"インターネットの普及には目覚ましい(41)。
かつて作家、ジャーナリスト、有名人などにしか許されなかった「自分の意見を世界に発信する」ことが、だれにでもいつでも可能になった。しかし、そこには匿名で(42)、無責任で悪意に満ちた言葉がひとり歩きする危険性がある。
一方、話している人が特定できる場合では情報を話す人のステイタスや状況いかんで、先入観を持って(43)。「有名な学者だから、きっと正しいだろう」とか、「女だから、非論理的だ」とか...。話すほうも、立場によっては遠慮が生まれる。「上司の言うことは間違っているけど、黙っていよう」とか、「反対したら、女らしくないと思われるかも」と、口をつぐむこともあるだろう。
こんな話がある。あるホームページ上で、議論が起こった。その中で、ある人物Aが興奮して攻撃的な文章を書き込み、タイするもう1人Bが冷静かつ知的に、しかもユーモアたっぷりに答えた。だれが見てもBんも圧勝であった。
その後、仲良くなった読者たちが実際に会う、いわゆるオフ会が開催された。
実際に顔をあわせると、Aは地位のある初老の男性で、Bは何と小学生の少年であった。
もし最初から顔が見えていたら、みんなはB少年の言うことに耳を傾けただろうか。
「口が立つ(44)、しょせん子供だ」と無視したかもしれない。顔が見えないからこそ、先入観なしにお互いの意見を聞き、「Bの意見が正しい’と判断し得たのだ。
ネットの世界は(45-a)言ったか」ではなく、(45-b)言ったか」で評価される世界と言えよう。"