短文
(1)
自分の経験や無意識の枠にとらわれている(注)と、想像カはふくらまな い。だからその枠を取り除くことが、想像力を鍛えるひとつのポイントになる だろう。 とはいえ、いままでの経験や考えによって無意識につくられてしまった枠 はだれもがもっていて、それはもうしかたがないものだ。
その枠は、人生や経験の中でつくりあげてきたもので、その人の個性や人 柄、物差しや基準になるわけだから、枠はあってもいい。ただ、必要なときに は意識してそれをはずせることが大切だ。
(注)とらわれる:ここでは、こだわりすぎる

46.想像力を鍛えることについて、筆者はどのように考えているか。

短文

(47)筆者の考えに合うのはどれか。

短文
(3)
労働はモノをつくり出すために体に労苦(注1)を強いるので、苦しい部分を併せ持っています。ただ、その活動を通じて社会とのつながりを感じることができれば喜びにも転化します(注2)。そんな喜びの部分を削り取られ、苦役(注3)だけが残る状態が広がっている現実を、どう食い止めていくかは大きな課題です。喜びを感じられない働き方なのに「働くことは喜びだ!」と建前で押し切ろうとしたり、「働くのが怖い」と背中を向けたりの二者択一でなく、苦しさと喜びのバランスの回復を求めて、働き方の改善を求めていくことが必要です。
(注1)労苦:ここでは、負担
(注2)転化する:変わる
(注3)苦役:苦しくつらい労働

(48)この文章で筆者が言いたいことは何か。

短文
(4)
情報化社会では、その情報化が進めば進むほど、買い手は商品選択において 困るというジレンマをかかえてしまう。企業情報や商品情報が増えると、その 実態を推し量る(注)ことが難しくなるので、大量の情報を包括する代表的な 名前や記号やスローガンによってその優劣を判断し、それらを手がかりに選択 のリスクを軽減しようとする。この記号にあたるものがブランドで、ブランド 戦略が注目を浴びてきた背景には、情報社会の進展がある。
(注)推し量る:推測する

49.情報化社会におけるブランドについて、筆者はどのように述べているか。

中文
(1)
ここ数年はクマがヒトの領分(注 1)に入りこんでトラブルになることが多く なった。
人里(注 2)にクマが出没する原因を餌不足に求める報道が多かったように 思うが、ブナ(注 3)に代表される奥山の種子生産の豊凶(注 4)は昔からあ るできごとで、奥山での食物不足を毎年のクマ出没の主因に当てはめるのには 無理があるように思う。奥山でのクマ同士の力関係で、弱いクマが餌を求めて 人里に出てきているという見方もあったが、人里で捕らえられたクマの栄養状 態を調べると、かならずしも力の弱いクマが人里に降りてきているとは言えな いようだ。奥山に十分な餌があっても人里に降りてきたり、人里の作物の収穫 時期に合わせて山から下りてくる話を聞いていると、奥山よりも効率よく餌を得られる人里へ、力の強いクマが降りている様子が想像できる。奥山の動物た ちの動きに変化が見られるようだ。それはクマだけでなくカモシカやシカを含 めた野生動物全般に広がる変化である。
(中略)
クマをはじめとする野生動物が、人里に「おいしい」食べ物があることを知 るのは、山里においしい食べ物をゴミとして捨てたヒトがいるからである。キ ャンプやバーベキューの後に放置されたゴミや、里山や人里近い山林に捨てら れたゴミは、しばしば野生動物の食物になる。そして彼らは学習する。ヒトの 捨てたゴミは「おいしい」と。学習した野生動物たちは、人里近くでゴミによ って餌付けされ(注 5)、人里内部へ入りこんでくるのである。野生動物が人 里に出没するのは、人間が彼らを誘導している側面がある。
(注 1)領分:領域
(注 2)人里:ここでは、山に近い村
(注 3)ブナ:森の木の一種
(注 4)豊凶:豊作と凶作
(注 5)餌付けする:ここでは、人になれさせる

50.無理があるように思うのはなぜか。 

51.筆者によると、クマが山から降りてくるのはなぜか。

52.筆者の考えに合うのはどれか。

中文
(2)
以下は、歴史を研究する人に向けて書かれた文章である。
私たちが生きている現在でも、ちょっと過ぎれば時間的には過去となる。で は、少し前の自分の経験がどういう状態であったのだろうか、という場面を、 記憶や資料をもとに正確に再現することはできるであろうか。全体について漏 れなくすることは、どうあがいても(注 1)できない。(中略)過去を生きた 人たちの喜びや楽しみにしても、苦労や苦しみにしても、正確にはわれわれは そのごく一面しか推察できないのだ、という限界についての謙虚な自戒が、歴 史を問うにはまず必要だと私は考えている。
そのうえで、現在を生きている人間が、ある問題について関心をもって問い かけるとき、はじめて歴史像を描く道への出発点ができる。そうやって問いか けがあってはじめて、なにを史資料として利用できるであろうか、というつぎのステップの問いへと続いてゆく。あるいは過去からの遺物に接して興味をそ そられ、そこから歴史への扉が開かれる、という場合もあるかもしれない。い ずれにしても、そうした問いがあって、ある文字表象(注 2)や物体が史料な いし資料としての価値を帯びるのである。
そうした手続きを踏むことによって、われわれは、歴史像の構築へと歩みだ す。描かれる歴史像は、過去の実態そのものではない。タイムマシーンは残念 ながらないのであるから、そこには、歴史を問う者によって再構築された過去 の一面についての像があるのみである。そこにあるのは、現在を生きる者によ ってなされた解釈の結果としての歴史像である。したがって、歴史像の再解釈 ということは、つねにありうることといわなければならない。
(注 1)どうあがいても:ここでは、どんなに頑張っても
(注 2)文字表象:文字で書いてあるもの

53.筆者によると、歴史を研究する人はまずどうすべきか。

54.そうした手続きを踏むとはどうすることか。

55.歴史像について、筆者の考えに合うのはどれか。

中文
(3)
近代的な社会革命は、ひとがたまたまどのような社会の場所に生まれ落ちた かという偶然によってそのひとの人生のほとんどが決まってしまうような生 き方というものを否定し、家柄とか階層とか性とか民族とかの出自によって差 別されない社会を構築することをめざしてきた。言ってみれば、出自をめぐる 偶然的条件を度外視して、みなが社会の同じスタートラインにつく、そして学 校という場所で、生きるのに最低限必要な基礎的な知識と技能とを学ぶ、その うえで、その後この社会において個人として何をなしとげるかでそのひとの価 値と人生のかたちが決まってくるという、そういう社会をめざした。理念とし て言えば、出自の偶然な条件に左右されることなく、ひとは何にでもなれる、 そういう自由な世界をめざしたのである。そういうなかで、子どもの愛護、婦 人の政治参加、もろもろの(注)差別の撤廃などの政策に取り組んできた。
けれども、何にでもなれるということは、あらかじめ何も決まっていないと いうこと、決定的なものはないということである。裏を返して言えば、何にで もなれるというのは、自分がしたいことが見えないかぎり、何にもなれないと いうことでもある。そのような意味で、自分がここにいることに理由が必要になった時代、自分が存在することの意味を自分で見いださなければならない時 代にわたしたちは生きている。ひとびとが自分が「やりたい」ことをみずから に問わざるをえないのも、そうした時代のなかにあるからである。
(注)もろもろの:いろいろな

56.近代的な社会革命はどのような社会をめざしたか。

57.自分が「やりたい」ことをみずからに問わざるをえないのは、なぜか。

長文
シアノバクテリアと藻類が誕生し、地球上を酸素で満たすまでには 20 億年以 上の時間を要したのに対し、現代人が地球環境を大きく変えるようになったの は、たかだかここ 100~200 年のことである。光合成生物が大気環境を変える のに費やした時間と比べると、人間が環境を変えた時間はあっという間といえ る。そのため、大昔の非常にゆっくりとした大気環境の変化は、当時の生物た ちには適応するのに十分な時間があったが、今の急速な環境変化には、多くの 生物種が適応できずに絶滅する可能性が高いかもしれない。そのため、人間は ①大きな問題を起こしているのだ、という人もいるだろう。
ところが、地球の長い歴史の中では、人類の活動よりも短時間で地球環境を 大きく変え、生態系を非常に大きく攪乱した事件があった。今から 6500 万年 前の中生代白亜紀末の大隕石の衝突である。これにより飛び散った破砕物が大 気中で浮遊し(注 1)、太陽光の地上への到達を妨げたといわれている。それ が植物による光合成を強く抑え、また地上の寒冷化を引き起こしたと考えられ ている。そしてこのとき、当時優占していた(注 2)恐竜をはじめ、多くの生 物が絶滅することになった。ところが、これほど急激で大きな生態系の攪乱に 直面しても、生き残ったものがいた。そして、その生物たちは、新たにつくら れた環境に適応しながら、多様な生態系をつくってきたのである。
②このことを考えると、生物というものはとてもタフで、打たれ強いもので あることがわかる。すると、今、人類が強い力で地球環境を変えて生態系を大 きく攪乱しても、人類は滅びるかもしれないが、その急激に変化する環境をう まく生き抜き、新たにつくられた環境の中で繁栄する生物種が必ず出てくるに 違いない。そして、生物がそこに存在することができれば、そこには生物たち の相互関係が生まれ、食物連鎖がつくられ、きちんと機能する生態系がつくら れるのである。そして、その新しい生態系をつくっている生物たちの中には、 「大昔、ヒトという生物がいて、彼らは我々が住みやすい地球環境をつくって くれたとてもありがたい生物だったんだよ」と、子孫に語り継いでいるものも いるかもしれない。
このように考えると、生態系の善し悪しを考えるときには、誰を中心にする か、いつを基準とするのかによって評価が大きく変わることがわかる。したが って、議論をするときには、その基準を決めなければならないだろう。
(注 1)浮遊する:浮かび漂う
(注 2)優占している:ここでは、数が多い

58.①大きな問題とはどのような問題か。

59.②このこととは何か。

60.人類が滅びた場合の生態系について、筆者はどのように考えているか。

61.生態系について、筆者の考えに合うのはどれか。

統合理解
A
優れた人は決断に迷うものです。決めるために必要な情報をたくさん持っていたり、決め た結果について多岐にわたる予測を立てたりするからです。
「決める力」のある人とは、たくさんの情報を合理的に利用して、最善の結果を予測でき る人のことです。潔くバッと決める人は決断力のある人にみえますが、軽率な判断で最悪の 結果を招いたのでは決める力があるとはいえません。また、じっくり考えて決める人は慎重 な人にみえますが、ただ迷っているだけでは良い結果が得られないでしょう。
(中略)。
どうすれば「決める力」のある人になれるのでしょう。身近な仲間の意見はどれも大差が ないので話半分に(注)聞いておき、専門性や価値観の違うたくさんの人の意見を集約して 整理します。その上で、自分一人で最終的な決断をするのが「決める力」のある人のやり方 です。

B
情報があふれる現代では、選択肢が多すぎてなかなか決断ができないという状況に陥りや すい。最善の結果を得ようと情報を探せば探すほどリスクの可能性を知り、迷い、検討を繰り返しているうちに決断がどんどん遅れてしまう。しかしどのような決断にも負の面は必ず ある。だから時間をかけすぎるよりも、失敗を恐れず迅速に決断していく人のほうが「決め る力」がある人だと言える。
しかし、早さが必要だとはいっても、適切な利断ができなければ意味がない。早く適切な 決断ができるようになるには、瞬時に自身とは違う見方を検討し、客観的な利断ができなけ ればならない。日頃からさまざまな価値観に触れ、多角的に物事をとらえられようになるこ とが必要だ。
(注)話半分に:ここでは、事実は全体の半分ぐらいだという気持ちで

62.「決める力」のある人について、A と B はどのように述べているか。

63.「決める力」のある人になるために必要なことについて、A と B の認識で 共通していることは何か。

主張理解
なんであれ無我夢中になって時間を忘れるような体験は、誰にとっても奇 跡のような時間である。そんな奇跡を可能にするものこそ、実は「独り」の時 間なのである。現実世界の他者との接点が完全になくなり、日常のあれやこれ やが背景に没する(注 1)とき、人は自由の翼を羽ばたかせる。
しかし、現実のもろもろ(注 2)が想像カや感性を邪魔しているかぎり、そ うした無限といってよい自由はやってこない。ヒマで死にそうな人にも、あの、 わくわくする自由は訪れない。①あの自由を取り戻すためには、周囲の人たち とのつながりを完全に忘れてしまわなければならない。あるいは、つながりを 完全に絶ってまでも、そこに没入したい(注 3)世界が存在しなければならな いということである。
独りは、「ひとりぼっち」である。孤独であり、寄る辺ない(注 4)状態だ。 中学生のなかには――もちろん高校生や大学生のなかにも――、ひとりぼっち になるのが怖くて、電話機から離れられない人も多い。一瞬でもスマホ(注 5) を手放すのが怖くて仕方がない人たちのことを聞くと、私は「かわいそうだな」 と思う。彼らは人とのつながりがなくなり、ひとりぼっちの深みに沈むのが怖 くてたまらないのだ。たぶん、彼ら・彼女たちは孤独の効用を知らないし、ひ とりぼっちゆえの自由も知らない。孤独になるところから始まる創造的な時間 の使い方もまったく知らない。だから、彼ら・彼女たちにとって、孤独はきっ と闇のように暗くて深いのだ。
そんな、②かわいそうな子どもたちをどうすれば助けてあげられるだろうか。 独りを恐れてはならないと言ってあげるべきだろうか、独りになることは怖く ないと言っても、きっと彼ら・彼女たちには通じない。たぶん、その恐れてい るものこそ最も貴い宝なのだと教えてくれる何かに出会うことが必要なのだ。 狐独が闇ではなく、光であり、途方もない創造性の源泉であることを知る機会 さえあればいい。多くの人々を感動させてきた文学作品や、感嘆の声を上げる しかない美術作品の数々。それらは原稿用紙に向かい、キャンバスと向き合っ た孤独な者たちの手から生まれたものだ。(中略)もちろん、孤独でありさえす れば③偉大な作品が生まれるわけではない。孤独は創造性にとって十分条件で はなく、必要条件なのだ。だから、いきなり深遠な思索やらオリジナルな発想 やらがどうして生まれるのか、と聞かれても、答えようがない。しかしそうい う傑作が生まれ落ちた素地(注 6)にあるのが「独り」の状態だということは 知っておくベきだろう。
孤独に対して、あまりよくないイメージがあるなら、そのイメージを払拭し、 ポジティヴな(注 7)イメージに転換しておかなければならない。孤独は創造 の源泉であり、夢中になれる悦ばしい時間の素地である。
(注 1)背景に没する:ここでは、意識されなくなる
(注 2)もろもろ:さまざまなこと
(注 3)没入する:熱中する
(注 4)寄る辺ない:頼るものがない
(注 5)スマホ:コンピュータの機能を持っている携帯電話。スマートフォン
(注 6)素地:もと
(注 7)ポジティヴな:肯定的な

64.①あの自由とはどのような状態か。

65.②かわいそうな子どもたちとあるが、何がかわいそうなのか。

66.③偉大な作品について、筆者が述べていることに合うのはどれか。

67.筆者が言いたいことは何か。