(3)
近代的な社会革命は、ひとがたまたまどのような社会の場所に生まれ落ちた かという偶然によってそのひとの人生のほとんどが決まってしまうような生 き方というものを否定し、家柄とか階層とか性とか民族とかの出自によって差 別されない社会を構築することをめざしてきた。言ってみれば、出自をめぐる 偶然的条件を度外視して、みなが社会の同じスタートラインにつく、そして学 校という場所で、生きるのに最低限必要な基礎的な知識と技能とを学ぶ、その うえで、その後この社会において個人として何をなしとげるかでそのひとの価 値と人生のかたちが決まってくるという、そういう社会をめざした。理念とし て言えば、出自の偶然な条件に左右されることなく、ひとは何にでもなれる、 そういう自由な世界をめざしたのである。そういうなかで、子どもの愛護、婦 人の政治参加、もろもろの(注)差別の撤廃などの政策に取り組んできた。
けれども、何にでもなれるということは、あらかじめ何も決まっていないと いうこと、決定的なものはないということである。裏を返して言えば、何にで もなれるというのは、自分がしたいことが見えないかぎり、何にもなれないと いうことでもある。そのような意味で、自分がここにいることに理由が必要になった時代、自分が存在することの意味を自分で見いださなければならない時 代にわたしたちは生きている。ひとびとが自分が「やりたい」ことをみずから に問わざるをえないのも、そうした時代のなかにあるからである。
(注)もろもろの:いろいろな

1。 56.近代的な社会革命はどのような社会をめざしたか。

2。 57.自分が「やりたい」ことをみずからに問わざるをえないのは、なぜか。