(1) 以下は、文芸作品の賞の選考について書かれた文章である。
 書いたものが売れれば、それでいちおう報われる。多くの読者の支持があったということだからである。贅沢を言うようだが、それだけでは、何だか心もとない(注)。売れるということには、様々さな意味合いがある。いい本だから売れるとは限らないし、売れたからいい本だとも言えない。
 そこに賞の意味がある。売れようが売れまいが、これはいい本ですよ。それがある程度保証される。お金とは違った価値観がそこに示される。
 私はいくつかの賞の選考に関係している。賞をいただくより、賞を選考する方が好きかもしれない。書く場合には、自分の力量が問われる。しかし、選考する場合には、自分の目が問われる。目が悪いと、何もかも同じに見える。違いがわからないのである。その意味では美術品、骨董品の評価と同じであろう。
 書く時には、ある専門分野について、力があればいい。でも選考する時には、それだけでは不足であろう。どのような分野であれ、よいものとは何か、それを見極める目が要求される。その代わりに、専門分野について、必ずしも詳しい必要はない。
(中略)
 選考する時の喜びは、複数の選考委員が同じ著作を本音で選んだ時である。自分もそれを支持している時には、自分が賞をもらったのと、似たような嬉しさがある。賞を受けた人の喜びが、まさに他人事ではなくなるのである。このあたりの心理が、なかなかおもしろい。
 選考する側も、常に自分の価値観を問われている。推薦した作品が受賞するのは、その価値観がいわば受賞することだともいえよう。
(注)心もとない:頼りない

1。 (50)本が売れることについて、筆者はどのように考えているか。

2。 (51)筆者によると、賞を選考する時に必要な力とはどのようなものか。

3。 (52)自分が當をもらったのと、似たような嬉しさがあるとあるが、なぜか。