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 一日に八時間眠るのが人間社会の決まりごとであるかのように言う人がいる。それには何か特別な根拠があるのか。
もともと睡眠は、適応のための技術である。さまざまな身体内部および外部の環境条件に合わせて、脳をうまく休息させ、よりよく活動させるための柔軟な生存戦略である。多少の無理や融通が利かないはずはない。
しかも、眠ることは筋肉を緩ませる、意識レベルを下げる、栄養補給を断つなどの危険を伴う命懸けの行為だ。それだけに、睡眠中の安全が確保できる条件を整えてからでないと、眠るわけにいかないというのが生き物の鉄則だ。また、優先してなすべきことがほかにあるから、睡眠は、すなおに順位をそちらに譲るのが通例だ。
そうなると、安心して睡眠に割り当てられる時間は、かなりかぎられたものになってしまう。一日のうちのかぎられた条件と時間のもとでうまく眠り、うまく目覚めるために、高等動物は進化の過程でさまざまな方式を開発してきた。だから、睡眠は本来多様性に富むものだ。
人間の睡眠も、生物学的にはまったく同様の適応力を備えている。しかし、人間は文明の発達とともに、睡眠を人為的な規則で拘束した。社会活動や季節変化などをもとにして、睡眠の持つ多様性を一定の枠の中に押し込めてしまったのだ。こうして、世の中では、大人は一日に八時間まとめて寝るのが基準であるかのように考える傾向が定着した。ここから、睡眠時間の負債を気にするという不幸が発生したのだ。一日に八時間くらい寝床の中で過ごす人が大半を占めるにせよ、この数値に生物学的な根拠はない。

(井上昌次郎『睡眠の技術――今日からぐっすり眠れる本』による)

1。 (56)生き物にとっての睡眠について、筆者はどのように述べているか。

2。 (57)睡眠を人為的な規則で拘束したとあるが、どういうことか。

3。 (58)この文章で筆者が最も言いたいことは何か。