偽かで分類するのは、なにか違う感じがします。
いってみれば、すべてが「ほんとうの自分」であって、なにかを「偽の自分」と考えるのはよくない。というのも、真か偽かを考えているうちは、いつまでも「いまの自分」も「いまの友人」肯定できません。(★)、「過去の自分」も「これからの自分」も「いまの友人」も肯定できないのです。
(串崎真志『悩みとつきあおう』岩波ジュニア新書)