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 日本の森の生態系は、生物多様性が高いといわれています。生物多様性が高いのは、多くの生物の生息(注1)域になかりうる多様な環境があるからです。では、なぜ、多様な環境があるかというと、人間が自然に長期的、継続的に介入してきたということが大きく関係しています。
 人間がいない状態で、自然が、自然の作用(注2)のなすがままに置かれていた時代の植生(注3)を「原植生」と呼んでいます。この時代、日本列島は現在の状態よりも生物の生息環
境として単純なものであったはずで、そこに生息する生物の多様性は現在よりも低かったので
はないかと私は考えています。
これまで、人間は、人間の都合で、自然を改変してきました。しかし最近になって、多くの人が都市に集中して住むようになり、食料も木材もれエネルギーも海外から輸送してくるようになって、これまでのように自然に長期的、継続的に介入する必要がなくなりました。人間の介入が止まった森は、自然の作用によって変化していきます。そのまま放っておけば、人間がいなかった時代の自然に戻るかというと、そう簡単ではありません
人間の介入は土壌の奥深くまで及んでいます。植生の回復に比べて、土壌の回復には長い時間がかかるので、まずは土壌が回復しない状態で、その上に植生が成立することになります。この状態を「潜在自然植生」といい、原植生とは区別されます。
(中路)
 現在の日本の生物多様性は、人間による自然への長期的、継続的な介入の結果としてもたらされたものです。その介入は、決して生物多様性のためではなく、人間が生きていくために燃料、木材その他を収奪する(注4)ためだったのです。もし現在の状態が生物多様性が高い状態だとすれば、それはあくまで副産物として得られたものなのです。今後、生物多様性の維持のために、自然に人間が介入し続けるべきだ、という主張があります。しかし問題は、そのための資金を誰が出すかです。とくに、公的な資金を投入するかどうかは、よく考えてからのほうがいいと思います。
 自然が、自然の作用によって変化していくのに逆らって、人間が作業をしようとすると膨大な手間と時間がかかります。その手間に見合う利益が、人間にもたらされるのか、また、放置して自然の作用に任せておくことが、人人間や生物にどのような損失をもたらすのか、正確に理解することが求められています。
(注|)生息生存
(注2)作用のなすがままに:ここでは、作用のままに
(注3)植生:ここでは、植物群の状態
(注4)収奪する:奪い取る

1。 (59) 人間がいない時代の日本の森の生態系について、筆者はどのように述べているか。

2。 (60) そう簡単ではありませんとあるが、なぜか。

3。 (61)現在の日本の生物多様性について、筆者はどのように述べているか。

4。 (62)人間の自然への関わりについて、筆者はどのように述べているか。