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 よく知っている人を相手に自己を語るのは簡単だが、お互いによく知らない相手に自己を語るというのは非常に難しい。
よく知っている相手との間に共通の文脈ができあがっているので、その文脈にふさわしい自分を提示していけばよいから、ほぼ自動化した形で自己を語ることができる。たとえば、相手がこちらのことを勇ましい豪傑(注1)とみなしているなら、自分の中の武勇伝(注2)的なエピソードを中心に語ることになるだろうし、相手がこちらのことを温厚な紳士とみなしているなら、自分の中のおだやかな部分を中心に語ることになるだろう。相手との文脈によって語り分けるからといって、けっしてだましているわけではない。どちらも嘘ではないのだ。
困るのは、よく知らない人が相手である場合だ。共通の文脈ができあがっていないため、どのような自分を語り出していけばよりのかがわからない。逆に言えば、共通の文脈による制約がないぶん、どんな自分でも自由に演出し、語り出していくことができる。だからこそ、迷い、悩んでしまうのだ。
こうした事情からわかるのは、僕たちは自分のことをいろんなふうに語ることができるということだ。
(中略)
自分の姿がおぼろげ(注3)にしか見えないうちから、まずは語ることを始めなけれならない。
語ることによって、自分の姿が語りの方向につくられていく。

(榎木博明『(ほんとうの自分)のつくり方----自己物語の心理学』による)


(注1)豪傑:勇気のある、強い人
(注2)武勇伝的な:ここでは、勇ましい
(注3)おぼろげに:ぼんやりと

1。 (50)嘘ではないとあるが、何が嘘ではないのか。

2。 (51)よく知らない相手に自分を語るのは、なぜ難しいのか。

3。 (52)筆者の考えを最もよく表しているものはどれか。