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 すでに地図の空白がなくなった現在、地理的な冒険や探検といった行為は、時間が経つにつれてどんどん不可能になってきている。ジャーナリストの本多勝一氏は、冒険の条件として「命の危険性」と「行為の主体性」の二つをあげているが、①近代の冒険は、その後者が重要なのだ。それはつまり自己表現の問題とも密接に関かかてくる。ここでいう表現とは、地図上に誰もたどったことがない軌跡を描くという意味である。これまでの人類の歩みを俯瞰(注1)して、その隙間を見つけ、自分なりの方法で空白を埋めていく行為と言い換えることもできる。わかりやすいところでは、登山におけるバリエーション・ルートや、8000 メートル峰(注2)を無酸素で登ることや、厳冬期にどこそこを横断するとか、はじめて大陸の最高峰に全部登るとか、そういうことだ。末踏(注3)の地がなければ、点と点を結んで誰もおこなっていないことをすればいい。そうした点と点を結ぶのが厳しい土地、アクセスの難しい場所、思いもよらないルートを形成するなら、なおさらその注目度は増していく。冒険の世界には、海でも山でも空でも、そういう志向が必ずどこかに存在している。白紙のキャンバス(注4)に絵を描くためには表現力が必要なように、②地理的な空白がなくなった時代を生きる現代の冒険家たちは、そこに特別な自分なりの題材を見つけなくてはいけない。だからこそ③冒険者はアーティストでもあるといえる。

(石川直樹『最高の冒険家』による)


(注1):俯瞰(ふかん)する:全体を眺める
(注2):8000 メートル峰(ほう):8000 メートル級の山
(注3):末踏:まだ誰も足を踏み入れたことがないこと
(注4):キャンバス:絵を描くための布地

1。 (50)筆者は①近代の冒険は、その後者が重要なのだと述べているが、それはどのような意味か。

2。 (51)②地理的な空白がなくなったとはどういうことか。

3。 (52)筆者が、③冒険者はアーティストでもあると述べているのはなぜか。