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 私が親と同居していた頃、既に引退した父が不機嫌になる種があった。それは父 宛に届く郵便物の量が、息子である私宛に届く郵便物より少ないことであった。私宛の郵便物といっても大方(注1)がダイレクトメール(注2)で、開封もせずにゴミ箱行きになるものが多かったのだが、それでも父は不機嫌になった。
届く郵便物の量は、確かにその人の社会的な活動の広さと関係している。たとえ読まれることのないダイレクトメールであっても、それが届くということは、その人が世の中に存在している証拠である。
 

 (外山知徳『家族の絆をつくる家一失敗しない住まいづくりのための30請」による)


(注1)大方:大部分
(注2)ダイレクトメール:個人に直接送られてくる広告

1。 (58)筆者である「私」は、なぜ父が不機嫌になったと考えているか。