(1)
話す場合には、たいがい
(注1)、聞き手がすぐ近くにいて、そのとき、その場で自分の考えに表現を与えながら、さらなる考えを進めていく。
(中遇)
それに対して、①
書くという表現の場合には、たいていはひとりで、じっくり時間をかけて、ノートやパソコンなどを使って、考えたことを文字にしていったり、あるいは考えながら文字にしていくことが多いはずです。考えたことが消えずに文字として残ることも、話す場合とは大きく違う点です。ちょうど本という活字メデイア
(注2)が、読者にとって自分のペースで考えながら読んでいくことができるのと同じように、書くという行為は、話すのと違って自分ペースで、行きつもり
(注3)しながら、考えを人進めていくことができる表現方法なのです。
しかも、考えたことを文字にしていく場合、いい加減であいまいなままの考えでは、なかなか文章になりません。何となくわかっていることでも、話し言葉でなら、「何となく」のニュアンス
(注4)を残したまま相手に伝えるろことも不可能ではありません。それに対して、書き言葉の場合には、その②
「何となく」はまったく伝わからない場合が多いのです。身振りも手振りも使えません。顔の表情だって、読みチには伝わりません。それだけ、あいまいではなく、はっきりと考えを定着させることが求められるのです。そのような意味で、書くという行為は、もやはやした
(注5)アイデアに明確なことばを与えていくことであり、だからこそ、書くことで考えるカカもついていくのです。
(間谷剛彦『知的複了思考法一誰でも持っている創造カのスイッチ』による)
(注1)たいいがい:たいてい
(注2)活字メデイア:ここでは、活字で書かれたもの
(注3)行きつもどりつ:行ったりきたり
(注4)ニュアンス:ここでは、和妙な感じ
(往5)もやもやした:ぼんやりした