以下は、目標に向かう姿勢について、ある将棋のプロが書いた文章である。
勝った将棋と負けた将棋。どちらかがより忘れられないかと問われれば ----どちらもあまり覚えていない。勝った喜び、負けた悔しさともに体内に残らない。必要 でないと感じられることはどんどん忘れていってしまう性質なのだ。
もちろん、何年の誰との将棋について語らなければならないということがあれば、記憶の糸 口
(注1)さえ見つかれば、いつか対戦したそのとき手順
(注2)をスラスラと 思い出すことができる。
しかし、通常はそんなことはしない。それを思い返した ところで、先へとつながるものだとは思えないからだ。
必要なのは、前に進んで いくこと、そのための歩み
(注3)を刻んでいくことだ。
これからの道のりも長い。それを進んでいくために必要とされるのは、マラソン選手のような意識とで もいうのだろうか。一気にダッシュするのではなく、瞬間的に 最高スピードを出そうとするのでもなく、正確にラップを刻んでいくことだ。1キロを4分で走るとしたら、次の1キロも、そのまた次の1キロも......と、同じようにラップ
(注4)を刻むこと。それを意識的に続けていくことだ。
それには、「
長い距離をずっと走り続けねばならない」と考えるのではなく、すぐそこの、あの角までを目標に、そこまではとりあえず走ってみようといった小さな 目標を定めながら走るのがいいと思う。
ゴールまであと200キロあると言われたら、たいていの人はイヤになる。走るのをやめてしまうだろう。しかし、あと1キロだけ、あと1キロ走れば......と思えば続けられる。この1キロ、今度の1キロ......と繰り返すうちに気がついたら 200 キロになっていることもあるだろう。そうなっていることを目指したい。
歩けない距離は走れない、という話を聞いたこともある。なるほど、たしかにそうだと思った。歩けるかどうかは、スピードとか記録とかの前にベース
(注5)となる最低限の保証だ。まずはその距離を歩いてみる。そこで無理だと思うなら、走る など到底できないことだ。他の誰かが隣を駆け抜けていったとしても、自分には無 理なことなのだ。だから、まずは歩いてみる。そして、歩けそうならば走ってみ る。急ぐ必要はない。同じペースでラップを刻みながら行けばいい。それは、無理 をしないことだ。自然にできることを続けていくという健全さ
(注6)なのだ。
(羽生善治『直感力」による)
(注1)糸口: きっかけ
(注2)手順: ここでは、試合の進み方
(注3)歩みを刻む: ここでは、一歩を確実に進める
(注4) ラップを刻む: ここでは、一定の距離を同じスピードで走る
(注5) ベース:土台
(注6)健全さ: ここでは、当たり前で、いいこと