(3)
ファースト•フードが世界中にひろがったのは、文化や人間の集合状態に変化 が起こっていたからである。家族はこれまでほど安定したものではなくなったし、私的な生活、労働や遊びのパターンも個人的かつ多様になっていたのである。人間の接触が煩わしいものに感じる傾向も増大した。食事がもつ楽しみは感覚と社交の至上の快楽ではなくなった。それは他の行為のあいまに挿入されるものとなることが多かったし、それと平行して人間は食事を簡便に済ませることを望んだことも考慮すべきであろう。
(中略)
もちろん都市の食文化にとってファースト•フードが占める位置は、コンビニが買い物行動にたいして占める位置と同様、全面的ではない。しかし多種多様なレストランがいたるところに叢生(そうせい) (注1)してくるなかに、ひとつの均質化する力として割り込み、かつローカルな都市を世界的な規模にまでひろがった同一の網目に組み込むことは、無視できない力の
兆候的現象なのである。
おそらくこうしたファースト•フードの経験は、意識されていることがら以上に、ほとんど意識されない感覚的な影響の方が大きいだろう。かつての食の内容からみると、貧困としかいいようのないメニューに慣れること、あえて社会的関係を破壊しようとしないでも、人びとはファースト•フードの利用によって、いつのまにか都市の遊民(注2)になっていくこと、そしてこの食形式の共有によってわれわれは奇妙なかたちで、われわれ自身をいつのまにか世界化していること、などである。
(多木浩二『都市の政治学』による)
(注1)叢生(そうせい) する:ここでは、多くできる
(注2)遊民:ここでは、社会的関係をもたない人