なでるような関係を繰り返していても、互いの心の本質にはしみ込んではいかない。 生ぬるい同調(注1)など、励まし(注2)ではない。①励ますというのは、「大丈夫だよ」「いまの君のままでいいんだよ」といったことを繰り返して慰撫(注3)するようなものではない。
心に本当に響く言葉を投げかけることだ。 『グッとくる「はげまし」言葉』(文春文庫)という本で、私は、骨太な昭和人たちの骨太な言葉をいろいろ紹介した。中身はどれも「説教(注4)」だ。胸に食い込んでくるような言葉こそが本当の励ましというものだと知ってほしがった。本質を突く言葉はきつい。強烈だ。
(中略) 昭和という時代は、大人が熱かった。生き方も熱かったし、言葉にもその熱が吹き込まれていた。
それを考えると、しっかりと苦言を呈さなくなった(注5)大人もいけない。
②なにげない言葉で心が折れやすい人というのは、自分に対しての評価や批評というものを、いいものも悪いものもひっくるめて(注6)言葉のシャワーとしてふんだんに(注7)浴びてきていないところにも原因があると思う。
本気の褒め言葉から、ほんのお世辞レベルの言葉まで、いろんな褒められ方があるものだと知っている人は、さほど簡単に舞い上がったりしない。経験則(注8)というものがあるから、現実をそれなりに正当に受け止められる。
叱られることに対しての対応力も同じで、子供のころからきちんと怒られたり叱られたりしてきた経験があれば、ちょっとした一言にいちいち激しく落ち込まない。思い込みを増幅させて「私なんかいないほうがいいんだ.....」と屈折することもない。
叱られ慣れていないことで、心が折れやすくなってきているのを私は実感している。親に厳しく言われたことがきっかけで罪を犯す少年少女もすくなくない。
大人は、子供や若者に対して、本気の、親身な、熱い言葉を積極的に投げかける義務がある。褒めるときは大いに褒める。叱るべきときはきっちりと叱る。そんな当たり前のことが大事だと思う。
(注1) 同調:ある人の意見や態度に賛成すること
(注2) 励まし:元気や勇気を出すように力づけること
(注3) 慰撫:人の怒りや不安を取って、いたわること
(注4) 説教:こうするべきだと教えること
(注5) 苦言を呈する:その人のために忠告する
(注6) ひっくるめる:全体を一つにする。一つにまとめる
(注7) ふんだんに:じゅうぶんに
(注8) 経験則:実際に経験してわかった法則