数年前、家を引っ越した。50年住み慣れた小さな家だったが、いざ引っ越しとなると、使っていない道具がごろごろ出てきて、あらためてものの多さにびっくりした。道具にしろ、本にしろずいぶん多量に所有していて、これを使いこなし
(注1)、読みつくす
(注2)には多量の時間がかかる。あと何年生きられるだろうと人生を逆算してみて、①
この物量はムダだなと引っ越しのトラックの助手席で考えた。
私は世間の人よりはものの所有欲が強いとは思っていない。むしろものをもたないほうと思っているが、それでもものが多過ぎるのである。
昔、「預かりものの思想」と言った人がいる。人はぽつんと生まれて、ぷつんと消えていく。家や土地、道具にしても、いくら自分の所有だと力んでみても、死んでしまえばもっていけない。いずれは世の中に返していかなければならない。このわずかな人生の時間の中で、②
それを楽しむしかないのだ。空気や水と同じように、土地も家も道具も、あらゆる諸物は世の中から預かって、生きている間だけ借りているのだ、という考えだった。
たしかに、私たちはものへの所有欲が強い。車をもつ、家をもつ、高級ブランド品をもつ、携帯電話をもつ、コンピューターをもつ、所有することで満足感を得ている。しかし、所有欲をふくらませるには、どこかで限界があるだろう。「預かりものの思想」は、そういう物欲にかられる
(注3)私たちに冷水をかける思想だった。
(野外活動研究会『目からウロコの日常物観察ーー無用物から転用物まで』による)
(注1)使いこなし:ここでは、すべて使う
(注2)読みつくす:すべて読む
(注3)物欲にかられる:物欲を抑えられなくなる