(3)以下は、議論について書かれた文章である。
 意見とはある問題に対する解決である。しかし、それは単なる「感じ」や「心情」の表明ではない。根拠を伴って、その内容が客観的に正しいのだ、ということを相手に強制する構造をしている。たとえば「私はこう思う。なぜなら〜からだ。」と言うとき、「なぜなら〜からだ」の部分を聞いて、「なるほど」と思ったら、その前の「こう思う」の部分も承認しなければならない。それが、①議論というゲームのルールなのである。
 相手が自分の根拠を認めれば、相手に自分の意見を押しつけることができる。逆に自分が相手の根拠を認めれば、自分の意見を捨てて相手に従わねばならなくなる。つまり議論とは、支配と屈従(注1)という権力関係を暗黙のうちに含むシビアなゲームなのである。②議論に負けると、何だか梅しい感じになるのは、そういうことなのだ。
 しかし、これが「勝ち負け」に終わらないのは、双方が「真理の探求」という共通の目標を持っているからだ。議論してどちらが正しいかを決定するのは、勝ち負けを決めることが主なる目的ではない。よりよい解決を求めるためである。だから、議論に負けても、それは相手に負けたことにはならない。真理に負けた、いや従っているのである。悔しがるより、自分がより真理に近づいたと満足すべきなのだ。
 議論に参加する者は、まずこの「真理への献身」を共有しなければならない。根拠の承認を迫る形式に則って(注)発言することは、いわば、この暗黙の献身を表しているのである。
(注1)屈従:自分の意志に反して従うこと
(注2)則る:従う

1。 (56)①議論というゲームのルールとはどのようなルールか。

2。 (57)②議論に負けると、何だか梅しい感じになるとあるが、なぜか。

3。 (58)筆者の考えに合うのはどれか。