「ぼくは学生時代から数学の成績が良かったから、数学の才能はある方だと思もうのですが・・・・・」
 わたしは学生時代から数学がまったくダメで、全然才能がありません。これが息子に遺伝するのではないかと心配で・・・・・」
 こんな話をよく耳にする。多くの人ひとが、数学の才能があるかないかおいうことを、学生時代の数学のテストの点数で論じているのだ。しかし、小学校の算数から始まって、大学の学部程度までの数学を理解するのに、才能も何も関係ない。①それを理解する能力は、日常生活をきちんと送れる能力とあまり変わらない。そう私は思もっている。②「数学の才能」と呼ぶのにふさわしい能力の持もち主しとは、歴史に名前を残こしているような大数学者を言うのであって、百年に一人いるいないだというのが私の考えなのだ。
 では、「大学の学部程度までの数学を理解する能力」、すなわち「日常生活をきちんと送くれる能力」とは、どんな能力だろうか?
 だいたい次の四つのことができる能力と考えればいいだろう。それができれば、後あとは、努力次第である。その四つとは、「辞書を引くことができる」、「自分のカバンを自分のロッカーに入れられる」、「料理を作くれる」、「地図を描ける」である。なぜ、これらの能力があれば、大学の学部までの数学は理解できると言えるのか。
 例えば「英語の辞書が引ける」ということは、アルファベット26文字の順序関係を理解できるということだ。国語辞典なら、51もの数の小関係が理解できるということになる。「自分のロッカーが使つかえる」ということは、自分のカバンを自分番号のロッカーにしまえるということだから、すなわち「一対一」対応たいおうの考え方かたを理解できると言うことだ。「料理を作つくれる」ことは、ものを観察かんさつし、予測よそくする力ちからがあることを意味し、「地図を描ける」ことは、線や記号を使かって実際の空間を平面にする能力、すなわち、抽象化する能力を意味しているのだ。
 だから、これら四つの能力があるにもかかわらず数学ができないという人ひとは、数学を理解する能力がないということではなくて、単に努力をなぜ、なまけていただけだと思もうのだ。

1。 (69)①それは何を指しているか。

2。 (70)筆者の考える②「数学の才能」とは、どのようなものか。

3。 (71)筆者がこの文章で言いたいことはどんなことですか。