私自身、実家が北海道、勤務先が関東、と離れているためもあってか、「遠距離介護
(注1)」 についての取材を受けることがたまにある。
たしかに、離れた実家に暮らす親が高齢になってくると、①
若いころには予想もできなかったような問題があれとれ出てくる。病気の治療をどうするかということから、買い物や掃除などの日々の生活のことまで。近くにいれば「じゃ、今日、帰りに寄るね」と言えるが、電球ひとつ取り換えるために飛行機に乗って駆けつけるわけにはいかない。
私など、「何もできなくてゴメンね」と言いながら、心のどこかには「やらずにすんでよかった」という思いもある。遠くにいるのを、介護や手伝いを避ける方便
(注2)にしているのだ。
ところが、診察室に来る人たちは、もっとまじめだ。「ちょっと具合が悪いのよ、なんて郷里
(注3)の母親から電話が来ると、ドキドキしちゃって……」と②
心身の不調を訴えてやって来る人もいる。中には、どんどんマイナス思考に陥って、「やっぱり都会で仕事をしよう、と思ったのは間違いでした。ずっと実家にいればよかった」などと言い出す人さえいる。
その親への愛情ややさしさはすばらしいと思うが、そこまで自分を責めるのは、やっぱり間違いなのではないだろうか。
そういう人には、「どうでしょう、今はご両親も弱気になっているかもしれませんが、かつては都会で自立しているあなたに喜んでいたのでは?」と昔のことを思い出してもらう。すると、最初は「いえ、近くにいてほしかった、と嘆くばかりです」と言っている人でも、次第に記憶がよみがえってくる。
「そういえば、近所の人に“ウチの子、東京でがんばってるのよ”と自慢した、と言っていたこともあったような。“お母さん、やめてよ、恥ずかしい”と止めたのですが」
そうそう、どの親にとっても子育ての目標は、「子どもに介護してもらうこと」ではなくて、「子どもを自立した人間に育てること」。遠距離介護に悩む人たちは、「親の願いをかなえて自立した子ども」でもあるのだ。きっと親は、地元を離れてがんばるわが子を誇りに思い、そんな子育てができた自分にも満足しているに違いない。
遠距離介護をしている自分を、責めたり恥じたりしていないで。自分は「子どもとして不合格」だなんて思わずに、自信を持って。その中で、できる範囲でケアしてあげれば、それで十分。
悩む人たちに、そう声をかけたい。
(香山リカ「香山リカのココロの万華鏡」2011年2 月8 日付け毎日】jp
http://mainichi.jp/life/health/kokoro/による)
(注1)介護:お年寄りの面倒を見ること
(注2)方便:言い訳
(注3)郷里 :生まれ育ったところ