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 散歩という言葉はぶらりぶらりのそぞろ歩きを連想させるが、それではカタルシスはおこりにくい。相当足早に歩く。はじめのうち頭はさっぱりしていないが、30分、50分と歩きつづけていると、霧がはれるように、頭をとりまいていたモヤモヤが消えていく。それにつれて、近い記憶がうすれて、遠くのことがよみがえってくる。さらに、それもどうでもよくなって、頭は空っぽのような状態になる。散歩の極地はこの空白の心理に達することにある。心は白紙状態(①タブララサ)、文字を消してある黒板のようになる。
 思考が始まるのはそれからである。自由な考えが生まれるには、じゃまがあってはいけない。まず、不要なものを頭の中から排除(注1)してかかる。散歩はそのためにもっとも適しているようだ。ぼんやりしているのも、ものを考えるにはなかなかよい状態ということになる。②勤勉(注2)な人にものを考えないタイプが多いのは偶然ではない。働きながら考えるのは困難である。歩くのは仕事ではない。だから、心をタブララサにする働きがある。時間を気にしながら目的地へ急ぐのでは、同じく足早に歩いても思考の準備にはならない。
 ものを考えるには、適当に怠ける必要がある。そのための時間がなくてはならない。

(外山滋比古『知的創造のヒント』講談社による〉


(注1)排除:いらないものを取り除く
(注2)勤勉:勉強や仕事に一生懸命取り組む様子

1。 (66)①「タブララサ」とはどのような状態か。

2。 (67)②「勤勉な人にものを考えないタイプが多い」のはなぜか。

3。 (68)筆者は、ものを考えるにはまずどのような状態にするのがよいと述べているか