⽇本伝統のなかにはたしかに議論をする習慣がない。議論が下⼿です。だいたいみんな同じ意⾒になるのがいいと思い、意⾒の違う⼈は敵だとなりがちです。
 ⽇本の共同体の伝道にはいい⾯と悪い⾯がある。みんなが協⼒して同じ⽬的を追求するために、⾃分だけを主張しないのはいいことでしょう。他⽅では、どうしても意⾒の違う⼈が村⼋分(注1)にされる。意⾒の違うを受け⼊れることがなかなかできない。それがもっと極端(注2)になると、意⾒を表明すること⾃体がそもそもあまり望ましくないということになります。したがって、論争しない。論争すると敵・味⽅になる傾向が強い。これはわるい⾯です。
 ヨーロッパ会社では論争が多い。⽶国でも⽇本よりは多い。それはあらゆるところにあらわれています。たとえば英国の放送局BBCが、政治問題に限らず、どういう問題でも座談会(注3)みたいなことをするときには、みんな異なる意⾒をもってかなり激しい論争をします。論争というのは相⼿を怒鳴りつけることではなくて、⾃分の議論を展開して、これこれしかじかの理由でこう考えるという主張をすることです。反対側の⼈もそう⾔って、お互いに根拠を挙げて意⾒を戦わせる。⽇本のTVの座談会では、だいたいみんな同じことを⾔うか、怒鳴りあうかどちらかになる。
(注1)村⼋分︓仲間に⼊れないこと
(注2)極端︓普通の程度から⼤きくはずれていること、偏ること
(注3)座談会︓座って話し合いをする集まり

1。 (1)筆者は、「論争」とはどのようなものだと説明しているか。

2。 (2)筆者は、⽇本の共同体の伝統にはどんな⽋点があると⾔っているか。