⽇本語では「する」という⾔い⽅よりも「なる」という⾔い⽅のほうが好んで使われる。「する」を使うと①話し⼿の意思があることが伝わり、「なる」を使うと話し⼿の意思ではなく⾃然に起きた、そのような状態にあるということが伝わる。
例えば、禁煙のレストランで⼀⼈の客がタバコを吸っている場⾯で、店側は何と⾔ってタバコをやめてもらうだろうか。このレストランを禁煙と決めたのは店の⼈だ。店の⼈の意思でそのレストランを禁煙にしたはずだ。それならば、「ここは禁煙にしております。」と⾔うのが⾃然に思える。しかし、この「〜にする」は②上に書いたとおり、話し⼿の意思が強く伝わる。この場⾯では、相⼿の「たばこを吸う」という⾏動に対⽴する(注1)意思が強く表現されてしまう。その結果、相⼿を怒らせてしまうかもしれない。⼀⽅、「ここは禁煙になっております。」と⾔うと⾃分の意思とは関係なく、単にレストランの決まりを伝えているという形になり、相⼿と対⽴するような形にはならずに⾔いたいことを伝えられる。
このように⽇本⼈は「なる」をうまく使うことで⼈と対⽴しないようにしているのだ。「する」と「なる」は⽂字で⾒るとたった⼀⽂字の⼩さい違いだが、コミュニケーションの上にでは⼤きな違いなのである。
(注1)対⽴する︓2つのものが反対の⽴場に⽴つ。