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以下は, 市民向け講座の講師を務めた大学教員の話である。
正直なことをいうと、成人した人々の集まりであるNHK 文化センターで, 美術史の話をするのは, 最初はかなり疑わしい気分だった。というのは、多かれ尐なかれ社会に出たり、家庭を持ったりした経験があって、それなりの見識なり専門なりを持ている人々が、いまさら“役にも立たぬ”過去の芸術に、それほど深い興味を持つだるうなどとは思えなかったからである。また、仮に持ったとしても、それは、自分の好みに合った美術品を, 楽しんで眺める、といった種類のものかと思っていた。ところが、それが①
大変な間違いだということがわかった。
ひたひたと押し寄せてくる、にせものでない, 深い興味が近頃の大学生にこそ見つけることのできないものであった。はたちになるやならずの若者たちは, 多くの場合, 単位をとるためにそこにいるのであって、どこまで心からきょうみを抱いてそこにいるのか全く疑わしい。(中略)②
市民講座の熱心さは、かつて, 喜びもなく学生時代を過ごしてしまった人々の、いわばノスタルシー
(注)の場合なのであるうか。失われて初めて、その喜びを知ったというわけなのか. 私はそう思うようになった。
ところが、それもまた、間違いだということがわかった。1年と数カ月講座を続けた今は、あることがわかったのである。つまり、芸術は、子供には“わからない”ということである。芸術とは, 人生の経験であり、憧れであり、また失望と悲哀である。一片の絵にも, 人生が詰まっている。人生を生きていないものに、絵がわかるわけがない。もちろん、若者でも、ある程度はわかる。しかし、本当に深くわかるのは、すでに生きた人々である。
(みどり「レット・イット・ビー」による)
(注)ノスタルジー:過ぎた日々を懐かしがること