「⼀度」とか「⼀⼈」という⾔葉は数を⽰すものであり、それ⾃体には良いも悪いもない。
 しかし昨今、それらの⾔葉がとりわけ騒々しく⽿を打ち⽬にとまる(注1)のは、「百年に⼀度」とか「千⼈に⼀⼈」といった⾔い回しが多⽤されているためである。
 つまりこの「⼀度」や「⼀⼈」における「⼀」は、百年とか千⼈といった遥かに(注2)⼤きな数に対応する「⼀」であり、確率を表す数字ということになるのだろう。
 たとえば百年に⼀度の⼤災害に⾒舞われる(注3)とか、千⼈に⼀⼈の割合で発⽣する事故の犠牲者(注4)になるとかいったような形でこの数字は使われる。そして多くの場合、ここの数量表現は、だから実際には⼈は滅多にそんな困った事態にぶつかるものではありませんよ、と①⼈々を安⼼させる働きを担っているような気がしてならない。
 別の⾒⽅をすれば、本⼈がその確率を承知して暮らしている以上、もし天災に出会っても、天から降って来る⼯衛星のかけら(注5)に当たっても、医療⾯でのトラブルに巻き込まれても、誰も責任を問われることはなくなるのかもしれない。
 確率を⽰す数字が全く必要ないほどとは思わない。少なくともそれは、ごく⼤雑把な⾒当をつける(注6)上では役に⽴つことも多いだろう。
 ただ②忘れてはならぬのは、もし何かが起こった際には、その当事者は分⺟(注7)の数字に関係なく、分⼦(注8)の「⼀」である点だ。その時には⾃分にとって分⺟と分⼦は同じ数となる。つまり、⼀分の⼀になってしまう。
 だから「⼀度」や「⼀⼈」を気軽に扱って欲しくない。分⺟は数字でも分⼦は数字ではないのだから。

(⿊井千次「⼤きな分⺟」『ベスト・エッセイ2012』光村図書による)


(注1)⽿を打ち⽬にとまる︓聞いたり⾒たりして気にかかる
(注2)遥かに︓ずっと
(注3)⼤災害に⾒舞われる︓台⾵、地震、事故など、とても⼤変なことにあう
(注4)犠牲者︓被害にあった⼈
(注5)⼈⼯衛星のかけら︓主に地球の周りを回っている⼈⼯物がこわれて⼩さくなったもの
(注6)⼤雑把な⾒当をつける︓だいたいこのぐらいだろうと予想する
(注7)分⺟︓b/aのa
(注8)分⼦︓b/aのb

1。 (66)「百年に⼀度」や「千⼈に⼀⼈」という⾔い⽅は、なぜ①⼈々を安⼼させるのか

2。 (67)②忘れてはならぬとは、だれが「忘れてはならぬ」のか

3。 (68)筆者が主張したいことは何か