(3)
 いま私たちの多くは、社会など動かしようがないと考えているのではないでしようか。そして、それを所与(注1)の 条件として、どのように行動すればいいかの判断基準を決めているのです。
 言い換えれば私たちは、「この社会は動かしようがないのだから、それを現実として受け入れるしかない」と思い込み、その範囲内で実行可能な行為しか考慮しなくなってしまうのです。
 ここに①大きな誤りがあります。
 たしかにこの社会は動かし難い。それは事実です。しかし、そのことと、この社会がいかにあるべきかは、まったく別のことです。にもかかわらず、目の前の現実に依拠(注2)して、私たちの行為の正しさやよさが決められてしまう。
これでは、現実に不正義が行われていても、それを問うことはできません。なぜなら、そのような現実を前提にして、正しい行為とは何かのルール設定がなされてい るからです。
 目の前の現実が正義にかなっていない場合、そこでの行為の正しさやよさを問うことはできないと私は考えていますが、ともすると(注3)私たちは、その現実の範囲内での「適切な」行為を「正しい」行為であると考えてしまいがちです。
 たしかに、②その現実が動かしがたく、そのなかで生きていかねばならないとすれば、そこにおいて最 も適切な行為とは何かを探究することには意味がありますし、その探究によって最も適切とされる行為を選択すべきでしょう。しかしながら、その現実のほうに問題があるとすれば、そこで最も適切とされた行為は「適切」であるにしても、「正しい」行為ではないはずです。
(注1)所与の:与えられた
(注2)に依拠する: ~に基づく
(注3) ともすると : ここでは、つい

1。 (56) ①大きな誤りとは何か。

2。 (57) ②その現実とあるが、どのようなものか。

3。 (58) 行為の適切さと正しさについて、筆者はどのように考えているか。