スピーチをするとき「ぜったいにあがる
(注1)まい」と思うとよけいあがる。好きな人の前で、ふつうに振る舞おうとすればするほど、動作や言葉がぎこちなく
(注2)なる。そういうことがよくある。懸命に努力しているのに、かえって結果がわるくなるのはなぜだろうか。
それは自然に反するからである。たとえば人前でしゃべり慣れていない人は、あがって当然である、にもかかわらず「あがるまい」とする。自然の法則に逆らうから、かえって結果はわるくなる。これを「①
努力逆転の法則」という。
努力はただすれば報いられるものではなく、効果があるように工夫をしなければならない。ではどのように工夫するか。まず意志を捨てることである。「あがるまい」というのは意志だ。そのような意志をもってもあがるのは、意志とは別に「あがる自分」を想像しているからなのである。
( ② )。だからいくら強固な意志をもっても、心の奥底ではそれとは反対の自分を想像してしまう。そして想像のほうが勝ってしまうのである。
意志をもつことは簡単だ。「きょうからタバコをやめよう]と思うのは意志である。意志をもつにいたった理由もきわめて理にかなっている
(注3)。「タバコは健康によくない」「金銭的にもバカにならない」「他人を不愉快にする」「アメリカのエリートは吸わない」「やめれば女房も子供も喜ぶ」。これだけ立派な理由があって、確固たる意志を固めれば、やめられそうなものだ。
だが一服する
(注4)自分のリラックスした姿を想像したとき、もうタバコに手が出ているのである。いくら意志を強固にしても想像にはかなわない。他のことについても同じことがいえる。いくら努力しても結果の出ない人は、努力する意志があることはまちがいないが、想像でそれを台無し
(注5)にしているのだ。
人前であがらない最良の方法は「あがるまい」という意志を捨てることだ。あがって当然なのだから「きっとあがるだろう」でいいのである。ただし、そのあとでこう付け加える。「あがるけれども、きっとうまくいく」。これなら精神の緊張がほぐれるから、あがってしどろもどろ
(注6)ながらも、人から好感をもたれる自分が想像できる。
(川北義則「計転の人生法則日からウロコが落ちる87の視点」PHP文庫による)
(注1)あがる:頭に血が上って、普通の状態でいられなくなる
(注2)ぎこちない:不自然で、なめらかでない様子
(注3)きわめて理にかなう:非常にあたりまえである
(注4)一服する:タバコを吸って一休みする
(注5)台無し:全部だめにして役に立たなくなる
(注6)しどろもどろ:話し方にまとまりがなく、ばらばらな様子