日本のことわざに「ぬす人にも三分の理」というのがある。この場合、「三分」は十分の3、「理」は物事の理由を表す。つまり「たとえ泥棒であっても30%くらいは納得のできる理由がる(だから、どんなことにも無理に理由をつけることはできる)という意味だ。
ところが①近ごろの犯罪はどうだろう。
何の不自由もなさそうな普通の少年少女が、特に欲しくもないものを万引きしたり、ただ退屈からという理由で物を壊したりする。「なぜそういうことをした」と聞いても、彼らは「別に」「なんとなく」などと答えることが多い。先日のコンビニ強盗した高校生も、ただスリルを楽ためにやったということだ。また、最近は「騒ぐと殺す」というような言葉もなく、いきなり暴あるいは殺害し、金などを奪う犯罪も多い。これなどは被害者をまったく人間扱いせず、効率のを考えたやり方である。
「理」などというものは、どこを探しても「三分」どころか、まったくみつからないのである。