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多くの大人は子供よりも先に生きているから自分の方が人生を知っていると思っている。しかしこれはウソである。彼らが知っているのは「生活」であって決して「人生」ではない。生活の仕方いかに生活するかを知っているのを人生を知っていることだと思っている。そして生活を教えることが人生を教えることだと間違えているのである。しかし「生活」と「人生」とはどちらも「ライフ」だがこの両者は大違いである。「何のために」生活するのと問われたらどう答えるだろう。
こういう基本的なところで大間違いをしているから小中学校で仕事体験をさせようといった愚
(注1)にもつかない教育になる。(中略)生活の必要のない年齢には生活に必要のないことを学ぶ必要があるのだ。それはこの年齢このわずかな期間にのみ許されたきわめて貴重な時間なのだ。生活に必要のないことは人生に必要なことだ。すなわち人生とは何かを考えるための時間があるのはこの年代の特権なのである。
「人生とは何か」とはそこにおいて生活が可能となるところの生存そのものこれを問う問いである。「生きている」すなわち「存在する」とはどういうことなのか。
この問いの不思議に気がつけばどの教科もそれを純粋に知ることの面白さがわかるはずだ。国語においては言葉算数においては数と図形理科においては物質と生命社会においては人倫
(注2)どれもこの存在と宇宙の不思議を知ろうとするものだと知るはずだ。人間精神の普遍的な営みとして自分と無縁なものはひとつもない。どれも自分の人生の役に立つ学びだと知るはずなのだ。
(池田晶子『人間自身――考えることに終わりなく』による)
(注1)愚にもつかない:ここではばかばかしい
(注2)人倫:人として守るべき道