アメリカ人が日本人をどう見ているか、(中略)意識調査をやってみたことがあります。
アメリカ西海岸の高校生たち、南部の主婦たち、シカゴあたりの労働者たちなど。つまり、アメリカの地域と階層や年齢を組み合わせて全米何カ所かで、日本人についてのVTRを見てもらいながら調査しました。日本人がいたら日本人の悪口は言わないだろう、ということで我々は表面に出ず、アメリカ人の心理学者たちなどのスタッフでやったのです。
で、日本人は物静かで、勤勉で、メイド・イン・ジャパンの品物はいい、というとても高い評価が出ます。ひと通りそれが終わったところで、「では、日本人を動物にたとえるとどんなイメージですか?」と聞く。日本人がよくたとえられるのは狐ですが、この調査ではそれは少なかった。ワニとかリスというのが出できた。「なぜその動物をイメージしたのですか?」と質問を重ねる。(中略)
なぜリスか。リスというのは自分が必要以上の餌を集めては、木の穴に溜め込む。日本人はとにかく( ① )。そういうイメージだと。ワニは静かで何も言わないけれど、あるときパッと襲ってきそうなイメージがあると。ポジティブ
(注1)に言えば勤勉、ネガティブ
(注2)に見れば働くだけで人生を楽しむことを知らない人たち。
つまり、大事なことは、良く言えばこうなんだけど悪く言えばこうなる、と全部裏表があり得るんだということ。②
これは日本人に限らずすべての評価について言えることだと思います。(中略)
私たちは誰でも、日本人についての自己イメージというものをもっています。自分のことはなかなか分からないのに、自分がこうだと思い込んでいる部分というのは、個人にはいっぱいあります。まして集団になると日本人はこうだ、とさらに強く思い込むところがあります。
しかし一番大事なことは、日本人がずっと変わらず、同じような傾向をもっているのかどうか。つまり、民族も人問も変わるんです。変わっているにもかかわらず、前のイメージに自分を固定させてしまっている恐れというのがあります。
(筑健世也若き友人たちへ}集英社新草による)
(注1)ポジティブ:ここでは、「良く」
(注2)ネガティブ:ここでは、「悪く」