2009年は新聞が存続の危機に立った年として歴史に残るだろう。日本で毎日新聞・産経新聞が経営悪化となり、さらに世界で2番目に大きい朝日新聞社が中間決算でばくだいな赤字を発表した。原因は若者を中心とした新聞離れが進んだことと、それにより広告収入が減ったためだ。これは全ての新聞社に当てはまる。
世界的にも情報源を得る手段としての新聞の地位は低くなっている。2005年の統計によると日本では情報を得る手段として新聞が89%、インターネットが44%だったが、韓国では当時既に新聞75.4%、インターネット65%とかなりインターネットが新聞に迫ってきていた。更にアメリカでは新聞とインターネットがそれぞれ約65.2%と65.3%で、インターネットが少し上回っていた。現在では更にインターネットの利用が増えて、それに伴い新聞が減ってきている。
アメリカでは有名新聞社までが次々につぶれた。日本より広告収入に頼る率が高いからだ。(注1)ピューリッツァー賞を何度も受賞した優良新聞社もなくなった。リストラも進んでいる。ニューヨーク・タイムズ紙は不況に伴う広告収入減少により大幅な人員削減と賃金カットを実施した。その結果1992年に6万人いた記者が、今では約4万人にまで減っているそうだ。
この危機を乗り越えるために新聞社はインターネット上のニュースを有料にする方針を次々に発表している。また職を失った新聞記者達がNPOを作ってニュースを(注2)配信するという「新ジャーナリズム」と呼ばれる動きも出てきた。ニュースを売って収入を得るほか、不足分は寄付に頼っている。アメリカはボランティアや寄付が盛んな国だ。NPOもそうした人々に支えられている。
現在インターネット上に溢れているニュースも、元は新聞記者や放送記者達が時間をかけて取材したものがほとんどだ。だから新聞が衰えれば私たちは社会のことを知る方法がなくなってしまうだろう。私たちが現在読んだり聞いたりしているニュースもその報道機関が直接取材した物ばかりではない。足りないニュースは他の報道機関から買っている。少数のニュース源しかなければ真実を知るのが難しくなる。これは恐ろしいことだ。ニュースを得るために誰がお金を払うのか。ニュースの受け取り手か、広告主かそれともアメリカのように寄付か。何にせよこのまま新聞が衰退すれば報道の危機は新聞だけに留まらない。今こそ社会の指標である新聞を支えるシステムを創らなければならない時期なのではないだろうか。
(注1)ピューリッツァー賞:アメリカで最も権威がある優れた報道などに対して与えられる賞