私もかつて一個の子供であったが、親との「対話」など別にのぞまなかったように思う。もし親の方が「対話」をしかけてきたら、照れくさいような、歯
(注1)の浮くような気持がしただろう。尐なくとも、中学生のあたりからは、そうであった。私は特別反抗的な子供ではなかったが、親と「対話」などしたって、本当の話はできない、とごく自然に承知していたように思う。
といって、親とのつながりを、まったくのぞんでいなかったわけではない。しかし、それは[対話]などという正面
(注2)きったものではなく、言葉としてはほとんど意味をなさないような交流があれば、充分だった。つまり、家の中で顔を合わせて、黙って顔をそむけられては、どこかで寂しいような見捨てられたような気持がしたが、「お」「やってるか」ぐらいのやりとりがあれば、①
気持は安定していたのである。
それ以上親が気をつかって「このごろ音楽はどんなもんがはやっているんだ?」などと聞いてきたら、無理してるなあ、と思うし、そんな必要ないのになあ、と思うし、答えるのがすごく億劫だったろう、と思う。
親とは通じない部分を、どんどん持つことによって、子供は自分の世界をつくっていくのである。不分明
(注3)なところが多いから、といって親が不安におちいることはない、と思う。
「なにを考えているか、なにをしているか分らない」部分が増えていくことで、子供は成長しているのだ。そこへ、いちいち親が首をつっこみ「一緒に悩み、一緒に考えよう」などとすることは、子供にとっては、ひどくわずらわしいことだし、親が加わることで当面の局面はいい方向へ転換するとしても、②
長い目で見れば、あまりいい影響を残さない、というように思う。
(中略)
では、どうしたらいいか、というと、原則的には親は子供の内面については、ほうっておくしかないのだ。理解しようとしたり、いわん
(注4)や共感しようとしたり一緒に悩もうとしたりしてもむだなのだと思う。
子供との距離が、刻々ひらいていくことに堪えるしかないのだ。そして、その距離をリゕルにとらえている親は、子供にとって魅力的だと思う。
そうした親は、子供を理解しようとしたり、一緒に悩もうとしたりしない。そういうことができないことの悲しさ、寂しさ、情けなさを胸におさめて、子供と対する。いわば「他人」として対する。「親切な他人」として対する。そして、その節度を保てるということが、子供への愛情になっている。というような親でありたい。と尐なくとも私は思っている。
(山田太一『誰かへの手紙のように』による)
(注1) 歯の浮くような:ここでは、なんとなく落ち着かない
(注2) 正面きったもの:ここでは、きちんとしたもの
(注3) 不分明な:はっきりしない
(注4) いわんや:まして