遠くから自分の社会を見る、という経験のいちばん直接的な形は、異国(注1) で日本のニュースを見る、という機会です。ある朝、小さい雑貨店の前の石段に腰を下ろして「午前」のバスを待っていると、新聞売りの男の子がきて「日本のことが出ているよ!」という。日本のアゲオという埼玉県の駅で、電車が一時間くらい遅れたために乗客が暴動を起こして、駅長室の窓がたたき割られた、という報道だった。世界の中にはずいぶん気狂(注2)いじみた国々がある、という感じの扱いだった。ぼくは①その中にいた人間だから、朝の通勤時間の五分一◯分の電車のおくれが、ビジネスマンにとってどんなに大変なことか、よくわかる。分刻みに追われる時間に生活がかけられているという、ぼくにとってはあたりまえであった世界が、《遠くの狂気 》のようにふしぎな奇怪(注3)なものとして、今ここでは語られている。
 近代社会の基本の構造は、ビジネスです。businessとはbusyness、「忙しさ」ということです。「忙しさ」の無限連鎖(注4)のシステムとしての「近代」のうわさ。②遠い鏡に映された狂気。ぼくはその中に帰って行くのだ。

(見田宗介『社会学入門』岩波書店)


(注1)異国:外国
(注2)狂気:精神状態が正常でないこと
(注3)奇怪:常識では考えられないほど変わっていて不気味なこと
(注4)連鎖:つながっていること

1。 (1)①その中とはどこか。

2。 (2)②遠い鏡とは何を指しているか。

3。 (3)この文章で筆者が最も言いたいことは何か。