以下は、あるデザイナーの書いた文章である。私のアイディアのもとは、自分の生きてきた道の中にすべて詰まっているのだ、というふうに思っています。いままで生きてきた中で、感動したことを現代に持ち帰ってくる。過去の中で感動したことをコピーして、それをデザインしているのです。アイディアはいつも人から、時代からもらう。自分で考え出すことは少ないのです。私は、感動したときのシーンはよく覚えています。色も匂いも形も光も季節も、そのときの景色も、そのときその場に誰がいたかも、何を食べたかも、思い出の中に鮮明に刻み込まれています。感動すると、それくらい記憶装置が自動的に働いて、すべてを映し込んでいるのです。
 (中略)
 中学の頃のこと、高校のあのとき、社会人になったときのこと、妻と旅をしたときの情景などいろいろなシーンが思い出されて、それを遡って切り取りにいくわけです。けれどもそれが、もやーっとした(注1)ものだと切り取れない。なぜ、もやーっとするかと言えば、心の底から感動していないからです。しっかり感動していないと、持ち帰れないのです。
 感動は、自分の力だけでなく、親のカだったり、友だちのカだったり、ほかの人の力によってもつくられています。子供のときから、大事に育てられたとか、自分を包んでくれる街がきちっと大人たちによって美しく保たれていたとか、そういう周囲のカでつくられている場合もあるわけです。そうした感動の思い出を大切に持ち帰ってきて、いまあるものとコラボレーションする(注2)と、新商品が生まれます。そういう意味では、まるっきりの(注3) 新商品なんてあり得ません。アイディアはいつも、そんな過去の「感動の森」の中から探し出してくるものなのです。
 いい思い出がたくさんあるかどうか、いい人に会ったかどうか、美味しいものを食べたかどうか。そういうヒト・コト・モノとのよき思い出の引き出しをどれだけ持っているかによって、アイディアの湧き出る(注4)量は変わるのです。

(水生人ちあと 秀信 やってみよう一私の仕事哲学』による)


(注1)もやーっとした:はっきりしない
(注2)ラボレーションする:ここでは、組み合わせる
(注3)まるっきりの:全くの
(往4)湧き出る:ここでは、生まれてくる

1。 (71)感動したことを現代に持ち帰ってくるとは、どのようなことか。

2。 (72) 感動について、筆者の考えに合うのはどれか。

3。 (73) アイディアについて、筆者はどのように考えているか。