漢字読み

1。 冬本番となり、東京上空にも粉雪が舞った

2。 娘を事故で失った春しみを、酒で紛らすことはできなかった。

3。 博物館に絹で織った見事な民族衣装が飾ってあった。

4。 あの政治家の土地購入資金には、明朗さを欠くところがある。

5。 昨晩の強風で樹齢(じゅれい)1000年のイチョウのが折れてしまった。

6。 インフルエンザにかかってしまい、悪寒が止まらない。

文脈規定

7。 中央自動車道(ちょうおうじどうしゃどう)を東京方面から走ると、(  )方向左手に富士山が見えて来る。

8。 無敗のチャンピオンだけあって、試合前にも(  )としていた。

9。 彼は普段はおとなしいが、酒を飲むと(  )を現し、攻撃的になる。

10。 苦学している留学生たちの将来に(  )多かれと祈る。

11。 大学生の彼女は親元を離れ、(  )しているらしい。

12。 優勝チームと準優勝チームとの実力差は(  )一重だった。

13。 小学校に入学する娘のために学用(  )を揃えたら、結構お金がかかった。

言い換え類義

14。 過去の失敗はとして、ずるずる思い悩むことはない。

15。 歌舞伎(かぶき)役者の粋な仕事ぶりを見学させてもらった。

16。 湯川秀樹(ゆかわひでき)博士は、亡くなるその日まで飯対の姿勢を貫いた

17。 あの高層ビルは、公園が多いこの町の風景に溶け込まない感じがする。

18。 あの餃子(ぎょうざ)店は全国に50店舗以上系列店がある。

19。 あの新作映画はフランスの名画にストーリーが類似している

実践練習

20。 せいぜい

21。 地元

22。 フィクション

23。 担う

24。 大層

25。 しゃれ

文法形式の判断

26。 国会議事堂こっかいぎじどうの中央塔は65メートル(  )高さだ。


27。 今日の社会状況がデフレスパイラルに陥っている(  )驚きだ。


28。 戦後の産業構造の転換(  )、日本は世界1位の水産物輸入国になっている。


29。 幕末ばくまつ戊辰ぼしん戦争は京都きょうと(  )、北海道ほっかいどうまで戦場となった。


30。 尊敬し(  )作家の新作だが、売り上げが伸びていないそうだ。


31。 新しい演劇空間を創造するには、古典の壁を越える(  )。


32。 昔から愛好家は多いが、それにしてもフェルメールの人気(  )。


33。 (ダイレクトメールを見ながら)
A「これ、なんて書いてあるの?」
B「(  )、つまり、いつもひいきにしてもらって、という意味だよ。」


34。 黒澤(くろさわ)映画の影響はハリウッド(  )ほど、世界で認められている。


35。 (新聞を見ながら)
A「あの都市、またオリンピックの開催地に立候補するんだってよ。」
B「本当?こりないのは、あの都市(  )。」


文の組み立て

36。 140字以内でネット上に _ _  _ 利用している。


37。 月面の小さいクレータは _ _  _ いる。


38。 アフリカの人口増加は _ _  _ 一因となっている。


39。 最近の機械 _ _  _ ができる。


40。 ナノテクノロジーによって _ _  _ なっている。


文章の文法
 65年前のきのう、東京の下町したまちは米軍の爆撃で焦土になった。
 10万人が亡くなった東京大空襲とうきょうだいくうしゅうだ。
 夜を選び、日標の周囲に火の手を上げさせ、逃げ場をふさぎ、その中に30万発の焼夷しょうい弾をたたき込んだ。火災による上昇気流で、重さ60トンのB29爆撃機が飛行中、600メートルも吹き上げられたという。犠牲になったのは女性や子どもたち( 41 )普通の都民だった。
 これを機に米軍は日本本土の軍事目標への爆撃から都市を丸ごと破壊する戦略爆撃に転換する。2日後に名古屋なごや、その翌日は大阪おおさか、4日後に罪芦。犠牲者は30万人に上ったという。
 20世紀になって戦争による民間人の死者が格段に増えた。ひとつの理由は、戦略爆撃が繰り返されたことだ。( 42‐a )爆撃は米軍が編み出した( 42‐b )ではない。1937年、ドイツ軍の空襲で1600人が殺されたスペイン内戦下のゲルニカが有名だが、さらに大規模な都市空爆は、日中戦争中の日本軍による重慶じゅうけい爆撃だった。38年から5年間で1万人以上が犠牲になった。
 空からの都市攻撃で敵国の戦意をくじこうとする作戦はその後、第2次大戦で多用され、ロンドンやドイツのドレスデンでも大変な犠牲者を出した。そして終戦直前、広島ひろしま長崎ながさきに原爆が投下され、言葉で( 43 )ほどの惨状を被爆地にもたらした。
 重慶は国民党政権の臨時首都だった。爆撃のすさまじさはエドガー・スノーら米国の記者によって世界に伝えられたが、戦後の中国では被害者が声を上げにくく、彼らの体験が直接伝わるようになったのは近年のことだ。
 東京と重慶の被害者はそれぞれ日本政府を相手に集団訴訟を起こしている。重慶は爆撃した日本の責任を問い、東京は米国に対する補償の請求権放棄を問題にしている。東京の被害者も重慶にとっては加害国の一員だが、立場の違いを超えて連帯し、それぞれの被害の実態についてまともな調査すら行われていない現状を訴える。
 東京地裁とうきょうちさいは昨年末、東京大空襲訴訟での損害賠償請求を棄却したが、立法による解決を求めた。実態調査について「戦争被害を記憶にとどめ、語り継いでいくためにも、( 44 )配慮することは国家の道義的義務」とした判決は重く響く。
 近年、精密誘導兵器の進歩で街中の標的をピンポイント攻撃することも軍事技術的には可能になった。とはいえ、おびただしい数の核兵器が今なお世界中に存在し、( 45 )それが拡散する危険が強まっている。戦略爆撃を生んだグロテスクな思想は依然として過去のものになってはいない。
 65年前、東京で何が起きたか。誰がどう犠牲になったのか。今日の戦争と平和の問題を考えることにつながる。

(「朝日新聞」2010年3月11日付)

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