これは僕の個人的な意見だが、「盗み」と無縁の幸せは存在しないと思う。ものづくりでも「悩み」はとても重要で、悩みをどう解決するか、どう昇華
(注1)させるかが、作った成果、物の存在感や主張に直結する。
その観点で言うと、最近の日本の製品には「悩み」が見えない。悩みに取り組まずに切り捨ててしまうからだと思う。日本人は「シンブル」に強いあこがれを持っているが、いつの頃からか「要素が少なくて単純なことがシンプルだ」という誤った思い込みを抱いてしまっている。だから重要なものを切り捨ててしまって平気なのだ。
そういう思いつきと勢いだけで作られた商品を「チューインガム商品」と僕は呼ぶ。作られたものが薄っぺらで、すぐに味がなくなって捨てられるからだ。
日本人の多くは「日本文化の神髄
(注2)はシンプルさだ」と思っているようだが、僕は完全には同意できない。日本文化にはいろいろな相反
(注3)する要素が複雑に絡みあって、それらを生かしたまま歴史の中で洗練された結果、一見シンプルに見えているだけなのだ。その深い部分を理解できずに、切り捨てて単純化したものを簡単に製品にしているから味が出てこない。
日本文化と同様に、切り捨てではなく洗練によってシンブルに見えるものは、ヨーロッパのブランド商品などにもよくある。内在していた相反する要素がうまく噛み合って
(注4)いるから、シンプルに見えるだけなのだ。
要素が少なくて単純なものと、洗練によってシンプルに見えるものを比較すると,内包されている複雑さが全然違う。しかも後者には、作った人たちのいろいろな 悩みも見える。最初のうちはうまく隠されていて見えないが、使っているうちに「あ、こうやって悩んで、それでその結果こういう処理をして、それでこの製品ができてきたのか」ということがわかってくる。だから奥が深い商品が生まれ、使っていても色んな側面が次々と現れてくるので飽きが来ないのだ。
悩みを避けて切り捨てた「もの」や「ひと」には、そういう面白みが存在しない。
(奥山清行『ムーンショットデザイン幸福論』による)
(注1)昇華する:一段と高度なものにする
(注2) 神髄:中心となる本来の性質
(注3)相反する:互いに対立する
(注4) 噛み合う:ここでは、ぴったり合う