(3)
わが国の文章の書き手として、想像. 想像するという言語をもっともよく使ったのは、おそらく柳田国男であろう。民衆に伝えられる生活の慣習、用具などに残る手がかりをつうじて、なつかしい古層
(注1)へとたどる民俗学の、わが国での開拓者として、柳田にはこの言葉がきわめてたいせつなものであった。
柳田は、それと空想、空想するという言語とを区別しようとした。その文章の執筆の時期や、あつかう対象、また語りかける相手のちがいにつれて、柳田の行った空想.空想すると、想像.想像するの区別には、いかにもはっきりしている際と、そうでない場合がある。しかし後の場合も、空想。空想することをしだいに正確にしてゆけば、想像.想像するにいたるという、段階的なつながりにおいてーあい接し
(注2)、境界がぼやけていることはあるにしても、その上辺と下辺では、ちがいがはっきりしている、という仕方で一使われている。
具体的な根拠のない、あるいはあってもあいまいなものにたって行なう古層への心の動きを、空想 '空想するとし、よりはっきりした根拠にたつ、しっかりした心の動きを、想像-想像するとして、柳田は使いわけているのである。そこで時には、ややとか、あきもかにとかいう限定辞をかぶせねばならぬのではあるが、空想。空想するには、人間の心の働きとして、マイナス“消極的評価のしるしがついており、想像、想像するは、プラス 積極的評価のしるしがついている。
(大江健三郎『新しい文学のために』による)
(注1) 古層:ここでは、古い時代
(注2)あい接し: お互いに接し