日本ではよく、「若者はもっと個性を発揮すべきだ」とか、「個性を磨くべきだ」などと言われます。けれど私は、そういう言葉にはあまり意味がないと思っています。また、日本では「個性」という言葉が主に人の外観に関して使われることにも、私は違和感
(注1)を持っています。たとえば、「個性的なファッション、個性的なへアスタイル」は、「人がアッと驚くような奇抜
(注2)なスタイル」であることが多いでしょう。
(中略)
このように考えると、「個性=人より目立つこと」と、多くの人が錯覚
(注3)しているのではないかと思います。
でも、根本的なことを言ってしまえば、この世に生まれた人間は一人残らず全員、それぞれの個性を持っています。だから、誰かに「磨きなさい」と命令されて、義務のように磨く必要などないのです。
あなたが生まれ持った個性は、明らかにあなただけのものです。世界中に、あなたと同じ個性を持つ人など誰一人としていないのですから、「他の人はどうかな?」とキョロキョロすることは不必要だし、他人の真似をする必要もありません。真似しようとしても真似できないのが、個性というものなのです。
あなた自身が「楽しい、面白い、不思議だ、ワクワクする、ドキドキする」と感じ、心から求めているものを優先すれば、それでいいのです。「磨く」とか「発揮する」などと意識しなくても、自分が本当に好きなもの、興味があることに気持ちが向かっていけば、自分の世界がどんどん広がっていく。それが①
本当の意味で「個性を磨く」ということです。
(今北純一『自分力を高める』による)
(注1)違和感:ここでは、なにか違うという感じ
(注2)奇抜な:珍しくて目立っている
(注3)錯覚する:勘違いする